旅のエッセイ№1「名画との出逢いは……」 ― 2011年12月02日
ヨーロッパに行ってきました。
某旅行会社のツアーで、8日間という短い旅ですが、ブダペスト、プラハ、ウィーンなどを巡ってきました。
「旅の一番の目的は、大学時代にほれ込んだグスタフ・クリムトの絵に逢ってくること」
そう書き残して旅立ったのでしたが……。
まずは、その出逢いについてつづりましょう。
名画との出逢いは……
クリムトの代表作「接吻」は、この写真の門の向こう、ウィーンのベルベデーレ宮殿に展示されています。私たちは総勢34名もの団体ですが、開場の1時間前に特別に入場できるのです。このツアーを選んだのも、そのおいしい特典を味わいたいと思ったからでした。旅行会社がどんな手段を用いたのかは当然明かされませんでしたが。
宮殿は、小雨模様の空の下、両手を広げて迎え入れてくれるようなやさしい姿をしていました。
案内をしてくれるのは、リツコさんという現地のガイドさん。一見ハーフのようですが、早口でネイティブの日本語を話します。足取りも早く、まるで生徒を束ねて連れ歩く学校の先生のよう。でもちょっと上から目線の物言いが気にならなくもありません。
ツアーメンバーの一人が、ショルダーバッグ代わりに小ぶりのリュックを背負って入場し、彼女に叱られてしまいました。
「貴重な美術品が並んでいるのに、背中のリュックで傷つけたらどうするんです。フロントで預けるのは常識ですよ!」
たしかに彼女の弁は正しい。それにしても、みんなの前で非常識呼ばわりするまえに、もっと言いようがあるでしょうに。
せっかくの名画ご対面だというのに、不愉快な気持ちになりました。
それでも、ひとたび絵画の並ぶ部屋に入ると、彼女の講義に引き込まれます。クリムトの絵の構図について、あるいは描かれている内容について、実に博識で無駄のない語りがとうとうと続きます。彼女が携帯マイクに向かってしゃべり、私たちはイヤホンでその声を聞くので、どこにいても話だけは聞き取れる。でも、きょろきょろと脇見をしながら最後尾からついて行く私には、肝心の絵は見えない。「じゃ、次に行きましょう」という声を合図にようやくその絵の前に立てるのです。
リツコ先生が見えない絵の説明をしているとき、私は思いがけずセガンティーニの代表作を見つけました。象徴主義と呼ばれる世紀末芸術の一つです。雪原と枯れ木と半裸の母子像。興奮を抑えながらも、「意外に粗いマチエールね」などと小声で同行の友人に話しかけたそのとき、
「ビビビビーッ!」
警報が鳴り響いたのです。
「芸術品に近づくと、すぐ鳴るんですよ」
と言われて、犯人は私の手だと悟りました。普段から身振り手振りがにぎやかな私は、独り占めできた絵の前で、ざらついた表面をなでる仕草をしたのです。もちろん触れるつもりはなく、絵から10センチは離れていました。
ただの警告だったのでしょうが、私は動揺したまま、いよいよ「接吻」の部屋に入らねばなりませんでした。
畳2枚ほどの正方形のその絵は、深紅の衝立にかけられて部屋の中央にたたずんでいました。やっと逢えた……。それなのに、私の心の中は雑念だらけでした。
さっそくリツコ先生の解説が始まります。絵の前にはたくさんのツアーメンバー。あとでじっくり観ようと、後ろに立つことしばし。流ちょうな解説を終えるとリツコさんは「じゃ、次の部屋へ」と、一同を連れて歩き始めます。まるで教科書の1ページを繰るように。芸術を味わうひまも感動もありません。しかも、時間外の特別鑑賞なのだからと、その場に戻ることすら許されませんでした。
リツコさんを責めるつもりはありません。彼女は彼女自身の仕事に忠実でした。このツアーを選択した私がいけないのです。じっくりと絵と向き合いたければ、欲張ってあちこち回る駆け足旅行などせずに、一人で旅をすればいいのです。
苦い思いで宮殿を出ると、朝の小雨もきれいに上がり、真っ青な空に飛行機雲が走っていました。
「ブログの書き方」セミナーのお知らせ ― 2011年12月06日
「読まれる・集客につながるブログの書き方」
というセミナーをやることになりました。
東京都品川区の武蔵小山創業支援センター主催の女性限定のサロンです。
会場:当センター会議室
日時:来年1月21日(土)14:00~16:30
参加費用:お一人1000円
起業を目指す女性のために「集客」を意識していますが、エッセイにおいて読み手の心をとらえるのも同じことで、とても大事ですね。
ブログだけにとどまらず、エッセイや手紙など、広く文章の書き方のコツをご教示するつもりです。
文章に興味をお持ちの女性なら、どなたでも参加いただけます。
サロンの概要・申し込みなど、詳しくは当センターのホームページをご覧ください。
多くの皆さまのご参加をお待ちしております。
旅のエッセイ №2 「クリスマスを迎えるヨーロッパで」 ― 2011年12月21日
クリスマスを迎えるヨーロッパで
~写真とともに~
11月下旬、私が訪ねたオーストリア、チェコ、ハンガリーなどの地域は、どこも東京より10度は気温が低かった。私にしてみれば厳寒である。ユニクロのフリースやヒートテックの数々を買い込んで出かけた。
町から町への移動はバス。起伏の少ない田園風景の中を走っていく。車内は暖かいけれど、外は氷点下。空は暗い雲に覆われ、雪は降らず、乾いた空気まで凍りそうで、広い畑の畝にも、森の木々にも、木の葉1枚1枚にも、霜が降りている。
「まるで墨絵のように……」と、日本なら言うかもしれない。でも、ここは違う。シルバーカラーの世界。薄日が差せば神々しい光に満たされる。
カトリックを信仰するこれらの国々は、クリスマスの4週間前から待降節と呼ばれる時期に入る。救い主イエス・キリストの誕生を待ち望むのである。街の通りのいたるところにイルミネーションが施され、広場にはクリスマスツリーが置かれ、クリスマス・マーケットが開かれる。日本の祭りの屋台のようだ。
私が訪れたのがちょうど待降節に入るころで、あちらこちらでその準備をする町の人々を見かけた。
ウィーンの町を歩いたのは、11月26日。飾り付けもマーケットもすっかり調ったころだ。
ツアーの団体行動から解放されたのが午後2時すぎ。美術史博物館でフェルメールとラファエロとブリューゲルを見届けたあと、急いで駆けつけたマジョリカハウスの壁面を彩る流麗なバラの模様は、闇にかき消される寸前だった。午後4時半にはすっかり夜になってしまうのである。
セセッションという世紀末芸術家たちの活動拠点だった建物は、屋上に金色のたまねぎを載せている。ライトアップされて輝いていた。
暗くなって、ますます気温が下がってくる。そのころから人々は夜を楽しむために繰り出してくるのだ。
クリスマス・マーケットでは、クリスマスの絵柄の赤いカップで、グル―ワインと呼ばれるスパイシーで甘いホットワインが売られる。市庁舎前の広場で、ソーセージをつまみながらそれを立ち飲みして温まった。
壮麗な市庁舎の建物もライトアップされ、広場の大きな木の枝にも飾り付けられたオーナメントが輝いている。今の時期にしか見られない美しい光景だ。
歩行者天国のケルントナー通りを歩く。頭上のイルミネーションが見事だ。人々は穏やかに語らいながら歩いている。大きな声で騒ぐような輩はいない。かつて訪ねた南ヨーロッパの人々とはずいぶん違っている。
寒くても、気持ちまでちぢこむことは一度もなかった。
旅は、ハートのエステ。出かけるたびに実感する。
ホテルに戻るとき、タクシーの運転手が、フィリピンから来たのか、と訊いた。日本人だというと、ツナミのことを心配してくれた。明日は、その日本へ帰らなければならない。
ここを離れがたい気持ちと、旅の終わりの安堵感と、日本の家族への思いと……。すべてがないまぜになって、しばし言葉を失くしていた。
お酒のエッセイ №3 「安兵衛で年越しを」 ― 2011年12月27日
クリスマスも終わり、今年も残すところあと5日となりました。
この時期になると思い出す大晦日があります。古き良き昭和の時代、携帯電話もインターネットも存在しなかったけれど、十分に楽しかったころの懐かしい思い出です。
当時、その晩のことをつづったのが、このエッセイです。
もう27年も前になるのですが、日本航空の機内誌『WINDS』で、「私の旅文庫」というエッセイ公募がありました。そこで佳作に入選したこともあって、今でも、私のお気に入りエッセイのひとつなのです。
********************************************
安兵衛で年越しを
別々の家へ帰らなくていいように、私たちは結婚した。帰る家といえば互いの胸ん中のようなものだから、ふたりでどこへでも行ってしまう。正月だって毎年旅先で迎える。大みそかに、茶の間のこたつでみかん食べ食べ紅白なんか見ないのだ。
というわけでその夜、私たちは岩手県盛岡市の寒空の下をさまよっていた。宿のホテルのフランス料理なんかじゃなく、盛岡らしい雰囲気とおいしい食べ物のある呑み屋を探していたのである。ところがどっこい、大晦日の夜遅くまでにぎわう東京の繁華街とちがって、ここではもうどこも店を閉めていた。
あきらめかけたそのとき、目に映ったは、白く輝く看板灯、揺れる縄のれん!
「おでん・やきとり 安兵衛」
迷うことなく飛びこんだ。すかさず「らっしゃーい!」の声。目の前の席がおあつらえむきにふたつ空いていた。店内を四角く横切っているカウンターの末席だったけれど。
カウンター内に男の人がひとり。胸に名入のバッチをつけている。「安藤」サンの店だから「安兵衛」なのか。
10人がやっとのカウンターには、見ればウチと同じような二人連ればかり。年は30前後、恋人同士の甘いムードでもなく、一家だんらんを今夜はここへ運んできちゃったような気まま子無し夫婦、そんな感じだ。みんなもしばし肩すりよせてさ迷い歩いた果てに、やっとたどり着いたことだろう。
超熱燗とおでんを頼む。とにかく温まらなければ。私たちが飲み始めてからも、5分とおかず、後ろの戸が開く。
「らっしゃい。何人さん」
「ふたり」
「すいません、あいにく満席で……」
その繰り返し。あきらめて戸が閉まると、安藤サンがつぶやく。
「2階のテーブル、ひとつあいてんスけどね、4人座れるとこに2人だと、涙がポロッと落ちちゃうんスよね」
「もうかるでしょォ、この辺じゃここだけだもの、今晩やってるの」
「苦しいから店開けてんですよ」
銀行に借金があるんで心証をよくするため、あすの元旦も店を開けるという。
となりの二人連れが帰った。すぐにふたりの青年がそこへ入ってくる。客の出入りのたび、後ろから冷たい外気が流れこむ。
「安藤サン、それにしてもこの席寒いね。お銚子1本サービスしてよ」
「そぉ、そこの席は上がりがいいの」
たしかにピッチが上がってる。いつも夫と飲むときは3対1の割なのに、今夜はほぼ互角。浮かれ気分は夫をしのいで愉快至極……
夫がカニみそを注文する。北海道産のカニみそは季節によって色がちがうと安藤サンが言う。どれ、と隣の男性もそれをのぞきこんだのをきっかけに、青年二人組とも杯を交わし始めた。
ひとりは布施明そっくりの色白美男。もうひとりは菅原文太風おにいさん。地元の人たちなのか、お国訛りが耳に心地良い。
「こいつはね、南極に行ってたんです、観測隊で。オーロラも見たんですよ」と、文太ニイサンのひじをつつく。
「どんなふうに見えるんですか」
「どんなって、こう、カーテンがヒラヒラ揺れるみたいに、キラキラ動いてるんス。ホント、きれいスヨ」
彼は自分の言葉に照れるように話す。顔にはまだ凍傷のあとだというアバタがたくさん残っていた。
さしつさされつ4人はよく飲み、しゃべり、笑った。
店の空気がトロリ飴色がかってきたころ、布施明サンが言った。
「最後にみんなで乾杯しましょう」
「賛成。安藤サンもいっしょにいかが」
「勤務中ですから」と、彼はまじめな顔で首をふった。
「じゃ4人で、行く年来る年に乾杯!」
彼らは、あすの朝秋田に帰るのだという。名前も、家族のことも、今夜どこに泊まるのかも、私たちは聞かなかった。
「またどこかで会って、いっしょに飲めたらいいですね。どうぞ良いお正月を」
そう言い残して彼らは帰っていった。
私たちも店を出ることにした。
戸を開けると、縄のれんの向こうには小雪が舞い降りていた。
どこかで除夜の鐘が鳴った。