自閉症児の母として(58):本日グループホームに入居しました! ― 2019年03月03日
冷たい雨の中、自宅から車で30分、息子はグループホームに引っ越していきました。自立への大きな第一歩です。
雨降って地固まる。それを信じています。
このホームに決めた理由のひとつは、お世話をしてくださるスタッフに、障害児の保護者の方がたがとても多いことです。
今日も、いろいろ息子の生活習慣やこだわり、好き嫌いなどを伝えてきました。そのたびに、「そうそう、うちの子も」と分かってくれるのです。
きっとこの私の代わりを、実の母親以上に上手にこなしてくれるにちがいない。そんな安心感がありました。
夫と私とで、テレビを運び入れ、ゲーム機器を整え、インターネットに接続し、衣類もクローゼットに収納。息子はようやく落ち着きました。これで、第二のマイルームの完成です。しかも、これまでのマイルームより、微妙に広い!
まだ、エレクトーンだけは運んでいないので、ちょっと心配そう。今、業者の手配を急いでいるところです。
お仲間は、10代から30代までの6名。ご挨拶代わりの小さなプレゼントも用意して、それを入れる袋には、息子にひとこと書かせました。
私が選んだ品は、シャーペンです。なぜって?
「隣の部屋の住人」とかけて、「シャーペン」とときます。そのこころは?
「ノックすれば、出てきます」
おあとがよろしいようで……
不思議な照明の置いてある玄関▲
いよいよ私たちがホームを立ち去るとき、玄関ホールで見送ってくれた息子は、片手をあげて、ちょっと迷ってから、
「いってらっしゃーい!」
〈ただいま〉と〈いってらっしゃい〉、〈あげる〉〈もらう〉〈くれる〉は、自閉症の彼の一番苦手な日本語です。自他との区別や、互いの関係性が把握できないのです。
息子に、不安な表情は見られませんでした。
しばらくの間は、土曜の朝、エレクトーンのレッスンに行き、その足で自宅に戻ります。そして日曜の夕方、ホームに向かうことに決めました。毎晩8時に自宅に電話をする約束もしました。
彼いわく、「グループホームは平日用、マンションは週末用だ」。
さあ、新しい生活のスタートです。
雨の中を運転して帰ってきた私は、ほっとしたとたん、緊張がほぐれ、涙腺も緩んでしまいました。さみしい? いえいえ、そんなシンプルなことではなく、もっと大きな思いがこみ上げてきます。
思い起こせば、
「あなたのお子さんは自閉症です」
と診断を下されたのが平成元年のこと。そして、ちょうど平成が終わる今年、息子は巣立ちました。カレンダーをこよなく愛する自閉症の息子らしい……と、思わず泣き笑い。
でも、けっしてこれで終わりではありません。
私の自閉症児の子育ても、次の時代に移っていくのですね。
自閉症児の母として(59):グループホーム入所から1週間。 ― 2019年03月14日
一時帰宅の土曜日がやってきました。
朝8時半からのエレクトーンレッスンに間に合うように、平日よりも早く朝食を用意してもらって、ホームを出てきます。レッスンが終わるとその足で、自宅に戻ることになっています。
(ホームから駅へ向かう坂道。植え込みや並木があり、夏には木陰を作ってくれることでしょう。▼)
「新生活は順調かい?」とは、誰あろう息子本人のセリフ。オーム返しは自閉症の得意技ですが、こんなふうに質問形式で自分の言いたいことを発することもあります。
「お洗濯、したの?」と、私が聞くと、「お洗濯した」とちょっと得意そう。お世話人の方に教わって、やっているとか。
表情も柔らかく、何の問題もなさそうな雰囲気で、まずはホッとしました。
(息子のエレクトーン。きれいに掃除をして、ヘッドホンも用意しました。▲)
先週、家を出た息子の後を追うように、3日後には息子の部屋のこのエレクトーンも、専門の運送屋さんのトラックで行ってしまいました。そして、エレクトーンの置かれていた場所にクリーナーをかけながら、突然ぽろぽろと涙がこぼれたのです。
息子は、毎日、家じゅうクリーナーをかけてくれていた。私が仕事でくたくたになって帰ってくると、玄関のドアの外までクリーナーの音が聞こえてきて、「ありがとう、モト君」と、感謝しながらドアを開けたものでした。
もう二度とあの日々は戻ってこない……そう思うと、たまらない喪失感に襲われたのです。
べつに、掃除をしてくれる人がいなくなったから悲しいのではありません。
思えば、31年間続けてきたあの子との暮らしを、たったの1ヵ月半で、あれよあれよという間に、あっけなく終わりにしてしまった。その日のために頑張ってきたはずなのに、なんともったいないことをしたのかと、悔やまれました。もっともっと別れを惜しめばよかった。もっともっと自立を喜んであげればよかった。もっともっと時間をかけて……。いえいえ、彼のためには、不安な時間を長引かせるより、早く新生活を始めるほうがいい、と考えての急な旅立ちだったはず……。
理屈はどうであれ、息子が出ていった日から、しんとした家にいると、朝な夕なに、何度となく涙がこみ上げます。私は自他ともに認める「人の10倍泣き虫」。ひさびさに寝た子を起こしてしまったのでした。
涙を止めるすべはないものか。このままでは、朝には私のまぶたがお岩さん状態になってしまう。なんとかしなくては。
とにかく週末になれば息子が帰ってくる。その時には、きっといつもの、こだわりの強い息子の吐く息が、あっという間に家じゅうに充満するだろう。その中で、私の感傷なんて嘘のようにかき消されてしまうにちがいない。
そうそう、きっと大丈夫。
案の定、息子は今までの土曜日と変わらずに、ルーティンをこなしていきます。みんなの食器を洗い、家じゅうにクリーナーをかけ、今日の新聞を私の部屋に届け、ソファにどかんとすわり、ゲームを始めます。
その合間にも、私の言葉づかいにチェックを入れたり、外出中の家族の行き先を確かめたり、天気予報の開始時刻になればパチンとテレビを付けたり、Jリーグの勝敗や対戦予定をいちいちアナウンスしてくれたり……。わが家は一転、賑やかなこと。一週間居なかったら、自閉症の息子のこだわりの多さが浮き彫りにされることに気づきました。
ちょうど、一匹のクモが見事な造形の巣を張って、その中でじっとしているように、息子もこだわりのネットを張り巡らせることで、安定して生活できるのです。長く一緒に暮らしてきた家族は、彼のネットにすっかり慣れて、気にならなくなっていたのでした。
息子は自分の部屋に入って、エレクトーンのあった場所ががらんとなっていることに、ちょっと感慨深そうに目をとめて、「エレクトーンは?」と言いました。これもまた、彼特有の表現。グループホームの自分の部屋に運ばれたことを再確認するかのように、質問してみるのです。
お風呂に入るとき、「週末用のパジャマはどこ?」と、息子が聞いてきました。
週末用と平日用。生活すべてをきちんと二つの枠組みに分けることで、新生活はつまずくことなくスタートできたようです。これから少しずつ新しい〈こだわりネット〉を作っていくのかもしれません。
私も見習わなくては。
あなたのいない平日の静かな時間をありがたく感じながら、有意義に過ごすことにしましょう。その代わり、掃除と食器洗いは、また私の仕事になりました。
自閉症児の母として(60):シチリアのお皿のように ― 2019年03月30日
この地域の桜が、今日にも満開を迎えようとしています。
(▲3日前の千鳥ヶ淵。まだ五分咲きから七分咲きでした。)
ちょうど1年前の今ごろは、長男の問題に悩み、人知れず涙の日々が続いていました。(いずれ書く日も来るとは思いますが、今はまだ書かないでおきます)
それでも、いつもの友人たちと連れ立って、目黒川のお花見に行きました。
川沿いの道に、シチリア島の陶器を扱う小さなお店があります。
そこで目をとめたのが、このお皿。引き寄せられました。
思わず手に取って、思ったのです。
息子もこんなふうに明るく笑うお母さんが好きなのだろうな……。
もちろん買って帰りました。
それから1年、息子は家を出ました。
この1年間、宿泊訓練を積んで、息子なりにがんばってきました。
私はこのお皿のような笑顔になれたのでしょうか。まだわかりません。泣き笑いの顔をしているかもしれません。
少なくとも息子の問題は解消したように思います。
「長男の巣立ち」の記念として、今日、このお皿を飾りました。
どんなに障害を持っていても、成長しない子どもはいない。
私はいつでもそう思っています。
平成が終わって元号が新しくなるこの時に、私の子育ても一つの区切りを迎えて、新しい次のステージに移っていきます。
だから今、子育てに悩むお母さんたち、諦めないで。
かならず笑顔になれる日が来ますから。