皆さまへ 年賀状にて ご挨拶 ― 2017年01月02日
自閉症児の母として(39):放課後等デイサービスのスタッフの皆さんとともに ― 2017年01月07日
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昨年12月の暮れも押し詰まった29日に、障害児向けデイサービスの現場で、自閉症児の母としてお話をする機会をいただきました。そのひとときが私の「仕事納め」となりました。
放課後等デイサービスという言葉をご存じでしょうか。
じつは、私はこの時、初めて知ったのでした。
障害のある小学生・中学生の子どもたちを放課後や休日に預かって、発達改善や社会適応を目的として、電車やバスの乗り方や買い物のしかたなどを訓練するもので、5年前に始まった制度だそうです。
長男が子どもの頃には、デイサービスなど何もありませんでしたから、世の中の変わりようを実感します。
私が訪ねていったのは、ボランティアを通して知り合った友人が運営する川崎市内のデイサービス。数名のスタッフは必ずしも障害の専門家ではありません。毎日、自閉症の子どもたちと関わるうえで、困ったり悩んだりされているとのこと。
とはいえ、私ももちろん専門家ではない。療育に通った自閉症専門の施設の先生方から教わった知識と、それを頼りに一人の自閉症児を育てた経験があるだけです。それらが何か解決のヒントにでもなれば、と思いました。
私の自閉症児の子育てを振り返ると、3つのキーワードが浮かびます。
たくさん安心させて、いろいろな経験をさせて、プライドを持って生きるように育てていくこと。
30年間の話をざっとそんなふうに総括したあとは、皆さんからの質問を聞いて、皆さんと一緒に考えてみました。
たとえば、こんな質問が出ました。
Q:中学生のA君は、毎日通ってくると、以前は「こんにちは」と挨拶していたのに、どこで覚えたのか、「お久しぶりです」と言うようになってしまいました。どうしたらいいでしょう。
毎日会っているのだし、昨日から一日しか経っていないから、「久しぶり」ではおかしいですね。ちょうど、今は冬休み。休み明けには皆で「お久しぶりです」と挨拶をする。翌日からはまた「こんにちは」に戻る。それを実際にやってみてはいかがでしょう。
さらに、1日だけと、冬休みの6日間との違いを、カレンダーで視覚的に見せたりすれば、理解しやすいのではないでしょうか。
Q:別の中学生のB君は、気に入らないことがあると、「ぶっ殺してやる」とか「やっつけに行こうぜ」などと汚い言葉が口をついて出るのです。どうやって止めさせたらいいでしょうか。
B君は、それを口にすることで、心のもやもやを解消しているように思えます。自分からは不満をうまく伝えられないから、そんなすごい言葉で表現しているのかもしれません。とはいえ、こんな言葉を吐いていたら、周りの友達からも嫌われて、B君自身がかわいそう。まずは、彼の悩みを聞いてあげて、気に入らないことを解決してあげられたらいいですね。
それが難しいようなら、汚い言葉を止めさせるのではなく、代用品を与えてみる。つまり、別の言葉……例えば、CMのキャッチコピーとか、早口言葉とか、アニメキャラクターの決め台詞とか、彼が好きな歌の一節を歌うのもいい。周りの大人が率先して、代用品を口にするのです。
なにか、B君が汚い言葉を忘れるきっかけにならないでしょうか。
イソップの「北風とお日様」の寓話のように、無理に旅人のマントをはぎ取ろうとしても失敗します。温かい安心を与えて、脱いでもらいましょう。
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ところで、昨日のNHKニュースで、この「放課後等デイサービス」の制度について取り上げていました。(NHKニュースのサイトをご覧ください)
少しずつでも、この制度が整っていき、障害児とその家族の支援に役立っていくことを願っています。障害児を苦労して育てた、一先輩母の思いです。
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ダイアリーエッセイ:22年目の今年も ― 2017年01月17日
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22年前の早朝、「淡路島で大きな地震が起きたらしい」とその一報を聞いたのは、産科のベッドの上だった。空腹と、点滴の針の痛みと、ニュースの恐怖とで、一瞬ふらっと貧血状態になったのを今でも覚えている。
陣痛が始まって夜中に入院。結局、次男が生まれたのは翌18日だった。
入院中、どのテレビからも、地震のすさまじさを物語る映像ばかりが映し出されていた。
同じ病室に、横倒しになった高速道路のすぐそばに実家がある、という人がいた。幸い家族は無事だったけれど、里帰り出産していたら、今ごろどうなっていたか……、と話していた。
退院後も、育児のかたわらで、泣きながら報道を見続けた。
6434人が亡くなり、私は一つの命を授かった。その現実を想いながら。
だから、次男の誕生日は、阪神淡路大震災の記憶の節目とともにあって、どちらも忘れることはない。
……と、私は毎年のように、年の数だけ増やして、ほぼ同じことを書いている。思いは変わらないし、変わってはいけないと思うのだ。
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第156回直木賞、速報! ― 2017年01月19日
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以下の候補作品の中から、②が受賞しました。
① 冲方 丁『十二人の死にたい子どもたち』
② 恩田 陸『蜜蜂と遠雷』
③ 垣根 涼介『室町無頼』
④ 須賀 しのぶ『また、桜の国で』
⑤ 森見 登美彦『夜行』
おめでとうございます。
いつも女性作家を応援しているので、今回はぜひ、『夜のピクニック』の恩田さんに受賞してほしいという思いから、『蜜蜂と遠雷』を電子本で読んでいるところでした。
残念ながら、まだほんの少し読み始めたばかりですが、とりあえず予想的中ということで喜んでいます。
続きを読む楽しみも倍増しました。
物語はピアノコンクールのシーンから始まります。
音楽というものが言葉で表現される。当然のことながら、その魅力にひかれつつ読み進んでいます。
皆さんも、読んでみませんか。
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ダイアリーエッセイ:結婚式前夜 ― 2017年01月20日
明日は、娘の結婚式と披露宴が行われる。
入籍も、新居への引っ越しも、新郎新婦の前撮り撮影も、すべてすんで、一人娘の結婚というイベントは、いよいよ明日がグランドフィナーレだ。
この日まで、本人同士で何でも決めてきたことだから、親の出番はほとんどなかった。
私はせいぜい、新婦の両親としての衣装を整える。
それも終わった。二人とも、床屋さんと美容院にも行ってきた。
息子二人の正装の用意もできた。
黒いスーツに白いワイシャツ、白いネクタイ。黒い靴下と革靴。
男の子の衣装は味気ない。
間違えないように、胸のポケットには名前のメモを差し込んだ。抜かりなく。
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そして、この二人がカノジョを連れてくる日があるのだろうか、と思う。
これが最初で最後のわが家の結婚式かも……?
娘たちは式場で最終準備を進めていた。
最後まで、もめていることもあるようで、心配は尽きないけれど、人生の旅はこれから。一歩離れて、あたたかく見守ってやらなくては。
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アクセス50,000回を達成! ― 2017年01月24日
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おかげさまで、娘の結婚式は、無事に終えることができました。
昨日、まだ余韻に浸っているさなか、ブログのアクセス回数が50,000ヒットを超えました。
皆さまから思いがけないお祝いをいただいたようで、喜びの気持ちでいっぱいです。
♡どうもありがとうございます♡
娘の結婚は、当日のセレモニーだけではなく、私自身の長い人生の大きな節目でもあるのです。その意味で、私はきちんと向き合ってきただろうか、と考えるとき、後悔にも似たさみしさがこみあげます。
ともかくも、書き残しておかなくては……。
少しずつエッセイに綴りながら、写真とともに、皆さんに読んでいただければと思います。
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フォトエッセイ:花嫁の母として① ― 2017年01月27日
前日は雪のちらつく曇天だったのに、翌朝目覚めると、抜けるような空に日の光が満ちていた。
横浜の馬車道駅から地上に出れば、みなとみらい地区は、真っ青な空と海と、踊るような風。
すべてが祝福してくれているようで、私も心が浮き立つ。
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私が人の十倍泣き虫なのを知っている親しい友人からは、
「絶対泣いたらダメ。新婦の母は意外と注目されているのだから、泣いてメイクが落ちたりしないように。気持ちを強く持っていれば、大丈夫」
と、くぎを刺されていた。
彼女の言いつけを守り、泣かないという強い強い決意のもと、式場に足を運んだのだった。
とにかく、新婦の母は忙しい。
メイクとヘアブローは、鏡の前で同時進行。それが済むと、狭い個室で留袖の着付け。これも二人がかりだ。どのスタッフからも「本日はおめでとうございます」の挨拶を受ける。にこやかに丁寧にお礼を言う。もう、それだけで非日常の世界である。
打ち合わせはいっさい二人に任せていたので、前日や当日になって段取りを聞かされることも多かった。
私の支度が整うと、まず新郎新婦の控室へ。娘は、長いウェディングドレスのすそを丸め込むようにして、鏡の前に腰かけていた。ドレスは試着のときに見ているのだが、それでも、この日の晴れ姿を一目見ただけで、ぐっとくる。
涙は、ぐっとこらえる。
幸い、プロのカメラマンがいて、パシパシと撮り続けている。ビデオカメラも回っている。気持ちが緩むことはない。
「とても綺麗よ」と私が言うと、
「お母様に似て」とカメラマン。
「はい、そうですね!」と返して、笑いを買う。
泣かないためには、お笑いモードでいるしかない。
そして、私が紅筆を持ち、娘の唇に仕上げの紅を置く。
カメラを意識しながらも、緊張と、感激と……。二度とない、貴重なひとときだった。
新婦が父親にエスコートされてバージンロードを歩み始める前に、母親が新婦のベールを顔にかけるという小さな儀式がある。それはずいぶん前に娘に言われ、何でもやるわよ、と喜んで引き受けていた。
ところが、リハーサルのときに、スタッフから、
「その際、ひとことお声をかけてあげてください」
と言われたのである。
さて何と言おうか。頭の中には言葉がぐるぐる、胸ドキドキで考える。
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(何を言ったかは、ヒミツ……)
もう感動で胸がいっぱい。お役目がすんで、列席者の最前列に座ると、早くも涙がこぼれてしまった。
それでも、二人の「人前(じんぜん)結婚式」をきちんと見届けなくては、と思いながら、涙をふいた。
〈続く〉