ダイアリーエッセイ:オリエンタルリリーが咲いて ― 2017年05月31日
母の日に、息子たちがプレゼントしてくれた鉢植えのオリエンタルリリー。10日ほどして、ようやく咲きそろってきた。
花は小ぶりだが、八重になっていて、思わず目を引く。ユリの中でも珍しい。
私は、子どものときから、体が小さかった。背丈はいつも、クラスで前から3番目以内。チビと言われるのが嫌で、背の高い人がうらやましかった。
そんな私を慰めるつもりか、母はよく、
「山椒は小粒でピリリと辛い」と言った。
だから何なの、と反発を抱くこともあった。私は山椒ではない。辛いことが人を褒める言葉とは思えなかった。
なぜ小さいことがコンプレックスだったかと言えば、小さいと年下に見られる。自分の年相応にふるまっても、生意気に見られてしまう。
中学の部活動で、私の話したことに対して、先輩の男子生徒から言われた言葉を、今でも忘れない。
「おまえは、こまっしゃくれてるな」
思わず、どういう意味ですか、と聞き返した。つまり、小生意気だということらしかった。同じことを背の高い生徒が言ったら、印象は違うのだろう。神さまは不公平。なぜ私はチビなの。そんな気持ちがあった。
それでも、コンプレックスをエネルギーに換えて、小さくても中身で勝負、人の良し悪しは背の高さとは関係なし、とチビを跳ね返すように、がんばっていた。
小生意気に見えたのは、なにも、すべて背が小さいせいではなかっただろう。子どもっぽい顔つきだったこともあるかもしれない。
チビだと言われて反発するのも、生来の性格や、4人きょうだいの中でもまれ育った環境なども一因だったかもしれない。
でも、やがてコンプレックスは薄らいでいった。ある大事なことに気づいたのだ。どうやら男の子たちは、小さい女の子が嫌いではないということ。
そして、オバサンと呼ばれるようになると、さらに大事なことに気づく。小さいと年下に見られる。……うれしいことではないか! ようやくチビが報われる時が来たのだ。
とはいえ、チビに生まれたことは、その後の私の人格形成に少なからず影響を与えているらしい。チビへの反発心や負けん気が、ピリリとした辛さになった。やはり私は山椒だったのである。
小ぶりのユリは、花びらを重ねて、見る人を魅了する。
小柄な女性は、幻の若さをまとって、見る人の目をくらますのかも。
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