春のエッセイ:「八重桜の咲くころ」 ― 2013年04月18日
大阪造幣局の桜の通り抜けが始まったというニュースを聞いて、私も近所の八重桜の名所を訪ねてみようと思い立った。なんのことはない、3人の子どもたちが入れ替わり立ち代わり、13年間通った地元の小学校だ。
学校の正門を真ん中にして、両袖を広げるように植えられた八重桜の木々は、開花すると濃淡のピンク色が波打つようで、それはそれは美しい光景になる。やがて桜吹雪になり、ピンクのじゅうたんを敷きつめて、緑の木陰に変わっていくのだ。
わが家から歩いて15分とはいえ、駅とは反対方向で、わざわざ見にいくこともないまま、ここ何年か八重桜ともご無沙汰だった。
しかし、いそいそと出かけて行ったのに、今年の八重桜はとっくに盛りを過ぎていた。
子どもたちが通学したころと同じ真っ青な制帽をかぶった児童たちが、ピンクの花びらを踏んで、三々五々と下校する。
新学期が始まって2週間。新しい生活にも慣れてきたころだろうか。

もう19年も前、最初の春のことは、今でも忘れることができない。
長男が入学して、最初のクラス懇談会。私はコチコチだった。
自己紹介の順番が回ってくる。立ち上がって準備しておいたとおりにしゃべった。
「うちの子は、自閉症という障がいを持っています。皆さんにご迷惑をおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いします……」
言い終わらないうちに、緊張のあまり、おいおいと泣き出してしまったのだ。
「今のお母さんの気持ち、みんなに伝わったね」
と、担任の先生が言うと、誰もがやさしい笑顔でうなずいてくれた。
その日から、私たち親子は、みんなのあたたかいまなざしに支えられてきた。
そして、卒業までずっと、普通学級で過ごすことができた。
19年も前には、私にも〈新米のお母さん〉のころがあったのだな……。
今でも、あの日のことを思い出すと、おいおいと泣けてくる。