続・想像力2021年02月02日


前回の記事には続きがあります。

ヤマザキマリさんの『たちどまって考える』を読んで、想像力の大切さを説いているように感じた、と書きました。

ちょうどその本を読んだのと同じころ、朝日新聞のオピニオン&フォーラムに、「不寛容の時代」と題して、作家の桐野夏生氏が寄稿していました。


 

桐野氏といえば、20年以上前に『OUT』という小説を書いています。パート勤めのふつうの主婦が、何かのきっかけで夫を殺してしまう。その遺体をパート仲間で解体するという壮絶なシーンがありました。登場人物と一緒になって悲鳴を上げながら読み、友人たちと本を回し読みしたものです。すごい作家だと驚きました。女性でもこれだけ凄惨なシーンを書くのだと、半ばあきれ、半ば敬服したい思いに駆られたのでした。

 

新聞の寄稿文では、桐野氏はこんなふうに述べています。

あるインタビューで、「なぜ犯罪者を書くのですか」と問われます。それは彼女自身にもわからない。わからないまま闇の中を進むのも、小説を書くことなのだという。

正義と悪、右と左のように、二元論で語られるほど、人間は単純ではないから、法を犯すという事実を、単なる「犯罪」という言葉だけで片付けて、おもんぱかろうともしない人々は、傲慢で不寛容だ、とも書いています。

 

小説は、自分だけの想像力を育てる。他者と違うことが他者を認める礎となり、他社が取り巻かれている事実をおもんぱかる力を養うのである。それが想像力という力だ。

 

その言葉は、ヤマザキマリさんの言わんとする想像力の大切さと同じなのだと思いました。

そしてそれは、小説を読む醍醐味でもあり、小説愛好家へのエールにも思えたのでした。

赤い文字は、ほぼ原文のまま引用させていただきました)


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