2000字エッセイ:「ありのままで……?」2016年02月21日

 

   ありのままで……?

 

「うわっ、すごい!」

今年の正月のこと、年賀状のなかの一枚に、思わず歓声を上げた。

それは、70代後半の女性Sさんからだった。はがきを横長に使った写真に、ご夫妻の顔が、はみだしそうなほどのアップで写っている。最近はやりの自撮り写真のようだ。それにしても斬新な構図。その顔の上に、

「日々是好日 平成27年元旦」の文字がかかる。

画面の半分以上を占めるご主人は、おかしくておかしくてしかたがないといった表情で笑っている。なんともしわくちゃな笑顔。深く刻まれたしわも、白い眉も口ひげも、グランパパの津川雅彦さんによく似ている。

ちょっと後方で顔を寄せるSさんも、口元を横にひき、眉間にしわを寄せて目を細め、「困った主人でしょ」とでも言いたげな苦笑を浮かべている。いつもおしゃれで上品な彼女にしては、マイナスイメージだろうに……。

 しかし、見れば見るほど、失礼ながらつられて笑ってしまうのだ。まさに笑いと幸せを運んでくれる年賀状だ。

「今年の最優秀年賀状に決定!」 

と、勝手に宣言させてもらった。

 

 子どもたちが小さいころ、年賀状といえば出すのももらうのも、家族の写真入りが多かった。友人知人の半分以上は現役の企業戦士の家族で、わが家をはじめ、転勤族も少なくなかった。お互いに、しばらく会えない間の子どもたちの成長ぶりを見てください、という思惑が大きかったのだろう。

やがて、いつのまにかわが家の年賀状から夫婦の姿が消え、子どもたち3人だけの写真を使うようになる。さらに彼らが大きくなると、ビデオは撮っても、3人一緒の写真は撮れなくなった。思春期の子どもたちはカメラを向けると顔を隠すのだ。無理強いはできない。かくして年賀状から写真そのものが消えた。ついには、家族一人ひとりの年賀状へと変遷をとげていくのである。

ところが近年、パソコンを駆使してはがきのデザインができるようになったから、私個人の年賀状に、写真入りが復活している。

そうはいっても、今さら家族の写真は照れくさい。せいぜい1年間の出来事や旅の思い出を、小さなスナップ写真を添えて紹介する程度にとどめる。それも、みんなの顔映りのいいものを選び、自分の写真はとびきり若く見えるものを厳選する。

いい年をして、旅先のスナップなんていうのも恥ずかしい。まして、顔のアップは厳禁だ。美しい風景の中、豆粒のような姿でたたずんでいる写真に限る。

昨年の暮れに、還暦を迎えた。50代半ばまでは、ただ明日が今日になって昨日へと移っていくように、誕生日が来て、59歳が60歳に切り替わるだけだ、と高をくくっていた。しかし、現実は違ったのだ。

坂を転がり落ちるように、加速度がついて若さが失われていく。重力には逆らえないたるみ具合にも、シミしわ白髪の増殖具合にも、がく然とする。見かけだけではなく、機能的にも体のあちこちがおかしくなった。健康診断の結果の数値に目をむくこともある。

私は見えっ張りだ。こんな年になってまで、年賀状に写真は載せたくない。そう思っていた

 

 そんな年の正月だったからこそ、Sさんからの年賀状には打ちのめされた。なんというインパクトだろうか。後期高齢者の素顔をあえて披露しているのだ。

でも、魅力的な写真だ……。ああ、これでもいいのか、と気がついた。目からうろことはこのことだろう。

これからは私も、Sさん夫妻ほど潔くとはいかないまでも、もっと写真を送ってみようか。年を重ねて変化していくところを、年に一度、見ておいてもらうのもいいかもしれない。久しぶりに会って、ずいぶんおばあさんになったね、とがっかりされたら、それこそ悲しい。懐かしい人と気がねなく再会できるように、予備知識を送っておくのだ。

きれいでなくてかまわない。シミもしわも白髪も、ありのままで……と、そこまでの勇気はないが、せめて加齢による衰えよりも、内面の充実ぶりがにじみ出ているような写真、というのはどうだろう。日頃からそれ相応の日々を送らなければならないわけで。

憂うつだった還暦に、元気が出そうなチャレンジを思いついた。

 

                    20157月)





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