お酒のエッセイ №3 「安兵衛で年越しを」 ― 2011年12月27日
クリスマスも終わり、今年も残すところあと5日となりました。
この時期になると思い出す大晦日があります。古き良き昭和の時代、携帯電話もインターネットも存在しなかったけれど、十分に楽しかったころの懐かしい思い出です。
当時、その晩のことをつづったのが、このエッセイです。
もう27年も前になるのですが、日本航空の機内誌『WINDS』で、「私の旅文庫」というエッセイ公募がありました。そこで佳作に入選したこともあって、今でも、私のお気に入りエッセイのひとつなのです。
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安兵衛で年越しを
別々の家へ帰らなくていいように、私たちは結婚した。帰る家といえば互いの胸ん中のようなものだから、ふたりでどこへでも行ってしまう。正月だって毎年旅先で迎える。大みそかに、茶の間のこたつでみかん食べ食べ紅白なんか見ないのだ。
というわけでその夜、私たちは岩手県盛岡市の寒空の下をさまよっていた。宿のホテルのフランス料理なんかじゃなく、盛岡らしい雰囲気とおいしい食べ物のある呑み屋を探していたのである。ところがどっこい、大晦日の夜遅くまでにぎわう東京の繁華街とちがって、ここではもうどこも店を閉めていた。
あきらめかけたそのとき、目に映ったは、白く輝く看板灯、揺れる縄のれん!
「おでん・やきとり 安兵衛」
迷うことなく飛びこんだ。すかさず「らっしゃーい!」の声。目の前の席がおあつらえむきにふたつ空いていた。店内を四角く横切っているカウンターの末席だったけれど。
カウンター内に男の人がひとり。胸に名入のバッチをつけている。「安藤」サンの店だから「安兵衛」なのか。
10人がやっとのカウンターには、見ればウチと同じような二人連ればかり。年は30前後、恋人同士の甘いムードでもなく、一家だんらんを今夜はここへ運んできちゃったような気まま子無し夫婦、そんな感じだ。みんなもしばし肩すりよせてさ迷い歩いた果てに、やっとたどり着いたことだろう。
超熱燗とおでんを頼む。とにかく温まらなければ。私たちが飲み始めてからも、5分とおかず、後ろの戸が開く。
「らっしゃい。何人さん」
「ふたり」
「すいません、あいにく満席で……」
その繰り返し。あきらめて戸が閉まると、安藤サンがつぶやく。
「2階のテーブル、ひとつあいてんスけどね、4人座れるとこに2人だと、涙がポロッと落ちちゃうんスよね」
「もうかるでしょォ、この辺じゃここだけだもの、今晩やってるの」
「苦しいから店開けてんですよ」
銀行に借金があるんで心証をよくするため、あすの元旦も店を開けるという。
となりの二人連れが帰った。すぐにふたりの青年がそこへ入ってくる。客の出入りのたび、後ろから冷たい外気が流れこむ。
「安藤サン、それにしてもこの席寒いね。お銚子1本サービスしてよ」
「そぉ、そこの席は上がりがいいの」
たしかにピッチが上がってる。いつも夫と飲むときは3対1の割なのに、今夜はほぼ互角。浮かれ気分は夫をしのいで愉快至極……
夫がカニみそを注文する。北海道産のカニみそは季節によって色がちがうと安藤サンが言う。どれ、と隣の男性もそれをのぞきこんだのをきっかけに、青年二人組とも杯を交わし始めた。
ひとりは布施明そっくりの色白美男。もうひとりは菅原文太風おにいさん。地元の人たちなのか、お国訛りが耳に心地良い。
「こいつはね、南極に行ってたんです、観測隊で。オーロラも見たんですよ」と、文太ニイサンのひじをつつく。
「どんなふうに見えるんですか」
「どんなって、こう、カーテンがヒラヒラ揺れるみたいに、キラキラ動いてるんス。ホント、きれいスヨ」
彼は自分の言葉に照れるように話す。顔にはまだ凍傷のあとだというアバタがたくさん残っていた。
さしつさされつ4人はよく飲み、しゃべり、笑った。
店の空気がトロリ飴色がかってきたころ、布施明サンが言った。
「最後にみんなで乾杯しましょう」
「賛成。安藤サンもいっしょにいかが」
「勤務中ですから」と、彼はまじめな顔で首をふった。
「じゃ4人で、行く年来る年に乾杯!」
彼らは、あすの朝秋田に帰るのだという。名前も、家族のことも、今夜どこに泊まるのかも、私たちは聞かなかった。
「またどこかで会って、いっしょに飲めたらいいですね。どうぞ良いお正月を」
そう言い残して彼らは帰っていった。
私たちも店を出ることにした。
戸を開けると、縄のれんの向こうには小雪が舞い降りていた。
どこかで除夜の鐘が鳴った。