自閉症児の母として(77):支援者の皆さんにお話をしました ― 2023年02月02日

毎年冬の時期に、東京都発達障害者支援センター主催の支援員研修会のなかで、自閉症児の母として、お話をさせていただいています。
コロナ禍で、中止になったり、オンラインになったりして、今回は3年ぶりに対面となりました。
講話のテーマとして、「子育てを通して親が学んだこと、支援者に望むこと」とあります。これも毎年ほぼ同じで、年に一度、子育て振り返りの機会をいただくと、お話ししたいことが少しずつ違っていることがわかります。過去のエピソードが変わることはありませんが、新しい気づきがあったり、意味を見出したりするのです。なんと貴重な機会を頂いていることかと、ありがたく思います。
◎まず、子育てを通して学んだことは?
★その1
あるがままを受け入れて心を通わせていく〈受容的交流方法〉。
キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、自分の意思で行動できるように、ひいては「プライド」を持って生きていけるようになることが目標です。
子どもの気持ちに寄り添うことは、障害児の子育てばかりでなく、健常児でも、高齢者の世話をするときも、人との付き合いにおいても、人間関係の基本ではないかと思います。
★その2
子育ては、みんなに助けてもらうことが大切です。
家族、親戚、ご近所、学校、地域の人々……みんなに理解してもらい、見守ってもらい、助けてもらわなければできません。親が子どもを抱え込んで壁を築いては、いつか行き詰ってしまいます。
本当に感謝してもしきれないほど、温かい人々に支えられた歳月でした。
★その3
毎年、必ずお話ししたい2つのエピソードがあります。
うちの子に限って、どうして……と悩んでは泣いてばかりいたころ、施設の園長先生から聞いた言葉です。
「現在、自閉症児は1000人に1人の割合で生まれると言われています。皆さんが苦労してお子さんを育てているからこそ、ほかの999人のお母さんはフツウの子育てを楽しんでいられる。つまり、皆さんは、1000人の代表として自閉症児を育てているんですよ」
ああ、私たちは選ばれたんだ、神様に。そう思えました。
その時から、私は神さまに選ばれたプライドで、前を向いてひたすらがんばることができたのです。ポジティブシンキングは大切ですね。
同じように、園長先生はこう言われました。
「子どもの犠牲にはならないで、自分の人生も大切にしてください」
どれだけ気持ちが軽くなったことでしょう。
今でも私の座右の銘です。
だからこそ、エッセイを書き続け、エッセイに支えられ、仕事にもなり、私の人生に、なくてはならないものになりました。
自閉症の息子についてのエッセイ集を出版したことも、こうしてお話しすることに役に立っているのです。
★その4
自閉症は、自分に閉じこもるのではなく、自分と他者との境界がない、混沌とした世界の中にいるように感じています。だから、人と自分との関係性がわからないのです。
・ただいま。おかえり。その区別がわからない。
・プレゼントは誰が誰に贈るのか。だれからもらったのか。
・母の日には、ママとカーネーションが必須アイテムで、誰が買ってきても、それはまったくの不問。
・「暴力事件が勃発した!」と言うのだけれど、誰が誰をたたいたのか。加害者と被害者の区別がわからない。
・スポーツ中継など、テレビの画面で小競り合いが起きると、その感情が自分の中にも流れ込んでしまって、パニックになる。
だからこそ、その混沌を秩序立てるために、変更のないカレンダー、前もって決められたプログラム、例外のないルールなどが必要なのでしょう。彼には大事な生活の必需品です。その枠組みで世の中が正常に動いていれば、突発的な異常事態が起きなければ、彼は安心していられるのです。
そこで気がついたこと。
息子は、16歳の時に側わん症になり、背骨をまっすぐにするために、8時間に及ぶ手術を受け、20日間も入院していました。完全看護でしたが、特別に私が付き添いを認めてもらって、2人部屋で寝泊まりしました。それでもよく頑張って、退院までこぎつけたと思います。
そういえば、彼は小さい頃から、注射や薬などで、親を困らせることはありませんでした。
おそらく彼は、病気という異常事態こそが許せないのです。熱が出たら、早く熱を下げたい。背骨が曲がってくれば、まっすぐに治したい。その価値観が強かったから、治療にもおとなしく従ったのではないか、と思うのです。
そして、その後2度も手術を受けますが、最初の経験がしっかりと生きて、怖がらずに自分から進んで手術室に入っていった姿がとても印象的でした。
◎支援者に望むことは?
療育や支援は、けっして障害者を健常児に近づけることではない、と思うのです。ノーマライゼーションとは、社会が障害者の環境を整えることで、健常者と同じように暮らしやすい場を作っていくことではないでしょうか。
例えば、自閉症の人たちは、息をするように独り言をいうのですが、それをうるさいからやめて、というのでは、障害イコール迷惑だ、となりかねません。周囲の人が気にしないですむ環境作りを工夫してほしいのです。
障害児を普通に近づけようとすることは、障害は良くないものという前提があって、障害児を否定することに通じてはいないでしょうか。
息子のことを「面白いですよね」と言われると、うれしくなるのはなぜでしょう。障害を持っている、そのままの息子を受け入れてくれていると感じるからです。
36歳の息子は、今なお成長を続けています。
自閉症は決して消えません。治るものではありません。
ですから、彼の成長とは、障害を抑え込んで健常者に近づくのではなく、社会で少しでも生きやすいように、折り合いをつけるすべを身につけていくことなのです。
これからも、どうか温かいご理解とご支援をよろしくお願いいたします。

▲東京都発達障害者支援センターは、息子が3歳からお世話になってきた施設が受託しています。この建物は、一度建て替わりましたが、ここには30年以上も通い続けていることになります。
ご報告のためのエッセイ:「姉からのLINE」 ― 2023年02月20日

2日前のこと、
「ご心配をいただきましたが、手術も無事終わり、経過良好で昨日退院してきました。これでまた普通の生活に戻れると思いきや、のどに大きな傷を抱え、術後からの頭痛が抜けず、まだまだ病人状態です。回復が遅いのは年のせい?!と落ち込んでいます」
「ひとみさんの口から落ち込んでると聞くのは、68年間で初めてよ」
私からの報告に、そんな返事をくれたのは3つ違いの姉でした。
意外でした。私はいつだって誰かに愚痴をこぼし、弱音を吐いては、励ましの言葉をもらって支えられてきたと思っていましたから。
そんなふうに突っ張っている妹だった? ……いやいや、これはいつもの姉流の励まし。達者な毒舌の裏が読めたら、ちょっとほろりとして、思わず涙ぐみました。姉の言葉はさらに続きます。
「私たちの母譲りの遺伝子は100歳生存可能なんだから、老年期前の必要なメンテナンス。70代80代で脊椎やられている人もたくさんいるから、今のうちに手を打ててラッキーなのよ。
回復しない病気ではないので、ここは心を病まないように、好きな音楽でも聴いて乗り越えて!」
たしかに姉の言うとおりです。未来に向けての治療だと、自分でも納得して手術を選んだはず。回復には若い頃の何倍も時間がかかるのは仕方ない。ここで落ち込んでいないで、今日よりは明日、明日より明後日、少しずつ回復に向かうことを信じていましょう。
散歩を兼ねて、遠回りで買い物に出ると、久しぶりに通る道沿いの畑で、白梅が花を咲かせていました。これからは次々と花が開き、春はかならずやってくる。何も焦ることはない。そう思えました。
