祝・直木賞、『カフェーの帰り道』2026年01月16日


1月3日の投稿で、直木賞を予想して、『カフェーの帰り道』を挙げました。

見事大当たりでした。

著者の嶋津輝さん、おめでとうございます!  





▽本日の朝日新聞朝刊のコラム「ひと」欄に、著者の嶋津さん登場です。


 

 

そして自分にもおめでとう!

私は、

《西暦2000年から現在までの直木賞受賞作を読破する》

という目標を自分に課して、読み続けています。半年に一度発表されるたびに、課題図書をクリアして楽しんでいるのです。

そして、その後、新たな目標として、

〈直木賞に選出される前にその作品を読了する〉

という課題も打ち立てました。1ヵ月前に候補作が発表になると、なるべくたくさん読んで占ってみよう、と頑張っています。全候補作を読めればいいのですが、とても忙しくてそれはできません。

今回は、女性候補から読んでみて、これがイチ押し! とほぼ決めていました。

 

もう一作『白露立つ』も、もうひとつのイチ押しでしたが、ダブル受賞とはなりませんでしたね。著者の住田祐さんはまだお若く、これから期待できそうです。

 

「なぜ直木賞なの」という理由は、20230602日のエッセイにつづっていますので、ご興味のある方はぜひお読みください。

一緒に楽しんでいただけたらうれしいです。




 


2000字のエッセイ:「一人で行く旅のなぜ」2026年01月12日



 

ノンフィクション作家の川内有緒さんのエッセイを読んだ。一人旅のことをつづっていた。

「毎年一度は一人旅をしたい。何もしないで、ただ小説を読みふけるような船の旅がいいかも」

彼女は51歳。たくさんの経歴を持ち、海外でも暮らし、一人で娘さんを育てている。そんなパワフルな人だからこそ、のんびりした船の旅に憧れるのかもしれない、と70代に突入した私は思う。

私も一人旅をするが、旅に出たら、いや、出る前から綿密な計画を立て、時間を無駄にしないで、目的地を目指し、目的を果たすことに楽しみを見出す。私が元気でいられる時間は限られている。彼女との歴然とした年の差を感じてしまう。

 

なぜ一人旅をするの、と聞かれたことがある。とっさに答えが出てこなかった。しばらくそのことが引っかかっていたが、少しずつ答えが見えてきた。

最初のきっかけはコロナ禍だ。不要不急の外出は控え、人との交流も途絶えた。さすがに「一緒に行かない?」と誘える雰囲気ではなかった。それならばと、一人で出かけた。夫の休みがとれれば、一緒に行くこともあった。世の中ではGoToトラベルなどと旅行業界を支えるキャンペーンが盛んで、格安で旅行ができるし、どこへ行っても旅行客は少なく、むしろ快適な旅ができた。

 

コロナ禍でも、ミュージシャンのコンサートは人数制限を設けるなど、厳しい条件下で行われた。チケット入手は、別の意味でも厳しくなった。転売を防ぐために、本人のみならず同行者にも、事前登録と当日の本人確認が義務付けられるようになったのだ。

「一緒に行こうね」などと気軽に約束しても、万が一の時のキャンセルには手間がかかり、気やすく誘えない。コロナ禍をどう潜り抜けるかは、個人個人の状況や価値観に負うところが大きく、デリケートな問題だ。それならばと、やっぱり一人で行くことを選ぶようになる。

また、全国ツアーの場合には、首都圏よりも地方の会場のほうが当選確率が高いといわれる。そのチケットをゲットするためには、自分だけの都合で日程と会場を選ぶほうが気を使わないですむ。推し仲間と盛り上がるのなら、会場のロビーや近くのレストランなどで待ち合せて会える。会場の座席には、同じようにおひとり様が多く、お互い和気あいあいの雰囲気で寂しいことはない。

そして、翌日はライブの余韻に浸りながら、会場近くの旅を楽しみ、美味しい名物料理を食し、一人旅の醍醐味を満喫して帰っていく。私は、そんなふうに、浜松、名古屋、大阪での藤井風君のライブ&一人旅を楽しんできた。

 

ほかにも、一人旅の目的地を選ぶ時、参考にする本がある。

『日本の最も美しい教会』という写真集だ。

国内の61ヵ所のキリスト教会を紹介している。この本との出合いはコロナの少し前だった。2016年に発行されると、興味がわいて、アマゾンで購入。わが家に届いたのは日曜の午後で、その日の朝は、友人に誘われて都内の教会でミサにさずかってきたところだった。

梱包をほどいて驚いた。本の表紙になっている写真は、今朝訪れたばかりの碑文谷教会の聖堂内部だったのだ。この本に呼ばれている気がした。

そうだ、これらの教会を一つずつ、巡礼のように訪問してみようか。すでに訪れたことのある教会も少しはあるけれど、北は北海道から南は長崎まで、旅行のたびにチェックしてみよう。私ならではの楽しい旅の目的ができた。

弘前のお花見旅行のついでに2ヵ所、五島列島の旅で4ヵ所など、いくつか巡ってきたが、その後はコロナ禍に突入、教会も入場制限がかかるようになって、訪ねた数がなかなか増えない。

そんななかでも印象に残っているのは、たかとり教会だ。コロナの真っただ中、神戸に一人旅をした時、震災の被害が大きかった地域に足を延ばした。この教会も焼け落ちたが、震災後の復興の拠点となり、信徒たちの努力で再建された、と本には解説があった。しかも、私が幼児洗礼を受けた教会なのだ。

また、現在地元の教会の主任司祭をしている神父がここに赴任していた時期があり、掲示板には彼の若い頃の写真も貼ってある。教会のお世話役をしている中年の女性と、そんな話題でついつい話しこんでしまった。彼女はベトナム難民だったという。

今年はもう少したくさん巡ってみようかと、これを書きながら心が浮き立った。無理なく自由気ままに計画を立てる。初めての場所で知らない人と語らう。一人静かに祈りの時を持つ。それには、やっぱり一人旅がいい。

夫や友達と行く旅も楽しいけれど、一人で行く旅だからこその魅力が、そこにはある。


 


▲『日本の最も美しい教会』

八木谷涼子=文、鈴木元彦=写真

株式会社エクスナレッジ発行

新年のご挨拶 ~直木賞占いとともに~2026年01月03日

 


皆さま、明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

毎年、同じ言葉をつづっていますが、新しく年を迎えるたびに、その切実さを増しているように思います。

ブログをこのまま続けるべきか否か。

アクセス数ゼロの日が来たらやめよう。ぼんやりとそう思うこともありますが、大丈夫、私が最後の読者ですから、それはあり得ません、私の逃げ道です。

 

ところで、昨年の暮れは大変なことになっていました。

クリスマスイブの日に発熱し、検査の結果はインフルエンザA型でした。

 

12月はとにかく多忙だったのです。

121日には軽井沢に出かけ、1泊して帰りました。(どうしても見るべき展覧会があり)

高齢者のための運転講習にも緊張して行きました。(現役ドライバーですから、大したことはなかったのですが)

ゴスペルの発表会もありました。(発表会は必要なし、と思っていたのに、参加してみれば楽しかった~♪)

そして、自分の誕生日を迎え(何歳かも忘れた)、さらには一時帰国している娘夫婦の来訪もありました。(その日までに暮れの大掃除をやっつけて)

毎日のように栄養ドリンクを飲んで、何とか乗り切ろうと努力をしたのですが、とうとうクリスマスを過ごすところまで、もちこたえることができず、力尽きてダウン。万事休す……。

 

おせち料理はお雑煮だけは夫が作ってくれましたが、あとはデパートに予約しておいて大みそかに届けてもらった重箱。なかなか美味しかったです。

年賀状も、お正月になってから書いています。

 

ところで、インフルエンザは、あやしげな咳から始まりました。その次には発熱とつらい頭痛が2日も続いたのですが、薬が効いてくるとぴたっと止んでくれたので、これ幸いと読書三昧。

おりしも直木賞候補が発表になったばかりですから、私のiPad miniにはその電子本がすでにダウンロードしてありました。

 

さて、今日のブログの本題はここからです。

私の一押しはこれ、

『カフェーの帰り道』嶋津 輝著。



大正から昭和にかけて、戦前から戦後にかけてのカフェーの女給さんたちの群像劇に、静かな感動をもらいました。

いつの時代でも、女性はたくましく、そしていとおしいなあと、しみじみと思ったのでした。

 

ところが、もうひとつ読んだら、こちらも一押し! と言いたくなりました。

『白鷺立つ』住田 祐著。




時代小説、しかも、過酷な行に身をゆだねる比叡山の修行僧の物語だと聞いて、ちょっとばかり敬遠したくなったのですが、巧みな推薦文で、それならば、と読み始めました。

引き込まれてしまうのに、時間はかかりませんでした。

面白いのです! 

文体こそ古めかしく感じますが、読んでいるうちに、まるで現代小説のように、登場人物は生き生きと動き、彼らの個性も人柄も、人間同士のかかわり合いも、映像を見ているかのごとく感じられました。

しかもこれが著者のデビュー作と聞いて、またまた驚きました。

 

114日に直木賞の選考会が開かれ、受賞作が決まります。

この2作のどちらか。はたまた、ダブル受賞というのも、ありなのでは。

 

年末の病のおかげで、今回の直木賞発表が、いつにもまして楽しみになりました。



 

自閉症児の母として(82):新たな発見2025年12月23日


このシリーズは2年近く空きましたが、久しぶりの長男登場です。

1400字のエッセイとして書いたものです。

 

   

        ☆☆  新たな発見 ☆☆


自閉症の長男は、障害者のためのグループホームで生活を続けている。温かな理解に支えられ、現在のホームに入ってもう4年になる。

部屋は6畳ほどの広さだ。入居の際、自宅で使っていたテレビや本棚などのほかに、大型のエレクトーンも置くため、ベッドの下が有効利用できるような高さのあるベッドと、小さなデスクと椅子を、お手頃価格のN店で買って運び入れた。

 

2年ほど過ぎたある日、「椅子の脚が折れました」とホームから連絡を受けた。

1000円もしない「お手頃」以上?の値段の丸いパイプ椅子だったので、やっぱり、と思った。今度はもう少しがっしりした木製の四本脚に布製の座部が付いたスツールに買い換えた。

中肉中背の息子ではあるが、扱いが乱暴なのか、しょっちゅう持ち物が壊れたり、服や靴に穴が開いたりする。毎日たくさんの荷物をカバンに詰めて出勤し、ゆっくり歩くより走るほうが得意なほど活動的だ。しかも、服も持ち物も替えの数は少ないから、どうしても消耗が激しいのだろう。そう思ってあまり深く考えず、その都度買い替えていた。

ところが、先日、また椅子の脚が根元から折れたという。さすがに驚いた。まだ1年もたっていない。

翌日、彼の部屋に出かけていって折れた脚の断面を見ると、一見木材のように見えても、合板のような素材だった。しかし、N店の商品が粗悪とは思えないし、男性一人が座って壊れるはずもない。やはり息子の座り方が悪いのだろう。傾けて座っているのかも。

 

そういえば、と記憶がよみがえった。

数年前のこと、便座のふたの付け根部分に、亀裂が走っているのを見つけた。おかしい……、と思っているうちに、亀裂は大きくなり、あわててメーカーに電話して、新品のふたと交換してもらった。

犯人はおそらく長男だ。他の家族は心当たりがないと言う。彼に何を聞いても、「うーん」とあいまいな返答ばかりだったが、その表情からして、彼の仕業だろうと推測できた。背もたれのように、もたれかかったにちがいない。開閉以外の力がかかれば、壊れるのも無理はないだろう。

 

N店の椅子は1年間の保証期間内だったので、お客様センターに問い合わせてみた。電話口の女性は、

「お怪我はございませんでしたか」と、まず気遣いの言葉をくれた。

今後の参考にしたいので、壊れた椅子の写真を送ってほしい、と言う。

自宅ではなくグループホームに住んでいるため、すぐには難しいと事情を告げると、それでは宅配便で新品を届けるから、その場で壊れたほうを空いた箱に入れて引き取りたい、とのことだった。

ホームのスタッフに対応してもらい、椅子の交換は完了した。

N店には、お手頃以上の誠意を感じた。

 

息子の障害は、コミュニケーション障害ともいえる。人との付き合いがうまくできないのだ。おそらく彼は、物との付き合い方も下手なのだろう。

長男の子育て39年目にして、いまだに新たな気づきがある。さて次は、と楽しみに思えるようにまでなってきた。





オススメの本:石井健介著『見えない世界で見えてきたこと』2025年12月12日



 

この本を知ったのは、朝日新聞の読書欄に連載される「著者に会いたい」というコラムでした。

 

「ある朝、目を覚ましたら目が見えなくなっていた」

 

それは、映画や小説ではなく、著者の石井さんの身に起きたことです。彼はその日まで健康に過ごしてきた30代の男性。彼がつづったエッセイ集だというので、読んでみたいと思い、図書館で借りて読みました。

 

石井さんは、はじめは絶望の淵で泣き続けても、やがて自分を客観的に見つめるようになるのです。その心の動きを的確な言葉で表現しているので、エッセイとしても光っている。不条理な運命を嘆きながらも、自分を受け入れます。

さらに、新しい世界に飛び込んだようなワクワク感さえ抱きながら、生きるすべを、生きる場所を作り上げていく。

すごい人だと思いました。

 

あえて言わせてもらえば、私も障害児の母として、同じ社会的少数派です。その立場からも、共感しました。もちろん、彼とは違いが大きすぎるけれど、こういうとらえ方をして、価値観を見出して行けばいいのだ、と何度も膝を打ちました。石井さんの見えない目で見たことを読み、私は見える目からうろこがぽろぽろと落ちました。

 

石井さんは、その自身の名前から、みずからの行動を、石が転がるイメージで表現しています。私自身にも石を渡っていくイメージがある。そんな共通点も見つけて楽しめました。

そして、彼の自己肯定感や、適応能力の高さには驚かされます。そんな石井さんだからこそ、神様は彼を選んでこの病を与えたのだろうとさえ思えたのでした。

 

抽象的な推薦の文章です。あえて、具体的な本の内容、エピソードには触れていません。ぜひ、この本を手に取って、彼の言葉で、彼の文章で、この本の価値を感じていただきたいと思うので。

 

ちなみに、私がこの本を読むきっかけとなった新聞のコラムを書いた記者は、20205月に、わが家にやって来て取材をし、記事を書いてくれた田中陽子さんでした。本を読み終わって新聞記事を読みなおし、初めて気がついたのでした。

 

☆自閉症児の母として(65):朝日新聞の記事になりました! 
20200527日)



ゴッホの「夜のカフェテラス」を見てきました!2025年11月22日

 


今年8月4日の記事、「南フランスの旅のフォトエッセイ:⑳ゴッホの地で」の中で、この絵のことを書きました。

晩年のゴッホが暮らした地を訪れたことをアップしようと思っていた矢先に、思いがけないニュースに出合ったのです。

「夜のカフェテラス」

「アルルの跳ね橋」

オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵するゴッホの代表作であるこの2点が、「大ゴッホ展」と称して2025年から28年にかけて、神戸、福島、東京の順に、日本国内を巡回するということでした。


 

現在、「大ゴッホ展」は920日から神戸市立博物館で始まっており、その「夜のカフェテラス」も公開されています。

今月、大阪に出向く用事があったので、そのついでに神戸元町まで足を延ばしました。来年5月の東京開催を待たずに、一足早くこの絵を見るために。

 

 

そこで、昨年のプロヴァンスの旅の話に戻ります。

ヴィラモンローズのご主人ダヴィッドさんには、自家用車でプライベートツアーもお願いしていました。目的のひとつは、ゴッホが暮らした場所、アルルに連れて行ってもらうこと。

 

ゴッホは1988年に、パリからアルルに移り住みました。

「この地は、明るい日差しが降り注いで、まるで日本のようだ」

そう言って喜んだのでした。まだ訪ねたこともない日本なのに、浮世絵などの美術作品から強い印象を受けていたのでしょう。

確かにプロヴァンスの日差しは強烈。湿気の多い日本の日差しとは少し違うように感じますが、冬は寒くて暗い天気が続くパリからやってくれば、その明るさだけでも解放されたような心地になったにちがいないと想像できます。

ゴッホはクリスチャンとしての信仰も厚く、繊細で、人との交わりが上手ではなかった彼は、少しずつ精神を病んでいきました。それでも、弟テオのような数少ない理解者の支援を受けて、貧しい暮らしの中、多くの作品を生み出していったのでした。

 

現在もアルルのフォルム広場にあるカフェは、修復されて、ゴッホが絵に描いた当時のように復元されている、と聞いていたし、照明の下で賑わう写真も見たことがあるのです。そこに案内してもらうのを楽しみにしていました。

 

ところが、行ってみると、店は閉じられたまま、放置されていました。

ダヴィッドさんの話では、店はひと儲けしようとたくらんだ人たちの手から手に渡り、今は営業停止状態だとのこと。国家の大切な遺産として、なぜきちんと保存に努めないのか、と彼も憤慨していました。私も同感でした。

憧れてきたカフェは、よこしまな人たちの思いが通り過ぎた跡地のようで、がっかりでした。

 

さらに、ネットでいろいろと調べてみたところ、ゴッホが描いた実在したカフェは、第二次世界大戦で破壊されたという説がありました。

その後、2000年代の初めに、ゴッホの代表作を基に、店を再現しようと企てる実業家たちが現れる。店は、「カフェ・ラ・ニュイ(夜のカフェ)」として、現在の広場に生まれ変わった。ゴッホの絵を細部まで再現したカフェは、ユネスコの世界遺産にも登録されて、観光客で賑わったらしい。

しかし、経営者たちの脱税行為が明らかになり、処分を受け、営業停止になるという残念な結末を迎えたということでした。

 

ゴッホの描いたカフェが、その後にたどった運命を想うと、複雑な思いにかられます。それでも、とにかく絵を見てみよう、そう決心して神戸へ、市立博物館の展示室へと向かいまいした。


▼神戸市立博物館の玄関前には、開場時刻の1時間前から行列が。



思ったよりも小さな絵です。

電燈の明るみを黄色で表し、テラスの壁も天井も、きらめくように黄色い。そこへやって来る人たちも、すでにテーブルを囲んでいる客たちも、白い衣装のウェイターを中心に、細かく生き生きと描き込まれています。

濃紺の空には、星々。まるで青白い花びらを付けたように描かれているのは、星の瞬きを表現したかったのでしょうか。

 


もっと見たい。いつまでも見ていたい。

……と思うのですが、開館前から大勢の人が並んで待っていたのです。この絵の前のスペースには、写真を撮る人、鑑賞する人の位置がロープで区切られ、移動を強いられます。写真を撮った後は、何度も場所を往復して、鑑賞しました。

 

絵を見ているうちに、後年このカフェを再現したいと思った人の気持ちがわかるような気がしました。

ゴッホは、フォルム広場にイーゼルを立て、夜の闇の中で、この絵を描いたそうです。妹への手紙にも、「夜の絵を現場で描くのはとても楽しい。現場で直接描いてよかった」と書いているとか。

その楽しさが、絵を見る人にも伝わってくるのでしょう。

 

この絵を見ていると、昨年の旅の途中、忘れられた祭りの跡のようなカフェの前にたたずんで、寂しい歯がゆい思いに浸ったことをいやおうにも思い出していました。

と同時に、確かにあの場所は、この絵を模したものだったと感じます。

この絵を愛した人たちが、オマージュのようにあのカフェを作ったのではないか。あれは、ゴッホが見つめた本物ではない。逆に、このゴッホの絵を見つめた人々の思いが結晶している。ゴッホの絵の力、名作の力が働いている。それだけで十分なのでは。

ゴッホの楽しさがこの絵に込められて、それを見た多くの人を幸せにして、後世に名作として残されていく。名作はこの絵であり、この絵こそが真実。それだけで十分なのではないか。

 

東京からはるばる関西に赴いて、自分なりの結論が出せました。

1年前のもやもや気分はようやく消え去り、カフェテラスの黄色い輝きに満たされたような気分になっていました。







★ちなみに、「アルルの跳ね橋」が日本にやって来るのは、20276月。また神戸から巡回するそうです。


中国の旅のエッセイ:「本場で食べてみた」2025年11月14日


エッセイの勉強会で、「ラーメン」とうテーマが出ました。

本場中国から帰って来たばかりで、書かないわけにはいかないでしょ……と、腕まくりしたエッセイです。

 



本場で食べてみた

 

5年前から中国の上海に単身赴任していた娘が、ようやく転勤することになった。

101日からの国慶節が最後だから、一緒に旅行しない?」と誘ってくれた。

 

昨年の11月にも夫と上海の娘を訪ねている。まったく言葉の通じない中国で、右も左もわからない2人のために、娘は休みをとり、5日間の計画を立てて、連れ歩いてくれた。初中国は予想どおり何もかも刺激的だった。

中国料理は大いに期待していった。娘がたくさんの情報を集めては、ここぞという店に出かける。ちょうどシーズンだった上海蟹に始まって、北京ダック、ちょっと高級な広東料理から庶民の朝食の小籠包まで、ひとつとしてハズレはなく、大満足だった。 

 

さて、今年は何を食べようか。去年食べ逃したものに、麺類がある。

「今度こそ本場のラーメンを食べよう」と、麺キチの夫もうれしそうだ。

着いた翌日は、上海から新幹線で小1時間の蘇州へ出かけた。どこもかしこも聞きしに勝る中国国慶節の混雑に出合う。今頃日本にも中国人観光客があふれていることだろう。

ここには有名な蘇州麺がある。古い街道沿いに何軒も店が並ぶ。老舗風の店に入った。テーブルには、皿やコップ、箸などを一人分ずつラップに包んで置いてある。これも70円ほどの料金がかかるのだ。

さっそく娘がメニューを読み解き、麺とトッピングを適当に選んでくれた。運ばれてきた麺は、日本のラーメンのように縮れてはいない。まっすぐな麺の束を丸めた形で丼に入れてある。野菜炒めとカニの卵とじを麺にのせ、さらに別添えのスープをかけていただく。

こちらの箸は先端でも五ミリほどの太さがあって、扱いにくい。1杯の麺を娘と2人で分けようとしたけれど、ひと苦労だった。

私は顎関節炎になって以来、硬い物が食べにくくなった。しこしこした麺の歯ごたえは苦手だが、この蘇州麺は食べやすい。

「ラーメンとそうめんを足して2で割ったような食感ね」

スープも辛くない。どろっとしたカニみそ風のトッピングもおいしかった。

記念に持ち帰った赤い箸袋の裏面には「一人一箸・健康新理念」と書いてある。「食器は消毒済みですので、安心してお使いください」とも。コロナ禍の教訓なのかもしれない。


▲水郷のある蘇州の街並み。赤い提灯が映える。

 

そして上海を去る日にも、空港内の有名チェーン店で最後の麺を味わった。娘の一押しの牛肉麺だ。これは、蒸した牛肉の薄切りが何枚も麺の上にのっていて、さらに好みでパクチーをどさっと入れる。蘇州麺の教訓から、1人1丼にした。

はて、箸がない。店の人に尋ねてみて気づいた。テーブルの下に、学習机のように引き出しがある。開けると、何本もの箸がむき出しのままケースに入っていた。一瞬だけ衛生面が気になったけれど、中国も2度目ともなれば、「まあいっか」と食べてしまえる。

ほど良い辛さと、お肉のだしのまろやかさ。これでほぼ600円なりの安さにも感激。

さすがは中国3000年の味でした。


▲牛肉麺を食べた陳香貴という店舗。上海の浦東国際空港内にある。



 


旅のエッセイ:「ランスを訪ねて 後編」& ランスのフォトアルバム2025年11月01日


 

ランスを訪ねて 後編

 


フジタ礼拝堂は、小さな一軒家ぐらいの大きさの石造りの建物で、正面の玄関の真上に、ふたつの鐘と、てっぺんには風見鶏がついている。なんともかわいらしい。内部に椅子などはなく、四方の壁に、目の高さから天井まで、びっしりと壁画が描かれていた。

キリストの生涯をモチーフにしたフレスコ画で、つややかに光を放っている。衣のひだも、人々の表情も、生き生きとこまやかな描写だ。

十字架上のキリストに祈りをささげる群衆の中に、メガネの自画像が描き込まれているのを見つけた時、なぜか涙が出そうになった。彼はこの地下に埋葬されているのだ。

予想をはるかに超えたすばらしさ。ずっと見続けていたい。そう思いながらも、どこか現実感がない。この地を訪れたいとずっと思い続けて、ようやくその夢がかなったのに、まさに夢の中にいるような気がした。


▲キリストの生誕


▲シャンパンの生産地にふさわしく、ブドウの房を持ち、ブドウの樽に腰掛ける聖母とキリスト。背景にはぶどう畑や大聖堂が見える。聖母が樽の上に腰掛けるという構図を描くにあたって、彼はきちんと教皇の許可を得たといわれている。


▲最後の晩餐。この絵が描かれたドームの下に、1968年に亡くなった藤田とともに、2009年に亡くなった妻も眠っている。


▲キリストの磔刑図、その群衆の一人として、自身の姿が描かれている。

 


刺激に満ちた一日だった。暑さのせいもあり、帰りの車内ではうとうとしているうちにパリに着いた。ホテルの部屋に戻った時、はっとした。かぶっていた帽子がない。車の中に置き忘れたのだろうと思い、サトカさんにメールをした。

ところが、車内にもないという。彼女は翌朝すぐに、最後に訪問した礼拝堂に連絡してくれて、そこに置いてきたことがわかった。入口脇のデスクでパソコンに向かう男性がいた。彼が職員なのだろう。「こちらで保管しておきます」とのこと。私はすでにパリをたって南仏に来ている。取りに行くのは無理だし、送ってもらうほどの物でもない。カンカン帽の形で、ぐるりとリボンがついたベージュ色の麦藁帽。去年の南仏旅行のために買い、愛用した思い出の帽子ではあった。

でも、しかたない、諦めよう。むしろ藤田と同じ場所に眠っていると思えば、ちょっとうれしいではないか。


▲置き忘れる前日、パリのエッフェル塔とともに自撮りした帽子。


 

ところが、後日談が生まれた。

帰国して10日後、サトカさんから、次のようなメールが来た。

ふたたび仕事でフジタ礼拝堂を訪ねると、たまたま居合わせた女性が、ランス市の美術館全体を管理する団体の幹部の人だった。そこで、私の忘れ物の一件を話してみると、

「忘れ物はお送りしましょう。送料はランス市が負担します」

と言われたというのだ。

さっそく、その団体に宛てて、私の住所を書いたメールを送ると、1週間後に返信が来た。

「夏休みの時期なので少し時間がかかりますが、かならずお送りします」

待つこと2ヵ月。美術館のパンフレットと一緒に、緩衝材の付いた大きな封筒に入って、私の帽子が帰ってきた。少しつぶれて、日に焼けている気がした。


 

メルシーボク! 一人の観光客の小さな忘れ物を、わざわざ航空便で送ってくれるなんて……と、私のフランス愛はまたまた大きく膨らんだ。

サトカさんの細やかな気遣いにも、感謝したい。

 


旅のエッセイ:「ランスを訪ねて 前編」& ランスのフォトアルバム2025年10月31日


ランスを訪ねて 前編


画家の藤田嗣治は、古き良き時代のパリで活躍した。第二次世界大戦を経て、晩年にはフランスに帰化して永住。さらにカトリックの洗礼を受ける。

彼の名前を知ったのは、私が子どもの頃だ。白髪頭に大きな鼻と口、ロイド眼鏡の奥の鋭い眼光が、私の父によく似ていた。さらに父は絵が好きだったこともあって、私は藤田になんとなく親近感を抱いてきた。

藤田は最晩年、自らの集大成として、設計から壁画まで手がけた小さなチャペルを造った。今はその場所に眠っている。それがフランス北東部のランスという古い町だった。

 

コロナ禍が明けたら、いつかランスを訪ねてみたい。ずっとそう願っていたら、今年の夏、チャンスが訪れた。パリから日帰りでランスへ行こう。TGV(フランスの新幹線)なら片道1時間で行ける。とはいえ、初めてのTGVだし、1人旅だし、駅の周辺は危ないという情報ばかり気になるし、心配は募る。

ネットで調べているうちに、「ロコタビ」という旅行者に対するサービスを提供する会社を見つけた。海外に住む日本人が登録し、通訳、運転、案内などなど自分にできることを提示して、有料で提供するものだ。旅行者がその中から自分に合うサービスや人物を選び出し、そのサイトを通して交渉し、料金を支払う。サービス提供者はロコさんと呼ばれる。

最初は駅から同行してもらうつもりだった。しかし、ロコさんの分の移動費も食費もこちらが負担しなくてはならず、なんだかばかばかしい気がした。「ひとみさん」という名の女性にご縁を感じたのだが、日程の折り合いがつかず、やめた。

TGVは諦めて、専用車でパリのホテルからランスまで連れて行ってもらうサービスを利用することにした。ドライバー兼ガイドのロコさんは、サトカさんという日本人。私と同年代で経験豊富な人のようだ。メールのやり取りをして、こちらの希望を伝えておいた。

一番の目的は、フジタ礼拝堂と、彼が洗礼を受けたランスの大聖堂。そして、ランスといえはシャンパーニュ地方の中心地なので、有名なワイナリーも覗いてみたい……。

 

625日、朝8時。さとかさんはホテルのロビーで待っていた。私と同じぐらい小柄で、年齢不詳に見える。大きなワンボックスカーの運転も、どこかおっとりしている。彼女は東北出身で、ご主人は日本通のフランス人だという。


私の希望をよく理解したうえで、彼女がアドバイスをくれた。有名な大手のワイナリーでは、高い見学料を払っても、フランス語の説明だけだったり、試飲できるのはほんのグラス一杯だけだったりするそうだ。

「それよりも、私が懇意にしているワイン農家にご案内させていただくのはいかがでしょうか。家族ぐるみでワイナリーを経営していて、毎年のように優秀賞を受賞しているのです。間違いなくおいしいシャンパンが試飲できますよ、もちろんすべて無料で」

この地に詳しいサトカさんにお任せするのが一番だと思い、連れて行ってもらった。

 

聞いていたとおり、シャンパーニュ地方は本当に心が洗われるような地域だった。白い雲が浮かぶ空と、なだらかな丘には緑色のワイン畑が広がっている。畑の脇に咲く赤いバラは、良質なブドウが実る土壌の証だそうだ。ときどき「シャンパーニュ」と書かれたブドウの絵のおしゃれな看板に出合うけれど、道路には車も人影も少ない。








そんな一角にある広い敷地のワイン農家シャルパンティエ家の中庭に到着。四十代ぐらいの女性が現れて、大きな倉庫に案内してくれた。中は寒いほどで、たくさんの装置や機械が並んでいる。ここでシャンパンが作られるのだ。彼女はこの家のお嫁さん。フランス語でひとつひとつ丁寧に工程を説明し、それをサトカさんが通訳してくれる。私1人のために。

解説を聞いた後は、明るい部屋に通され、お待ちかねのシャンパンの試飲タイムだ。辛口のブリュット、甘口のセック、ドゥミセック、アッサンプラージュ……などの言葉も教わって、いっぱしのシャンパン通になった気分を味わう。どれもこれもおいしく、至福のひとときだった。




 

その後、ランスのノートルダム大聖堂を訪ねた。パリの大聖堂をまねて作られたというが、パリより一回りも大きく圧巻だった。思いがけずシャガールのステンドグラスがあって感激する。堂々として美しかった。





昼食は、セレブなレストランのテラス席。雄大なブドウ畑が見渡せる。その名もベルヴュー(美しい眺め)というレストラン。料理はおいしかったはずだが、とにかく快晴の空の下、テラスのパラソルも役に立たないぐらい暑くて、アスパラガスの前菜も、魚料理の濃厚なソースも、その味をよく覚えていない。サトカさんは遠慮してか、お豆のポタージュしか注文しなかった。

このレストランがあるのは、国王やナポレオンも滞在したという由緒あるホテルだったが、7年前にリニューアルされて、ラグジュアリーホテルに生まれ変わったとか。一流のシェフの手による料理だったのに、とても残念。






 

街中には、ポメリー、ヴーヴ・クリコなど、有名なシャンパンの会社が建ち並び、お城のような建物が目を引く。



▲ポメリー社の門を抜けると、子どもの遊園地のような公園や、おとぎの国の建物が見えてくる。ワインの瓶で作った大きなタワー、その後方、背丈よりも高いビーター(料理用の撹拌機)、巨大じょうろなど、大人でも楽しい。浜松のスイーツバンクを思い出した。


夕方、最後に向かったのが、G.H.マム社。以前から藤田と親交があったそうで、その敷地内に、フジタ礼拝堂はあった。


              ▼G.H.マムの中庭。




             

       (後編に続く)

 



大阪万博に行ってきました!2025年10月01日

 

絵文字が使えるなら、汗マークを10個ぐらい並べたい。

915日からの3日間、超猛暑と大混雑の大阪万博で、ひたすら忍耐の時間を費やしてきました。

 


地下鉄中央線の夢洲駅。満員の列車から、ぞろぞろと会場ゲートを目指します。



どこにも予約は取れないままでしたが、なんとかなる、なんとかしようという気構えで、万博見物の先輩がたの教えに従って準備を整えていきました。

まずは暑さ対策。日傘や帽子はもちろんのこと、教えてもらったクールおしぼりを首に巻いたり、持参した栄養ゼリーを並びながら飲んだり……。それでもじっと並んでいるだけで、顔から汗がしたたり落ちるのです。


体力維持に一番役立ったのは、万博の5人に1人は利用している感じの携帯チェア。高さが7センチから45センチまで調節可能で、行列中にちょっと腰かけて、またちょっと前進という動きには他のどの椅子よりも便利だったと思います。

さらに、背の低い私は、この椅子を30センチくらいの高さにして上に立ち、人込みの後ろから、ショーを見ることができた時には、椅子のありがたみを実感しました。重さ1キロあるのですが、夫が持ち歩いてくれて助かりました。(夫のありがたみも実感)




初日、夕方から、暮れなずむ空や、ライトアップされていくパビリオンを眺めながら、2時間並んで憧れのフランス館に入りました。

さすがはフランス、美の表現、センスの良さには言うことなし。


 




手すりの向こうに広がるパリの夕暮れをバックに、ダンスのパフォーマンス。じつは手すりは実物ですが、その向こうはスクリーン上の映像です。

迫力満点で魅了されました。動画をご覧いただけなくて残念。



夜間のライトアップでは、パビリオン全体がフランス国旗のトリコロールに色が刻々と変化していくのです。夕闇に浮かび上がる様を、大屋根リングの上から眺めて楽しみました。

 


翌日は、人気のアメリカ館へ。パビリオン外壁のスクリーンには、次々と合州国の映像が映し出されていて、並びながらそれを眺めていたので、あまり飽きませんでした。ときどき、トランプ大統領が、来場者に挨拶をする映像もありました。

内部では、月ロケットに乗って旅に出るというディズニーランドのアトラクションのようで、それなりに楽しめたのでしたが、しかし、この宇宙はみんなのものだ……というメッセージで締めくくられ、大統領の政策との食い違いが気になって、ちょっとしらけましたね。映像で挨拶までしてもらっていたのですが……。




 

われらがヒーロー、アメリカで大活躍のショーヘイ君の映像もありました。



そして3日目。

ここまで訪ねてきたのだから、最高の展示だといわれているイタリア館にも挑戦しようと決心。前夜9時からのドローンショーも諦めて、早めに宿に帰り、翌朝の出陣に備えました。

結局入場したのは午前9時半ごろで、しかも夫が自信満々で間違った方向に突き進んだおかげで、すでに6時間待ちの行列ができていました。それでも今日はここにすべてを掛ける覚悟でしたから、最後尾に付きました。

幸い、列は大屋根リングの下にくねくねと出来上がっていて、比較的涼しい場所。すぐ横でお笑い吉本のステージが賑やかでした。ときどき夫と交代で列を離れ、空腹を満たしたり、みゃくみゃくのマスコットを買ったりして時間つぶし。

6時間待った話をすると、「その間、何をしていたの?」とよく聞かれるのですが、他の予約を取ろうと、ひっきりなしにスマホを操作していました。結局どこも取れませんでしたが。

夕刻4時過ぎにようやく館内に入った時には、もうそれだけで達成感を味わいました。

 

待たされたから余計に素晴らしく感じるのかもしれませんが、聞きしに勝る豪華な展示でした。

中でも、感銘を受けたのは、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」。写実的な手腕、光と影を用いた感情の表現。17世紀初めに描かれた彼の最高傑作と言われています。縦3メートルの大きな絵で、いつまでも見ていたいと思いました。▼


▲ミケランジェロの彫刻「復活のキリスト」は、たくましいキリスト。


 「ファルネーゼのアトラス」▲ 2世紀ごろに作られた大理石の彫刻で、世界的な文化遺産。お金持ちのファルネーゼ家が収集していたそうです。



ルネサンス期の画家ティントレットの描いた「伊東マンショの肖像」▲

天正遣欧少年使節の一人です。使節団の少年たちの数奇な運命は、原田マハの小説『風神雷神』にも書かれていて、興味深く感じました。また、7年前にポルトガルを訪れた時に、彼らが演奏を聴いたといわれる大きなパイプオルガンも見たことがあります。

ちょっと松下洸平に似ている気がして、当時でもイケメン日本人だったのかなと……、おっと、それはおばさんの独りごと。でも、いっそう身近に感じられたのは本当です。

 

 

さてさて、400年も昔の少年使節団ほどではないけれど、大変な思いをして、万博に行ってみました。誰のための、何のための、万博なのだろう。税金から大枚をはたいて、にわか作りのお祭りを開催して、本当に意味があるのだろうか。長時間炎天下で待たされながら、思ったことでした。



イタリア館で、目玉の一つとされていた展示に、レオナルド・ダ・ヴィンチの直筆の素描や文章がありました。さすがにガラスケースに入っていて、大勢の人が順番を待っている。もちろん私も並んだけれど、スタッフは叫ぶのです。

「立ち止まらないでくださーい。歩きながら見てください! 写真撮影は歩きながらお願いします!」

チラ見しかできず、そんな写真を撮るぐらいなら、今ならいくらでもネットを駆使した映像で、自宅に居ながらにして鑑賞できるでしょうに。

自分の目で実際に見ることのほうが、そんなに大事?

楽しみながらも、なんだかな~と首を傾げたくなることもあった万博でした。

ともあれ、お疲れさま!

 





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