旅のフォトエッセイ:東松島へ(10)~最終回だけれど~2013年10月06日

最終回を目前に、ぴたりと止まってしまっていた。
とにかく忙しかったし、パソコンも入院した。
それ以上に、どうやって終わらせようか、その迷いがどんどん膨らんだ。
さらに、もったいなくて、終わりたくないという気持ちが立ちふさがる。

最後まで書かないでいたのは、仮設住宅を訪問したことだ。
次はどこへ行く? ということになり、清美さんがその場でちゃちゃっと電話をして約束を取り付けてくれたのは、のり工房の仲間、まきさんのお宅。


テレビで見ていただけの仮設住宅が、目の前に並んでいた。少しでも住みやすいようにと、スロープや日よけ、物干しなど、工夫されているのがわかる。
まきさんのお宅も、狭いながらも家電が置かれ、ラグが敷かれ、カーテンがかかり、壁にはカレンダーや状差しがかかっている。どこもきれいに整えられていた。

4畳半くらいの広さだろうか、ご主人がこたつでテレビを見ているところに、おじゃまします、と恐縮しながら入っていった。
ご主人ものり養殖の漁師さんだった。震災後、引退したという。
清美さんたちとは、家族ぐるみの古いお仲間同士なのだろう。気のおけない会話を交わしている。
ひょいとやってきた私たちを、何のきがねもなく、お茶と漬け物でもてなしてくれた。

ご主人が、大事そうに大きな紙を持ってきて、こたつの上に広げた。
新居の設計図だ。高台の場所に建てることになっているそうだ。
20畳もありそうな和室ができるのだとか。でも、まだ着工時期は決まっていない。

じつは、私にはご主人のお国訛りがよく聞き取れない。
思わず、「え?」と聞き返すと、みんなが笑いながら通訳してくれて、やっと会話が成り立つ。
家が持てる。それをこのご夫婦は心待ちにしていた。笑顔が明るかった。

まきさんと、お宅の前で。


でも、ここに住む人がみな、まきさんたちのようなわけにはいかない。
防音に配慮はなく、プライバシーはないに等しい。冬の寒さも厳しい。将来の不安は大きい。
後から聞いた話では、ここでは殺傷沙汰の喧嘩も起きるらしい。せっかく津波から逃れた命だったのに、絶望のなかで自らの命を絶った人も少なくないという。
2年もの長い間、不安や不便に耐えながらも、ここで暮らしてきた人々の忍耐強さに、頭が下がる。
山を崩して宅地に造成中の現場も車の中から見たが、着々と進んでいる様子ではなかった。復興資金が流用されているニュースにも憤りを感じる。
被災地の人々の忍耐強さに頼っているような復興では、あまりに情けないのではないか……。
まきさんのお宅の居心地のよさが、むしろ哀しく思えた。


さて、この日の夕食は、私が心配するまでもなく、清美さんたちが段取りを考えて、居酒屋を予約して、東松島の皆さんに声をかけてくれていた。
物産展で顔なじみになった皆さんが、私たちのために次々と集まってきた。

ちょっとぶれているのは、笑いすぎのせい!?


大いに飲み、食べ、楽しい話題で盛り上がって、みんなで笑い転げた。
おなかがよじれるほど笑った。こんなに笑ったのは久しぶり。笑いすぎて、翌朝は本当におなかと背中が筋肉痛だった。

2日間の東松島の旅で、私たち親子は思いがけないほどのあたたかい歓迎を受けた。月並みな言い方だけれど、むしろ私たちのほうが元気をもらって帰ってきた。
被災地を訪れた人が誰しも口にするように。そして、それを再確認するための旅だったかのように。
たかが2日間、されど2日間。
現地を訪れた意味は大きい。思い切って出かけていって、本当によかった。

おりしも、ちょうど1週間前、被災地の岩手が舞台だったNHKの連続ドラマ「あまちゃん」が最終回を迎えた。社会現象となるほどの大人気のドラマだったが、私も第1回目から欠かさず見てきた。
終盤は、被災しながらも支えあって力強く生きていく登場人物に、東松島の人々を重ね合わせて見ていた。みんなよく笑うところもそっくりだった。

ドラマは終わったけれど、被災地の復興はまだまだ終わらない。
連載を終わらせるのに、旅から5ヵ月もかかったけれど、それも無意味ではないと思っている。
連載は終わっても、まだまだ私のなかで続いている思いがある。
大事なのは、忘れないこと。語り継いでいくこと。
これから先もずっと。


***********************************************
ご登場の皆さま、実名で書かせていただいたこと、感謝いたします。どうもありがとうございました。
書き足りない点や、お気に障る点もあろうかと思いますが、どうかご容赦ください。間違った記載がありましたら、お知らせください。すぐに訂正いたします。

最後までお読みくださった皆さま、気長にお付き合いくださり、感謝いたします。
また、海苔やかまぼこをお買い上げくださった方もあるそうで、とてもうれしく思っています。どうもありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

なお、この「旅のフォトエッセイ:東松島へ」(1)~(10)は一つのカテゴリーにまとめました。通してお読みいただけたら幸いです。



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梨が実るころ、『なしのはな』が咲いて2013年10月07日

「なしのはな」の表紙は、梨の実と同じ色で……


東京・稲城市のエッセイクラブ稲城では、この夏の猛暑のさなか、作品集の編集を続けてきました。
9月になって、ついに『なしのはな』第5号が完成。
選りすぐりの作品をさらに磨きあげて、お一人2編のエッセイを載せました。
講師の私も「大曲浜にて」という東松島の旅のエッセイを寄稿しています。

購読ご希望の方は、コメント欄にお申し出ください。
冊子代200円にてお送りします。

このクラブとは、発足以来13年のお付き合いです。
公民館主催のエッセイ講座から始まって、すぐ自主運営のサークルになりました。
会員の入れ替わりもありますが、当初から在籍の方も2名ほど。現在は6名のグループです。

当クラブでは、お仲間を募集中です。
市民でなくてかまいません。稲城市中央公民館に通える方であれば、どなたでも。
例会は、毎月第1・第3金曜の午後。
いつでも見学にいらしてください。
新しい方もすぐになじんで、楽しい時間を過ごされます。
今年は「エッセイの秋」、いかがでしょうか。

写真の梨は、稲城市特産の「菊水」という品種です。
栽培が難しいそうで、市内100戸ほどある梨農家のうちでも、今では数戸の農家で栽培されるのみになってしまったとか。そんな貴重な梨を、メンバーからのお土産にいただいて帰りました。
みずみずしくて、しっとりと甘くて、夏バテも吹き飛ぶ美味しさです。
ごちそうさまでした!


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エッセイの書き方のコツ(19):身内の話を書くときは?2013年10月09日

もう2週間前のことになりますが、924日、いつもブログでお伝えしている銀座エッセイサロンが開催されました。東京の銀座三越デンマーク・ザ・ロイヤルカフェで行っているエッセイ講座です。
涼しく秋めいた朝、銀座に集まった7名の参加者の皆さんと、いつものように楽しいひとときを過ごしました。



今回は、3名の方が提出されたエッセイを味わいました。
それぞれ、亡き母の思い出、98歳の祖母のエピソード、やはり亡き叔母とその家族にまつわる話と、偶然にも身内の方のことを綴った作品がそろい踏み。
いずれも愛情にあふれていて、心を打つものでした。

皆さんも、家族や親せきについてのエッセイを、書いたことがおありでしょう。
ちょっと難しいのは、呼び方ではありませんか。
母といえば、自分の母のことではありますが、「おばあちゃん」と呼ぶ場合もあるでしょう。
となると、
〈おばあちゃんは息子と出かけた。〉という文。
さて、どう解釈できるでしょうか。

解釈①:祖母は私の息子と出かけた。つまり、祖母の曾孫と。
  ②:祖母は彼女の息子と出かけた。つまり、私の父と。  
      ③:母は私の息子と出かけた。つまり、母の孫と。
  ④:母は彼女の息子と出かけた。つまり、私の兄か弟と。
もちろん、文脈でわかるのでしょうが、場合によっては、義母である可能性もあり、⑤姑は彼女の息子と出かけた。つまり、私の夫と。
ということも考えられますね。

ことほどさように、身内の話は、人間関係が複雑になりますから、意外と難しいものです。
誤解されないように書くためには、原則として、
作者である自分自身から見た呼称を使う。ぶれないことが大事です。

以前、あるエッセイクラスで、こんな作品が登場しました。
「我が家は100歳の祖母を筆頭に、母、私、娘と、女系四世代同居である」という書き出しで、血のつながった4人の共通点や性格分析があったり、楽しいエピソードがあったり、面白おかしく日常が綴られていきます。
「一緒に住んでいて発見したことは、娘は母の態度にカチンとくることだ」
ここで一瞬、私の脳裏に疑問符が点灯しました。孫とおばあちゃんとはあまり仲がよろしくないのだろうか?
ところが先を読むと、
「母は祖母にカチン……私は母にカチン……娘は私にカチン……祖母だけは、どこ吹く風……」
と書いてありました。この説明が続いていたので、作者の言わんとすることがわかりました。
合評の結果、
「一緒に住んでいて発見したことは、
娘というものは母親の態度にカチンとくるものだ、ということだ」とすれば、より理解しやすいのでは、ということになりました。呼称と同じにならないよう、「娘というもの」「母親」という抽象的な概念で置き換えただけです。
そのほかは、作者から見た呼称で一貫していて、わかりやすく読めました。

身内の話は、作者は当然、人間関係を把握していますから、すらすらと書けるのですが、読み手は、初めての人間関係に戸惑うこともあります。
私が読むときには、知らず知らずのうちに、自分の親戚すじに当てはめて想像しています。
咀嚼して飲み込むまで時間がかかるので、
少しだけかみくだいて説明するように心がけると、親切かもしれませんね。
また、年齢や風貌を書く、できれば名前で呼ぶ、などの工夫で、読み手は会ったことのない人物を、頭の中に描きやすくなります。

だからと言って、何事も経験がないと理解できないかというと、まったくそんなことはありません。身内の話でも、複雑な話でも、臆せずに書いてください。
読み手にわかりやすい工夫をして、ぜひ感動を伝えてください。
うまく伝われば、そこにエッセイのだいご味が生まれます。




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マイブログ、満2歳!2013年10月11日

昨日1010日は、このブログの誕生日でした。



昨年の1010日の記事を読んでみて、へぇ!と驚くことがありました。
最初の1年と、この1年、記事をアップした回数が全く同じなのです。
でも、大きく違うのは、読みに来てくださる皆さんのアクセス数。去年は5000回。今年は12000回を超えています。よちよち歩きだったブログが、ずいぶん成長した感じです。
なんといっても皆さまのおかげですね。
毎日来てくださる方、アップするたびに読んでくださる方、そして、最後にぽちっとクリックを忘れないでくださる皆さま、本当にありがとうございます。

気になる点といえば、完成した作品としてのエッセイが、あまりアップされていないことでしょうか。
じっくりと時間をかけてエッセイを綴る暇がないことも理由ではあるのですが、その忙しさはなぜかといえば、やはりエッセイを通しておおぜいの方々と関わる時間が増えているからでしょう。
それも、私にとっては充実した貴重な時間です。
かならず、~HITOMI'S ESSAY COLLECTION~に彩りを与えてくれるものと信じています。

ブログ読者の皆さま、ブログにご登場いただく皆さま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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自閉症児の母として(14):やっと再就職です!2013年10月12日


長男モトのその後をご報告します。
今年の3月で、それまで勤めていた「障害者ふれあいショップ」の契約期間が終了し、4月からはずっと次の仕事探しをしていました。
就労援助センター、生活支援センター、ハローワークなど、たくさんの方々のお世話になりながら、この半年、親子で就活。暑くて長い夏でした。

その間、3回の職場実習をさせてもらいました。
それぞれ2週間、実習ですから賃金はいっさいありません。
最初はクリーニング工場。
次は、企業の研修センターでの、やはりランドリーの請負作業。
そして、3回目は、障害者支援サービスを行う事業所で、メール便の仕分けや、文房具の組み立て、企業のキャンペーン商品の封入などなど、その事業所がさまざまな企業から請け負ってくる仕事をさせてもらいました。

昨日、その3回目の実習の最終日。母親の私も様子を見てきました。

ナサシェルのネックレス。欠けている貝はペンチでつぶす。

最初にやっていたのは、フラダンスに使うナサシェルのネックレスの検品作業。
ペンチを使ったり、糸を結んだりする作業がどうも苦手な様子です。


資料を指示どおりに梱包する作業。

次は官公庁の研修資料のピッキング作業。
指示書どおりに棚に並んだ中から資料を選んできて、数を確認して、梱包します。
真剣なまなざしで動き回り、電卓をたたいてはリストにきちんと書き込み、間違いもないとのこと。高評価をもらって、本人も自信の持てる作業のようでした。

その後、反省会がありました。
その席で、職場の責任者の方から、「採用します」との言葉をいただきました。
よかった! ほっとしました。

ようやく決まったことがうれしかったのは、もちろんです。
この職場が、自閉症の彼には向いている。そう思えたのです。
几帳面にこつこつと正確な作業ができる。それをわかってもらえたのです。
そして、4年間、障害者雇用の職場での体験と、3回の実習をとおして、モトが大きく成長していることが、何よりすばらしいと思いました。

その後、モトは午後も作業で、私は一足先に帰宅。夕方、職場から電話があって、こんなエピソードを伝えてくれました。
実習中、息子の担当者として指導してくれたのは、若い女性職員のYさん。
最後の退社のとき、モトは、いつも休憩中に遊んでいる自分のゲーム機のスクリーンに、花束の絵を出して、Yさんに見せたそうです。さらに、その絵をタッチすると、ひらひらと彼の手書きの文字が……
「実習ありがとうございました」
やるね~、モト君!


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自閉症児の母として(15):ジェットコースターに乗せられて①2013年10月21日


 3
週間ほど前のこと。自閉症の息子モトが言った。
「コカンが腫れてるんだよ」
 はぁ? 思わず聞き返した。そんな言葉どこで覚えたの。あ、わかった。夏ごろのCMでしょ、イケメンたちがオクメンもなく歌ってた……。
「どうせ、ニキビでもできたんじゃない?」 
 彼はときどき変なところに大きなニキビをこしらえて痛がることがある。
 お風呂に入るときに、夫に見てもらうと、苦い顔をして言った。
「ニキビじゃない。ヘルニアだ」

 翌日には腫れが収まったので、しばらく様子を見ていた。がしかし、また大きくなってきた。連休明けに、近くの病院の外科を受診する。
 やはり、そけいヘルニアだと言われた。腸が腹腔の外側に出てくるもので、出たり入ったりを繰り返しているうちはいいが、元に戻らなくなると、壊疽を起こして危ないのだそうだ。
 モトは診察台に寝かされて、カーテンが引かれた。その向こうで、やさしそうな看護師に手を握られ、というか(たぶん)押さえつけられて、ベテラン男性医師が二人がかりで、彼の脱腸を腹腔内に押し込むべく格闘している(らしい)。
「おなか痛-い」と、遠慮がちにうめき声をあげるモト。
 やがて、「よしっ、治った」と医師の声がして、カーテンが開いた。
「腸が出てくる穴も大きくて、重症ですね。このまま入院してもらいましょうか。明日手術ということで」
 おりしも、台風26号が接近して大雨を降らせていた。たしかに、明日また出直すというのも大変かもしれない。
「手術しましょう」という先生の言葉に、モトはすかさず「いや」。
 あわてて説得を試みた。
「手術しないと、また、今みたいに痛い思いをするのよ。手術は怖くないでしょ、もう2回もやっているんだし。麻酔で眠っているうちに終わっちゃうから」
 モトは10年前、側わん症治療のため、背中にチタン棒を2本埋め込む手術を受けている。8時間もかかる大手術だった。その5年後にも、その棒を除去するために再手術を受けた。手術なら経験豊富。大丈夫だ。
 彼には、どんな治療にも真面目に取り組む素直さがある。物が壊れたら修理する。体が病んだら治す。几帳面な自閉症の性格なのだろう、本来の健全な状態が、彼には好ましいのである。そのためには多少の苦痛も我慢できるまでに成長していた。
 私の言葉に、本人も自信を取り戻したのか、観念したのか、もう一度「手術しようね」と言うと、今度は首を縦に振ってくれた。

 モトの就職先がようやく決まって、ほっとしたのもつかの間、その4日後には緊急入院で手術という一大試練が待ち受けていた。
 天にも昇る喜びから一気に不安のどん底へ。まるで、ジェットコースターに乗せられて振り回されているかのよう……。

                            

                              (続く)
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自閉症児の母として(16):ジェットコースターに乗せられて②2013年10月24日



「お母さん、入院には付き添っていただけますね」
 初めての医師の診察を受ける時はいつも、問診票に「自閉症のためコミュニケーションが難しい」と書き込んでいる。今回の先生も、息子の様子で判断したのだろう。こちらから申し出るまでもなかった。
 個室に入れるというので、まずは一安心。

 それから、血液検査、心電図、レントゲン撮影などの検査を済ませ、病室へ。
 この市立病院を選んだ理由のひとつは、病棟を建て替えて2年という新しさが気に入っていたのである。受付前のホールには、ドトールのコーヒーショップまであるのだ。

 案の定、病室は、広いトイレも付いた、窓の大きな明るい個室だった。しかも、遮るもののない丘の上に立つ病棟の5階。雨模様でなかったら、窓の向こうに絶景が望めるはずだ。 
 
 息子を置いて、台風が接近する雨の中、自宅にとって返し、当座必要なものを準備して付き添い体制を整える。
 これまで2度の入院では、二人部屋を使わせてもらって、付き添いの私も患者用のベッドに寝ることができた。が、今回はまったくの個室。つまりベッドは一つ。私は簡易ベッドを借りることになる。幅70センチほどの折り畳みベッドと薄い布団。寝返りも打てそうにない。

 モトは、手術に備えて食事はなく、点滴で栄養を取っている。それでも、点滴を止めて、針先を刺したままの腕にビニールをまいてもらって、シャワーを浴びた。
 枕元にテレビもあるのに、わざわざワンセグでテレビを見ている。

手術前夜、ワンセグでいつものテレビ番組を見ていた。


 ときどきふっと手術のことを考えるのだろう、不安そうな表情になる。不安というよりも、緊張なのかもしれない。
「痛くないよ」
「眠ってしまえば、わからないうちに終わるから」
「終わったら部屋に戻るよ」
 ……今までの手術を思い出しながら、二人で何度もおさらいをした。
 安心させること。今の私にできるのはそれだけだ。

 モトは消灯時刻にはきちんと電気を消して、あっという間に寝顔になった。
 簡易ベッドは見かけほど寝心地は悪くなく、私もいつしか寝入っていた。
 ところが、うるさくて目が覚めた。夜半から雨は風を伴い、窓に激しく打ち付けてくる。竜巻が起きたら、この窓も割れてしまうだろうか。なるべく窓から離れるように、ベッドを移動させた。とはいっても、その距離1メートルではどうしようもない。
 見晴らしのいいはずの大きな窓が、今夜だけは災いしている。
 よりによって、台風の夜に入院だなんて……。

 眠れないまま、朝になった。
 台風は去ったのだろうか。雨は止んで、ときどき薄日が差しているようだ。
 カーテンを開けると、予想通りの絶景! 
 目の前には、武蔵小杉の高層ビルが並んでいる。その中央にそびえているのは、なんと半年前までモトが勤めていたビルだった。
 かつての同僚が応援に駆けつけてくれたようで、あたたかい気持ちになった。

病室の窓から。

                              (続く)

                              
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