自閉症児の母として(70):映画『僕が飛びはねる理由』を観てきました!2021年04月24日

320日の記事で紹介した映画を、ようやく昨日、観ることができました。

横浜駅の繁華街から少し外れた所にあるジャック&ベティというミニシアターへ。時間は午前9時からの1回のみ。いつもより早起きして出かけました。



 

これは、イギリスで作られたドキュメンタリー映画で、5人の自閉症の若者とその家族の日常を映し出していきます。

そして、おそらく彼らの目にはこんなふうに見えているだろう映像や、こんなふうに聞こえているだろう音声が、ふんだんに盛り込まれます。きらきら、ひらひら、ジージー……。無垢であり、美しくさえ感じられます。

ドキュメンタリーとしての自閉症の世界が、繰り広げられていくのです。

 

あえて説明のない部分もありますが、そこに、自閉症者である東田さんの文章が、英文の字幕になり、ナレーションとしても挿入されています。

彼の著作は以前にも読んだことがあるのに、改めて明晰な文章であることに驚き、感動します。

具体的な内容を私がここに書き記すことは、あまりに僭越だと思えました。私の言葉からではなく、ぜひ、東田さんの著書をお手に取って読んでください。機会があれば、この映画を見てください。驚嘆とともに自閉症の理解が深まることと思います。

 

これまでの歴史の中で、自閉症者は普通ではない変わった人、何も理解できない人、知能の低い人として、扱われてきました。

この映画のインド人の女性、言葉は持たずとも、こだわるように絵を描き続け、見る人を魅了する芸術作品を生み出すようになりました。それが彼女の自己表現であったのです。

言語療法だけでは改善を見られなかった重い自閉症者であっても、言葉で表出することができないだけで、内なる意思や、秘めたる能力はけっして劣るものではないことがわかります。


映画に登場するイギリス人の青年は、言葉による会話はできませんが、ひとたびアルファベットの表を持てば、一つずつ指さすことでスペルをつづり、自分の考えを伝える文章を作り上げます。言語能力がないと評価されることについてどう思ったか、という質問には、「人権が拒否された」というような文言で回答。そこには普通の同年代の若者と変わらない知性がうかがえました。

彼は東田さんと同じです。東田さんは子どもの頃に、ひらがな表を持たされて初めて、みずからの気持ちを伝えることができました。

 

彼らは、健常者の子どもたちと同様に、学ぶ権利がある。知的能力の有無ではなく、自閉症の思考回路は、平凡な私たちのそれとは大きく違っている。たったそれだけのことなのです。そのことに気がつくまで、いわゆる健常者の集まりであるこの社会は、長い年月が必要だったのですね。

 

私もまた、ひとりの自閉症者の親として、息子を理解するのに、ずいぶん時間がかかりました。今でも、新しい発見があります。

映画が始まってすぐから、涙が止まりませんでした。母親として初心に返る時、途方に暮れた30年前の記憶がよみがえるのです。

 

映画の中で、一人のお父さんが息子について語っていた時、「そして私は……、そして私は……、そして……、そして……」と、途中で次の言葉が出てこなくなりました。必死で込み上げるものをこらえている。ようやく言えたのは、「彼の将来が心配でならない」。

親亡き後、息子は一人ぼっちになってしまう。お父さんの思いが、痛いほど伝わってきます。私はマスクを濡らして一緒に泣きます。

大丈夫、お父さん。今の社会は、彼らをほったらかしにはしませんよ。かならず、理解者が支援の手を差し伸べてくれますよ。それを信じてがんばりましょう。

彼にも私自身にもエールを送って、明るい春の陽射しの街に出ていきました。




 



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