旅のフォトエッセイCroatia2019 ④続・ドゥブロブニクは☆パラダイス2019年12月01日

 


城壁に囲まれた旧市街は、観光客にとって本当に天国のような街。治安も良く、清潔で、従業員のサービスも気持ちよく……。

そんな体験談をもう少しご紹介します。

 

一日だけ現地のツアーを利用して、ボスニア・ヘルツェゴビナを訪ねる予定にしていました。早朝630分に迎えの車が来るので、ホテルの朝食をとる余裕がありません。

そこで、何か簡単にお弁当の用意をしてもらおうと、フロントに頼んでみました。ところが、このフロントマン、この街では見かけない不愛想な男性です。

ホテルに到着した朝、「チェックインは12時からだ」というので、その時間にふたたび戻ってくれば、「まだだ」と言うだけ。何の言い訳もお詫びの言葉もなく。でも、結局その場で手続きをしてくれて、すぐに部屋に入れたのでしたが。その時から笑った顔を見たことがない。(ラグビー日本代表選手にいましたね、けっして笑わない男。あんな感じ)

とはいえ、彼はお弁当を請け負ってくれました。当日の朝早く、無人のフロントのカウンターの隅には、紙袋が二つ置いてありました。



部屋に持っていき、広げてみました。コッペパンのハムチーズサンド、オレンジジュース、ヨーグルト、リンゴ、バナナ。ありがたいことです。

あら、なぜか片方の袋にはバナナが1本、もう一つには2本……。

あら、なんで? 二人で顔を見合わせると思わず吹き出して、フロントマンの分まで笑わせてもらったのでした。


泊まったホテルは、グランド・ヴィラ・アルジェンティーナ。

旧市街に近く、アドリア海に面して建っており、小ぢんまりとしているけれど、見晴らしは最高です。

部屋のテラスから、夕日が旧市街の向こうに沈んでいくのが見えたり、早朝には、照明がきらめく大型観光船が近づいてくるのが見えたりしたものです。


▼隣のビーチから眺めたホテル。


ホテルの玄関前。道路も狭い▼


 ほとんどは愛想のいいスタッフがいる、ロビーのカウンター▼


部屋のテラスでワインを飲みながら、夕日を眺める。▼

パステル画のような夜明けの空の下、船が音もなくやってきた▼

 

ドゥブロブニク最後の夜は、アルセナルという素敵なレストランへ、ちょっとおしゃれをして出かけました。古くからの建造物の一部を利用して造られたそうで、旧港に面していて、半テラスのような室内からは、一幅の絵のような美しい港の夜景が臨めます。



私たちをテーブルに案内してくれたスタッフは、「真面目な高田純次」といった感じの男性で、黒くて長いエプロンを腰につけて、きびきびと歩き、人懐こい笑顔で、メニューの説明をしてくれます。


厚さ3センチのマグロのステーキは、絶品でした。彼のおススメのココナツパウダーのケーキもとても美味しい。


店内はかなり暗く、壁のアーチの向こうに夜景がきれいに見えました。店の片隅でミュージシャンがヨーロッパの懐かしの名曲を奏でます。なんとロマンチック……♪ 

遠くはるかな天国のような街で、気のおけない友人と旅を楽しんでいられることに、感謝しなくては……。

 

2人の記念写真を撮ってもらおうと、純さん似のスタッフに声をかけました。

港側を背景に、と思い、「こちらから撮ってもらえますか」とタブレットを渡すと、

「まあいいから、私に任せなさい」と、バシバシ撮り始めました。

しかも、テーブル脇に据えられた花を植えたスタンドを動かしてみたり、隣のテーブルから別の色の花を運んできてみたりして、あらゆる角度から、見栄えのするスナップショットをたくさん撮ってくれたのです。彼の仕事ぶりにも、サービス精神にも、頭が下がりました。

帰り際、チップをはずんだのは言うまでもありません。



 

観光客には天国のような街。またしても思いました。

そして、そう思ったのは、もちろん私だけではありませんでした。

 

「この世の天国が見たければ、ドゥブロブニクに行かれよ」

 

先日、図書館で借りた本の中で、この言葉に出会って、びっくりしたのです。

気候温暖、風光明媚なアドリア海沿岸は、古くから、避寒や保養のための場所、観光に適した場所として注目され、発展してきたそうです。

1929年に1週間滞在しただけで、イギリスの劇作家バーナード・ショーは、くだんの言葉を残したのでした。

今では、この国の70%が観光業に携わっているとか。クロアチアの〈おもてなし〉は、年季が入ったものだったのですね。

 

さらに、もう一つの理由を見つけた気がしたのは、城壁ウォークの時に撮ったこの写真です。


 

手前の古い瓦と、向こうの新しい瓦との違いが見てとれます。

 

クロアチアという国は、ヨーロッパの長い歴史の中で、さまざまな支配を受け、戦争を繰り返してきました。国土の形も国家の形式もそのたびに変化しています。

第二次世界大戦後は、チトー大統領がユーゴスラビア社会主義連邦を打ち立て、クロアチアを含む6ヵ国を統合したのです。多民族、多宗教、多言語を内包したこの国は、ガラス細工のような国家だったことが想像できます。それでも、チトー大統領のカリスマが、そのバランスを保っていたのでした。

懸念されたとおり、1980年に大統領が逝去した後、あちこちで内紛が勃発し、ユーゴは崩壊していきます。

クロアチアにも独立運動が沸き起こり、1991年、独立宣言をするのですが、その後もドゥブロブニクは旧ユーゴ軍の砲撃を受けました。100人以上の死者が出て、世界遺産も危機に陥ったといいます。

しかし、旧市街は復旧され、98年には「危機遺産」から除外されました。そのときに、壊れた屋根に新しい瓦が使われたというわけです。

この地で、たくさんの建物が爆撃で壊され、大勢の血が流れた。その証の写真です。

 

ヨーロッパは昔から、隣国と地続きでありながら、それぞれの国では異なる民族が異なる宗教のもと暮らしている。それゆえの争いは絶えず起こり、大きな権力が攻め入ることもありました。

日本人のように、海に囲まれた一定の国土の中で、一つの国家として、長い歴史と伝統を育んできた国民には、理解を越えるものがあります。それを改めて思い知らされました。


ほんの20数年前まで、ここでは戦闘が繰り返されていた。天国のような街で、楽しい旅を満喫しながらも、その事実に目を向けずにはいられません。

瓦は新しくなり、壊れた家は修繕されました。とはいえ、クロアチア人の心の傷は、そう簡単には癒されないことでしょう。

だからこそ、この街は観光客にとって、天国なのではないでしょうか。

多くの犠牲を払い、長い紛争の果てに独立を勝ち取り、ようやく平和が訪れた今、彼らの胸の内には、いまだに乗り越えられない悲しみもあるでしょう。と同時に、平和な営みへの渇望があるにちがいない。天から授かった美しい場所で、世界遺産のこの街で、この地を訪れる人々を誠実にもてなし、観光業を充実させていくことが、彼らの豊かさを取り戻すことにつながるはずだからです。

 

ガイドブックは読んだけれど、クロアチアの歴史をよく知らないまま旅立ってしまった私は、帰国してから、もっと知りたい、と思うようになりました。

こうしてブログに文章をつづるとき、関連する本やサイトを読んでは助けてもらっています。

いつまでも、この地が平和であるようにと祈りつつ。


バーナード・ショーの言葉はこの本に書かれていました。▲

 

 



自閉症児の母として(62):息子の子育てについて話しました。2019年12月14日


 

1211日(水)に、東京都発達障害者支援センターで行われた支援員研修のなかで、自閉症児の母として、お話をさせていただきました。この講演も、ここ数年の恒例となっています。

このセンターは、息子が成人しても通い続けて療育を受けてきた「嬉泉」という社会福祉法人が、都の委嘱を受けて運営しています。まさに息子は療育のモデルそのものなのです。

 

お話しするテーマは、「子育てを通して親が学んだこと」。

つまり、私としては、この施設で受けた療育のおかげで息子がどのように成長したか、親は何を教わったかをお話することになります。

毎年、私がいの一番に伝えたいことは、子どもをあるがままに受け入れる「受容的交流方法」という障害児との関わり方。当時は、まるでイソップ童話の「北風と太陽」のようだと思いました。

息子は、入園したばかりの頃は、朝、登園しても、母親と離れることを嫌がりました。「それなら、お母さんも一緒にお部屋に張りましょう」と先生。

やがて何日もたってから、私は頃合いを見て部屋から出て、窓からのぞいています。「ほら、お母さんはあそこにいるから大丈夫」と、先生は泣いている息子をなだめます。また何日もかけて、その時間を短くしていって、母親と離れられるようになっていったのです。

 

たくさん安心させて、母親や先生に関心を持ってくれた頃に、ようやく声掛けが生きてくる。こちらの言うことに耳を傾けるようになる。言われたことをやってみて、新しい経験をする。自分からその行動ができるようになる。自発的にプライドを持って行動できるようになる。

安心→経験→プライド。その後30年に及ぶ子育てにおいて、この3つのキーワードを実践することが基本であり、何より大切だったのではないかと思っています。

 

前回の講演の直後に、息子は自立という大きな節目を迎えることができました。

2年間、月に一度の宿泊体験を積んだ後、グループホームに入所して、約10か月がたちました。小さな問題はあるにしても、息子本人は、プライドを持って毎日の生活を楽しく送っているようです。

3歳の時からの療育が、実を結んだのです。

今回、そのお話をしました。まさに「三つ子の魂百まで」ですね。

 

後日、研修を受けた支援者の方々の感想が送られてきました。その中で、23歳のお子さんを担当している方が次のように書かれていました。

「お子さまも保護者も、自ら考え選択して生きていくこと、そしてそれを見守る支援者の存在の大切さを学びました」

「発達の土台となる時期でもあり、とても大事な時期に携わっていることを改めて強く意識しました」

私の思いが伝わったのだと思います。

いつかきっと、私の子育て経験が、支援者を通して生かされる日が来ることを心から願っています。






おススメのエッセイ集:『あの日のスケッチ』松本泰子著2019年12月19日

 


古くからのエッセイ仲間でもある友人の泰子さんが、満を持して、エッセイ集を編みました。

 



落ち着いたサーモンピングの表紙を埋め尽くすように散りばめられたイラストは、すべて彼女の次男くんの描いたもの。素敵でしょう!



表紙だけではなく、ページのあちらこちらに、そのエッセイにふさわしいカットが飾られています。オリジナルのしおりまで作って挟みました。

  

ところで、泰子さんとは、20163月にふたりでパリ旅行をしているのです。

その時のエッセイ「女友達との旅」も載せてくれました。そして、そのエッセイには、白ワインのグラスの挿絵が添えてあるではありませんか。

思わず、にんまり……!

あの日の思い出が、シャブリの香りとともに、懐かしくよみがえりました。

どうもありがとう、泰子ちゃん。


 

あの旅のことを、私はほとんど書き残せなかったのです。帰国したその夜に、母ががんに侵されていることを告げられ、それからは超多忙な日々で、エッセイを書く余裕はありませんでした。

でも、今からでも、あの充実したパリの旅を書いておきたい。泰子さんの本を読んで思いました。

私が、エッセイの中でどんな登場をしているのか、って? うふふ、それはぜひ、買って読んでみてくださいな。

 

そのエッセイに限らず、どのエッセイにも、彼女の感性が光り、味わいがあり、同世代としても共感でき、聡明な女性の文章が心地よく胸に落ちるのです。

アマゾンでお求めになってお読みいただけたら、私もうれしいです。

 

また、彼女は、書き溜めたエッセイを本にまとめていく作業を、自分の「エッセイ工房」というサイトに詳しく書いています。エッセイに興味のある方、ご自分も本を出したいと思っている方、必見です。とても参考になりますよ。

こちらもおススメのサイトです。





copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki