ダイアリーエッセイ:次男の20歳の誕生日に ― 2015年01月18日
昨年暮れ、一つ年を取ったとたん、どうもいいことがない。
母が入院。私も初のインフルエンザにかかった。
私のクレジットカードが不正に使われた。
年が明けてからも、家族3人、同時に熱を出して寝込んだ。
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こんな時期に、今日発表の年賀はがきのお年玉が当たるはずはない。
案の定、私あての100枚余りは総ハズレ。前代未聞のことだ。
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今日までは、運勢最悪の低迷期とあきらめ、これから上昇するのだと思うことにしよう。
今日は、めでたい次男の20歳の誕生日だ。
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次男は震災の翌日に生まれた。誕生したその日から、テレビの映像は大災害のニュース一色。そして毎年、誕生日が近づくたびに、震災の節目として、被災した方々のことを想わずにはいられない。
そのせいもあってか、誕生日には次男の成長を手放しで喜ぶよりも、子ども一人を育てる苦労をかみしめる思いが先に立つような気がする。
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今年はとくに阪神淡路大震災から20年の節目で、特集番組なども例年以上に多かった。ひと口に20年といっても、被災者の方々にとっては途方もなく長かったという。
もちろん、一緒にすることはできないが、私にとっても長い20年だった。迷い、悩み、苦しみ、そして後悔……、その繰り返しだった。
だからこそ、うれしいことがあったときには、何倍にも喜べる。この子の母親でよかったと思えるのだ。
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ところで、今日の午前中、ブログを開くと、アクセスカウンターに3が5つ並んでいた。3は私の一番好きな数字。単純な私はこんなことが無性にうれしい。
次男の誕生日、運命の女神さまがようやく目を覚ましてくれたのかも。

