「がらくた」を聴いて♪2017年11月01日

 

10月は、公私にわたり、忙しくて目が回った。

そういう月は、たいてい月末に熱を出す。10月もそうだった。

夏には原因不明の発熱で不安だったけれど、今度は風邪の症状もあって、ちょっと安心。

ようやく治って、さて11月だ! しょぼくれてなんかいられない。

もうすぐ東京ドームが待っているのだ。



 

桑田佳祐とは、因縁のファンだと勝手に思っている。ブログにもさんざん書いてきたので、今日は割愛。

彼のソロ活動30年目を期して作られた渾身のアルバム、『がらくた』の話。すでに、このアルバムを引っさげて、全国ツアーが始まっている。

 

私はこの夏、リハビリ病院に入院する母のもとへ、週に一度は通った。往復4時間近く、中央高速と圏央道のドライブで、このアルバムを聴き続けた。ざっと計算しても、リピート30回は優に超えている。

その15曲の中で、初めて聴いた瞬間から、気に入った曲はいくつかある。でも、何度か聴いているうちに、最初の感動は薄れる。しかし、何度聴いても、そのたびに斬新な曲想に魂を揺さぶられる曲が、一つだけあった。

「簪/かんざし」である。

イントロからしてどうだ。ピアノのメロディラインは予想をかわしてくる。

あっという間に引きずり込まれてみれば、そこに広がっているのは、大正ロマンのような、昭和モダンのような、セピア色の男と女の危うい世界。

かと思うと、ジャズだとかブルースだとか、曲調も少しずつ変化して、アンニュイなムードに酔わされる。

そして、彼の表情豊かな声音(こわね)のなかでも、私の一番好きな色の声がおおいに突き刺さる。

さらに、脱帽なのは、その歌詞。

 

鉛色の空の下 うんざり晴れた世の中

 

このフレーズには、参ったなあ、と思った。

私も、こういう感覚のエッセイが書きたい。書いたら、うん、わかるわ、と言われてみたい。

ちなみにこの曲は、「真夏の果実」に勝るとも劣らない名曲だと私は持っているのだが、いかがなものであろうか。

 

他の曲だって、つまらない曲は一つもない。上質ながらくたたちだ。

けっして目新しくはないけれど、「大河の一滴」

私も若いころは、よく渋谷の駅のホームで待ち合わせをしたっけ。山手線だとか、ラケルだとか、歌詞のひと言ひと言で、瞬時にしてあのころの思い出が立ち上がる。その懐かしさを、アコーディオンの音色が逆なでしていく。

 

もう一曲、やはりアップテンポの「オアシスと果樹園」

JTBCMのために作られたそうだが、じつに旅ごころを刺激してくる。JTBさんもいい曲を作ってもらったものだ。

これも大好きで、聴きすぎたせいか、思わず国際航路を利用する旅の予定まで立ててしまった! 曲の効果絶大。でも、JTBは使わずに……。JTBさん、ゴメンナサイ。

 

以上は、音楽評論でも何でもない、私個人の感想。

さて、予習はこれでばっちり。12日の東京ドームに、がらくたたちに会いに行く。「オアシスと果樹園」のビデオの中で、彼が来ていたシャツと同じデザインのTシャツも用意してある。

あとは、風邪で痛めた喉をきちんと治しておこう。


 



 



ダイアリーエッセイ:神奈川県立音楽堂へ2016年01月30日


じつは1週間前の話で恐縮です。

 



123日、神奈川県立音楽堂で行われた「沖仁con渡辺香津美」のライブに行ってきました。

フラメンコとジャズ、それぞれのトップギタリストのデュオです。一人だけだってすばらしいのに、それが二人でセッションするのですから、なんと贅沢なパフォーマンスでしょうか。112ではなく、3にも4にも、無限に膨らむかのような演奏でした。


渡辺さんは、私と一つちがいのお年。だから、MCにも、演奏の中にも、昭和の香り懐かしい言葉や曲が飛び交うのです。トワイライトゾーンのテーマ、007のテーマ、スモーク・オン・ザ・ウォーター……。懐かしすぎて、ハートが引きつりそうでした!

 

そしてもうひとつ、大感激だったのは、この開館60年になる神奈川県立音楽堂は、私も50年近く前にステージに立ったことがあるのです。

当時中学生の3年間、吹奏楽部に所属して、フルートとピッコロを吹いていました。市内中学校の合同音楽会が、毎年このホールで開催されていたのでした。(現在も、このホールで開催されているそうです)

その頃、私はトランペットの先輩に片思いをして……。それは私の「公認」の初恋だったのです♡

まさか音楽堂が当時のままだとは思わなかった。びっくりポンです。

沖仁さんのMCによれば、このホールの音響は東洋一だとか。ちょっとうれしくなりました。

 

最後は二人がギターを弾きながら、客席まで降りてくるという大サービス!

ギターの音色って、とてもSEXYです。ハートがぴっかぴかになりました。今思い出しても、ドキドキ……。



 

    明日はこのCDが届く予定です。楽しみで、ドキドキ……。







サザンオールスターズの東京ドーム公演へ!2015年05月28日

忙しいとかなんとか言いながら、いやいや、忙しいからこそ、走りつづけるためには目の前にぶら下げておく人参が必要なんです。とかなんとか言い訳しながら、サザンのライブの切符をゲットし、おとといの夜、行ってきました。

半年前の年越しライブには、長男モトを連れていけなかったけれど、今回は一緒です。

サザンフリークになったのも、彼が歌った〈TSUNAMI〉がご縁だったのですから。

事前に送られてくるチケットに座席番号はなく、ゲートで初めて照合してもらうのですが……

な、な、なんと、広いドームの広いアリーナ席の前から15番目の席!!

ライブにはこれまで10回近く足を運んでいるけれど、こんなにステージ大接近はもちろん初めて。うれしくて気絶しそうでした。

が、一抹の不安は的中。ちびの私は、前の人たちが立てば、ほとんど見えなくなってしまう。結局はほとんど大きなスクリーンを見ていました。

それでも、爆音とともに炎が上がれば熱さを感じるし、頭上からは金銀のテープが舞い降りてくる。ほんのわずかな間でも、皆が着席すれば、ステージの人物も肉眼で見ることができます。やはり、迫力が違います。

まだ、ライブツアーは続くので、ネタバレはできないけど、一つだけ。

今回の「葡萄」という新しいアルバムには、〈Missing Persons〉という曲があります。

必ず最後は逆転勝利へ

……

Megumi, Come back home to me.

拉致被害者が早く帰国できるようにと、外交にはっぱをかけるロックです。

もちろん、このステージでも、パワフルに歌い上げていました。

いいぞ、桑田くん!

そして、最後には、ステージの向こう側から、全員で記念撮影。

私は写真の右側、鉄塔のそばに写っているはずです。

さてと、次の人参は何にしようかな……!





ダイアリーエッセイ:「花は咲く」を歌う2015年04月07日

次男は高校を卒業して2年になるのだが、母親の私は、今でも保護者会のコーラスグループに所属している。

週に一度、お腹の底から声を出すことが、私の唯一の健康法なので、そう簡単にはやめられない。

今日は、冷たい雨の降るなか、中学・高校の入学式が行われた。
生徒たちが退出した後、新入生の保護者に向けて、コーラスを披露する。

歌ったのは、東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」。

  真っ白な 雪道に 春風香る

  わたしは なつかしい

  あの街を 思い出す

  

     …………

    花は 花は 花は咲く

    いつか生まれる君に

    花は 花は 花は咲く

    わたしは何を残しただろう

私の大好きな歌だ。心を込めて歌うと、かならず涙が出る。

震災後に訪ねた東松島の変わり果てた姿や、被災地の人々の笑顔が浮かんでくるのだ。

だから、ステージの上では、まず音に集中する。

昨日までの暖かさで、この辺りの桜は散り急いでしまったのに、正門のそばの1本の木だけは、新入生を待ちわびていたかのように、まだきれいなままの枝を広げていた。

 




桑田くんは、やんちゃ坊主な弟みたいで2015年01月16日



サザンオールスターズの年越しライブで、桑田くん、紫綬褒章受章の報告態度が悪かった、などとさんざんやり玉に挙がったようですね。もっとも、賛否両論あって、あちこち物議を醸しているようです。

私はそのライブを客席で楽しみながら、きっと何かやってくれるだろうとは思っていました。でも、そこまでやっちゃっていいの、言っちゃっていいの、と心配になったのも事実です。

今日、謝罪のコメントを発表したのですから、とりあえずは一件落着。私も静観していようかと思ったけれど、やはり、悪ふざけの過ぎた弟をかばう姉のような気持ちになって、ひとこと言いたくなりました。

たしかに、せっかくいただいた紫綬褒章に対して、お行儀の悪いジョークだったかもしれません。

しかし、今回の受章は、彼のこれまでの音楽活動に対してのものです。ということは、彼の創りだす音楽のみならず、その生き方も人柄も、それを支持する多くのファンも、すべてひっくるめてご理解なさったうえでの人選ではなかったのでしょうか。

サザンが37年前、ランニングシャツにランニングパンツという姿で、唾を飛ばすように「勝手にシンドバッド」を歌ってデビューして以来、今日までずーっと、彼はエッチな歌を歌いつづけ、目を背けたくなるようなふざけたいでたちでステージに立ち、ときには美しいメロディーで観客を魅了し、ときには世の中を斜に見据えた反骨精神の歌詞を投げつけ、並外れた歌唱力でロックをさく裂させてきました。今回のライブでは首相本人を前にして衆議院解散を批判した替え歌を披露しました。

そしてなお、どんなときにも愛を歌い、やさしさを忘れないアーティストです。だからこそ、日本のトップミュージシャンとして走り続けていられるのでしょう。

ライブでの悪ふざけは、照れる気持ちを隠すための彼特有のやりかたです。

それらすべてが、彼にしか表現しえない大衆芸能的ミュージックの桑田ワールドだと思うのです。そのすべてが授章の対象となったのではありませんか。

立派な褒章をいただいたのだから、悪ふざけはやめて優等生になりなさい、というのでは、アーティスト桑田をやめなさい、というのと同じです。

おりしも今、世界中で「表現の自由」が叫ばれています。

子どものころから落ち着きのないやんちゃ坊主だった桑田くん、これからも変わらずにやんちゃなままでいていいですよ。

エリー姉さんが空の上から見守っていることでしょう。

下界のお姉さんたちだって、ずっとあなたの味方ですからね。

 



ダイアリーエッセイ:遅ればせのサザン年越しライブ報告2015年01月09日

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


暮れには、母が入院し、私がインフルエンザに倒れ、万事休すの日々でしたが、ジコチュー主婦に徹し、大みそかには復活して、予定どおりサザンオールスターズの年越しライブに行くことができました~



NHKの紅白歌合戦には、横浜アリーナからサプライズで登場。2階席にいた私も、きらめく光の一つとして、初出場を果たしましたよ。


 

「皇居に出向いた話」もありまして、本物かどうかはわかりませんが、紫綬褒章を持ち出して、桑田くん特有のギャグにしていました。これには賛否両論あるようです。

「ラブユー東京」の替え歌で「ラブユー紫綬褒章」を歌い、「紫綬、紫綬、みんな~の紫綬褒章~♪」というサビは、大いに会場が湧きました!

 

デビュー曲の「勝手にシンドバッド」の途中から年越しのカウントダウンが始まって、ノリノリのうちに新年を迎えました。 

天井からたくさんの風船が下りてきて……


会場みんなで「一月一日」の歌を大合唱♪♫~

最後の曲は、「Oh! クラウディア」。涙を誘われて感極まったところで、深夜1時ごろ、おひらきとなりました。

 

浮き立つハートのまま、終夜運転の市営地下鉄に乗って、途中まで帰ってきたものの、そこから先の私鉄の上りは、4時まで待たないと始発が出ないというのです。一緒に誘ってくれた友人は、最終の下り電車が間に合い、帰っていきました。

しかたなく独りタクシー乗り場に並びました。すでに長い列……。20台は待つことになりそうです。それでも、次々と来るだろうと、高をくくっていました。

が、予想に反し、タクシーは来ない。30分たっても、列は半分にも減ってくれない。ときおり冷たーい北風が吹き、雨の予報だったにもかかわらず、頭上には星空が。じっと待っていると、体の芯から震えてきます。

家で寝ている娘のことが脳裏をかすめます。車なら、自宅からは15分ほど。とはいえ、さすがにこの真夜中に娘を呼び出すことはできません。

もうちょっとでタクシーに乗れる。大丈夫、きっと待てる……。

そこでこらえきれずに、このライブのために用意したグッズを取り出しました。羊の顔のフードが付いたケープです。


今回のライブのタイトルは「羊だよ、全員集合!」。そこで、羊のスタイルで参戦したのです。ちょっと恥ずかしすぎて、オバサンが着ている姿はお目にかけられませんが……。

この顔の部分は折りたたんで、ダウンコートの上からショールのように巻きつけて、寒さをしのぎました。

真冬の夜空の下、待つこと1時間20分。羊がいなかったら、本当に遭難していたかもしれません。

 

翌朝、娘にその話をすると、「電話してくれたら行ってあげたのに」とあっさり言われました。なあんだ、頼ればよかった。

そうそう、「情けは人のためならず」ですものね。

 

今年も、皆に甘え、皆に支えてもらって、やっていきましょう。

元旦夜明け前の教訓でした。


 

 

 


PRIDE2014年05月23日

長いこと彼らのファンだった。長男が生まれたころから、車の運転中はいつも彼らの曲をかけていた。

 

12年前に書いた「恋の歌」というエッセイの一節である。

彼らというのは、ほかでもない CHAGE&ASKA

今でも、同じ思いだ。

 

なんといってもASKAが好きだった。

その声も、作り出す歌も、クリーンでまっすぐな人間性も。

 

私のエッセイは、さらに続く。

 

長男は、3歳のときに自閉症と診断された。まだ生後2ヵ月の長女も連れて、療育施設へ通い始める。その往復にも彼らの歌を聞き続けた。意味のある言葉に慰められるというよりも、ビートの効いたロックや恋のバラードで魂を揺さぶられ、そこに生じるエネルギーで日々の子育てを乗り切っていたような気がする。

 

あの苦しかった時代に、私の大きな支えだったのだ。

 

いつか生のステージを見てみたい。行くなら息子と二人で。そう心に決めていた。

 

息子が15歳になったとき、その夢がかなった。彼らをまねて、二人とも黒ずくめのいでたちで、横浜アリーナのコンサートへ、腕を組んで出かけた。

 

懐かしの曲も、最近のお気に入りも、いっしょに歌い、ハートが熱くなる。そして、甘くやさしいありふれた恋の歌が始まったとき、ふと思った。

息子は、本当なら好きな女の子でも連れて、恋の歌を聞きに来るんだろうに……。いつまでもこの母親といっしょなのだろうか。いつまで私はこの子の恋人代わりでいられるのだろうか……。

不覚にもぽろりと涙がこぼれた。

 

この数年前にも、「プライド」というエッセイを書いている。

 

だれかが歌っている。眠りの底のわずかな意識でそれを聞いていた。

 

  伝えられない事ばかりが

  悲しみの顔で 駆けぬけてく

 

だれだろう……。ああ、息子の声だ、隣の部屋の……。一人でじょうずに歌ってる……。

 

  心の鍵を壊されても

  失くせないものがある

  プライド

 

チャゲ&飛鳥の「プライド」だ。こんなにいい歌だったなんて、今まで思わなかった。母親が運転中にかけるCDの曲を、息子は歌詞カード片手に聴いて、暗記してしまうらしい。午前6時まであと少し、ベッドの中で息子の独唱に聞き入っていた。彼がまだ小学校1年生のときのことだ。

 

自閉症の息子は、難しい歌詞を覚えてしまうほどの能力がありながら、言葉を使ってコミュニケーションをとるという社会性が育たない。

エッセイはさらに、小学校5年生のときのエピソードがつづられる。2泊の自然教室に参加したのだが、学校側の配慮で、女性の先生方の部屋に寝かせてもらった。

 

11時には寝てました。でも、起きたのは3時半。カーテンをぜんぶ開けて、『自然教室終了まで、あと36時間30分!』ってアナウンスするんです」

 先生が、もうちょっと寝てようね、と言うと、はーい、と布団を被るのだが、しばらくするとまたがばと起き出してカーテンを開けて「終了まで○時間×分」の繰り返し……。

 もうしわけなくて言葉もなかった。

 息子の障害は、相手の心が見えないところにある。目の不自由な人が触覚や聴覚を頼りに歩いていくように、息子も、手探りの体験を通して、人の心がわかる術を少しずつ覚えていかなければならない。

 でも、何より大切なのは自分の心。見失うことなく、プライドを持って生きてほしい。

「プライド」を聞くたび、凛とした気持ちで息子の将来に目を向ける勇気が湧いてくる。

 

やがて息子は立派に成長し、プライドを持って働けるようになった。

たくさんの人々、たくさんの歌に支えられて、がんばってきたのに……。

 

勇気をくれたはずのASKAは、いつのまに、プライドを失くしていたのだろう。

 


「ピースとハイライト」2013年08月15日


去る11日、サザンオールスターズのライブに行ってきました。
5年ぶりに活動を再開した新曲は、「ピースとハイライト」。近隣の国々との摩擦を憂いたメッセージソングです。



今日は、終戦記念日。
ブログの書き出しは「ピースとハイライト」の歌でいこう、と考えていたのですが……

先を越されてしまいました。
いえ、競う相手ではありません。
朝日新聞の本日の社説「戦後68年と近隣外交―内向き思考を抜け出そう」の冒頭が、まさにサザンのこの歌でした。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?ref=com_top_pickup
わかりやすい解説です。読んでみてください。

今、唯一の被爆国であり、戦争放棄をうたう日本という国が、その根本から変えられようとしています。
日本はどんな国家を目指していこうとしているのでしょうか。
憲法を改正してまで本当に軍事力が必要なのでしょうか。
平和外交だけでは日本の国益は守れないのでしょうか。
この先も平和を守っていくためには、たくさんの課題があります。
私たち、一人ひとりが考えていかなくてはなりません。政治家に任せていたら、取り返しのつかないことになりかねない。

いつまでも、好きなことを楽しんでいたい。
子どもたちも、そうであってほしい。戦争に行かせるつもりはありません。

ライブ会場の日産スタジアムには、7万人のファンが集い、サザンと一緒に歌い続けました。
平和をかみしめた暑い熱い夜でした。



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ダイアリー・エッセイ:心と体2013年04月22日

23日前から、新たな腰痛に悩まされている。
股関節がゆがんでいるらしい。以前は左が悪く、カイロプラクティックに通い、ようやく治ってきた矢先、今度は右だ。
手の関節炎もますますひどくなるし、顎関節まで痛んで、固いものは食べられない。
骨格年齢というものがあるとするなら、私のは80代ぐらいだろうか。

朝から痛かった。めざましテレビの占いも、いて座最下位だ……
それでも、今日はコーラスの練習日。腰にサロンパスを貼り、ペタンコの靴を履き、腰をさすりながら、車で出かけた。この座る姿勢というのも意外と痛む。

下手の横好きのコーラス。私にとっては、唯一の健康法といっても過言ではない。
おなかの底から思い切り声を出すことの心地よさといったら……!
今日はステージさながらの立ち練習だ。
もっか練習中なのは、「瑠璃色の地球」。あの松田聖子ちゃんの持ち歌が、感動的なコーラスバージョンに編曲されている。
ほかにも英語の歌や、聖母マリアの歌も歌って、2時間。気分のいい疲労感で、喉はガラガラ、おなかはペコペコになる。

とそのとき、うれしいハプニングが。
2014年新春、みなとみらい大ホールで歌う「第九」の大合唱に、お仲間が誘ってくれたのである。
いつか第九を歌いたい……コーラスを始めたときからの夢だった。
文字どおりの歓喜の歌だ!!


その後、青空の見えるお店で、気の合う友人たちとおしゃべりをしながら、サラダランチを食べ、コーヒーを飲み、夕飯の買い物をして帰宅。
気がつくと、腰痛は収まっていた。

心と体は、1本のロープの両端についているおもりのようなものだ。体が悪くなれば、心も引きずられて落ちてくるし、心がうきうきと浮上すれば、体もつられて軽くなる。
あたりまえのことを、あらためて実感した。
どちらもふわふわ雲の上だったら一番いいのだけどね。

そして、いて座最下位の日には、うれしいことが起きる。ジンクスを打ち立てよう。





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春のエッセイ:「桜の咲くころ」2013年04月05日



 桜が咲いて、かわいらしい新しい小学生が登校していく季節になると、いつも長男のときのことを思い出す。

 

3歳で自閉症の診断を受けた息子は、療育施設に4年間通ったあと、地元の小学校の普通学級に入ることにした。

入学式の翌日、息子の登校に、私もついていった。すると、学校に向かう道をわざとそれようとする。学校に着いても校門から入ろうとしない。挙句の果てに、しくしくと泣き始めてしまった。

新しい場所で、見知らぬ大勢の子どもたちがいて、彼には不安なのだ。

門の脇には桜の木が一本。はらはらと花びらが散る中で、ランドセルを背負ったまま寝そべって泣いている。なんと悲しい新入生なのだろう……。

なんとかなだめすかして、昇降口まで連れていき、クラス担任の三木先生に引き渡す。ベテランの先生は、気負いもなく、「心配いらないわ、お母さん!」と明るく言ってくれるのだった。

そんな日が1週間続いたある朝、息子は何の抵抗もなく校門を入り、昇降口に向かった。驚いていると、迎えに出てきた先生が種明かしをしてくれた。

「音楽室でアコーディオンを見せたら、目の色が変わったのよ」

どうやら、テレビで見たことのあるアコーディオンを実際に触らせてもらい、音を出してみたら、面白かったのだろう。その日からぴたりと、「学校には行かない」と口にしなくなった。それからしばらくのあいだ、音楽室に日参したらしい。

三木先生は、40人もの子どもたちを抱えながら、息子とも上手に関わってくれた。本当は大変だっただろうに、私にはそんなそぶりも見せなかった。

 

その後、息子は5年生のときにエレクトーンを習い始める。そして、26歳の今でも毎週レッスンに通っている。腕も上がり、レパートリーも増えた。

障がい者の息子が音楽の趣味を持てたのも、あのときの三木先生のおかげ……と今さらながら思っている。



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