おススメの本、星野源著『いのちの車窓から』 ― 2018年04月03日
始まりましたね、新年度。
私は初日早々、長男から風邪をもらって熱を出し、寝込んでしまいました。用意してあったエイプリルフールのネタも使えず、備えあれば憂いありの心境に陥ったのでした。
NHKの朝の連続テレビ小説も新しくなりました。
あら、と耳を澄ませば、テーマソングはほかならぬ源ちゃんの声。そこで、この本について書いたエッセイを皆さんにも読んでいただこうと思いつきました。
読んだのは1年ほど前ですが、ずっと紹介したいと思っていたのです。
最近になって、エッセイ仲間の勉強会で、「エッセイと私」というテーマが出され、ようやく書くことができました。
1600字のエッセイです。
目からうろこの1冊
4半世紀を超えて、エッセイを書き続けてきた。書きたいことは絶えずあったが、いつもすらすらと文章が生まれるわけではない。
最近では、ますます書きあぐねることが増えてきて、恒常的なスランプ状態だ。理由はわかっている。年を重ねるにつれ、これを書いたらいけないだろうかと気になったり、読み手を意識しすぎたりするうちに、書きたいことが書けなくなる。本心が、見栄と思惑とで着ぐるみのように覆われてしまって、自分は何を書きたいのかわからなくなるのだ。
エッセイに限らず、SNSやブログでの発信しかり、仲良しグループのラインの言葉もしかり。なんとなく窮屈な思いをするようになった。
そんなときに、1冊の本を手に取った。
『いのちの車窓から』というそのエッセイ集の作者は、星野源、36歳。旬のマルチタレントとして注目されている。けっして長身イケメンでもないし、歌や芝居が特別うまいわけでもないのに、主演ドラマも自作の主題歌も大ヒット。よくあるタイプのしょうゆ顔で、そういえば娘の彼氏にちょっと似ている。最初はそんな単純な興味だけだった。
ところが、彼が3年前にクモ膜下出血で倒れ、完治して復帰したという事実を知って驚く。クモ膜下出血といえば、ひと昔前は若い人の急死の代名詞のようだった。ミーハー感覚のみならず、病気への無遠慮な好奇心も加わって、さらに興味が膨らんだのである。
本の冒頭のエッセイには、読者の期待に応えるように、手術のことが書かれている。「わかさぎ釣りの氷上の穴の如く額の骨を丸く削ってポコッと取り」、そこからメスを入れて脳の出血を止める手術をした。その傷痕は、直径7センチの円を描いて盛り上がったままだ。それがまるでコックピットの扉のように思えるという。
「体という乗り物を星野源という精神が操縦していることの奇跡の実感が、手術後はさらに明らかに、リアリティを持って湧いてくる」
ここまで読んで、はたと気づいた。これこそ、自分を客観的に見つめるというエッセイの極意ではないか、と。
エッセイの最後は次のように結ばれていた。
「人生は旅だというが、確かにそんな気もする。自分の体を機関車に譬えるなら、この車窓は存外面白い」
こうして彼は、「目の奥に張り付いた景色の残像と、自分の心の動きを、できるだけありのままに文章に落とし込む」という書き方をするようになった。どうやら彼は、一命をとりとめる手術を受けたことで、エッセイの本質をつかんだのかもしれない。
この本は、雑誌『ダ・ヴィンチ』に連載されたエッセイをまとめたものだ。彼の仕事を取り巻く人々、子供のころの思い出など、内容は多岐にわたっている。何を書いても、具体的なエピソードがわかりやすく、心の機微もうまく表現されている。素直な文体も文章のテンポもよく、ウィットに富んだ表現もある。なおかつ全体を包み込む自然体の雰囲気が、読んで心地よい。「文は人なり」というがごとく、彼の人柄なのだろうか。人気があるのもうなずけるような気がする。
そもそも彼はメールを書くのが下手だったから、書くことを仕事にして文章修行を自分に課したという。一行コラムから始まり、上達するにつれて任される字数も増え、やがて書くことが楽しいと言い切れるまでになった。
タレントのエッセイなんて本人が書いているわけじゃない、といううがった見方もあるだろう。たとえ「チーム星野源」でも構わない。私はすっかり魅了されてしまった。
そう、彼のように書けばいいのだ。何を見たか、何を感じたか。それを素直につづってみよう。どう思われたいか、などという雑念は捨てて。
本を閉じると、まるで白内障の手術を終えた人のように、目の前がとても明るくなった。
いかがでしょう。おススメの1冊です。
第156回直木賞、速報! ― 2017年01月19日
以下の候補作品の中から、②が受賞しました。
① 冲方 丁『十二人の死にたい子どもたち』
② 恩田 陸『蜜蜂と遠雷』
③ 垣根 涼介『室町無頼』
④ 須賀 しのぶ『また、桜の国で』
⑤ 森見 登美彦『夜行』
おめでとうございます。
いつも女性作家を応援しているので、今回はぜひ、『夜のピクニック』の恩田さんに受賞してほしいという思いから、『蜜蜂と遠雷』を電子本で読んでいるところでした。
残念ながら、まだほんの少し読み始めたばかりですが、とりあえず予想的中ということで喜んでいます。
続きを読む楽しみも倍増しました。
物語はピアノコンクールのシーンから始まります。
音楽というものが言葉で表現される。当然のことながら、その魅力にひかれつつ読み進んでいます。
皆さんも、読んでみませんか。
『デトロイト美術館の奇跡』を読んでから観るか、観てから読むか! ― 2016年10月22日
この本の著者は、私の好きな原田マハさん。
そして現在、上野の森美術館で開催されているのは、デトロイト美術館展。
そこで、読んでから観るか、観てから読むか、という悩ましい問題が生まれたのです。
私が興味を持ったのは、本が先でした。大好きなマハさんの新刊でもあり、著者お得意の美術にまつわる物語のようです。
これは読まないわけにはいきません!
さらに、デトロイト美術館展のために書かれた小説だということを友人が教えてくれました。
しかも、表紙のセザンヌの人物画が、この美術展にやってくるというのです。
これは観に行かないわけにはいきません!
さらにびっくりなことに、この美術展では、月曜・火曜に限り、写真撮影が許可されるというのです。
ヨーロッパの美術館では当たり前のように写真が撮れます。パリのルーブル美術館では、モナリザや、ミロのビーナスとのツーショットを写して、ミーハー気分も堪能しました。
日本では非常に珍しいのではないでしょうか。
(ただし、ピカソの6点をはじめ、その他数点の作品は、SNSなど不特定多数への公開は禁止とのことです)
私は結局、本を読み終わらないうちに、美術展の入り口に来ていました。
今年の5月、終了間近の若冲展を観るため、やはりこの上野公園で、平日でも3時間行列して待たされた記憶がよみがえり、とにかく一日でも早く行かなくては、とスケジュールの空いた日に上野に急いだのです。
開催から4日目でした。
若冲展の教訓は見事に生きて、館内は空いていました。
ゆっくりと解説を読み、絵に向き合い、そして、最後に写真を撮る。
なんと優雅な美術鑑賞でしょう。
本の表紙の絵の前でさえ、このとおりです。
ポール・セザンヌ作『画家の夫人』。
彼女の衣服は、表紙の写真より青みが強く、そして淡い。どちらかというと、ブルーグレイという感じでした。
やっぱり本物を見なくては、見たことにはならないのだ、と思いました。
自分で本を持って、絵にかざして、パチリ!
空いていたので、こんなことも簡単にできました。
本展のポスターにも使われているフィンセント・ファン・ゴッホの『自画像』。
クロード・モネの『グラジオラス』。明るい陽光が満ちあふれています。
アンリ・マティスの『窓』。
白いカーテンの帯状の縦線、窓枠の縦と横のライン、椅子の脚、テーブルのふち、カーペットのジグザグ模様……という具合に、目線がたくさんのラインに沿って絵の中を移動していく。いつまでも見飽きない絵ですね。
芸術の秋。
皆さまもぜひ、デトロイト美術館展に足を運ばれてはいかがですか。
会期は来年の1月21日までですが、なるべくお早めに!
ところで、この本は100ページほどの短編で、すぐに読み終えました。
マハさんの美術にまつわる物語は、月並みな言い方ですが、実在の絵に新たな命を吹き込んでくれるようで、わくわくします。
ほこりをかぶって眠っていた宝物が、磨かれて輝きだすようです。
読んでから観るか、観てから読むか。
どちらでも、楽しめるのは同じかもしれませんが、私のように、本を買ってから観ることをおススメします。
その訳は、本にはさまれているしおりで、入場券が100円割引になりますから。
伊藤比呂美著『父の生きる』(光文社文庫)を読んで ― 2016年08月30日
母は93歳、同じマンションの4軒隣りで独り暮らしを続けてきました。
健康で過ごしてき母に、今年3月、病気が見つかりました。進行性の胃がんでした。入院、手術、そして退院から3ヵ月。新しく看護付きの施設に通うようになりました。
病気をきっかけに、母は以前の生活がひとりではできなくなりました。
母の世話を背負った私は、暗いトンネルの中を手探りで歩いているような日々でした。
この本と出合って、ようやく光を見たような気分になったのです。
この本を紹介してくれたのは、同じマンションに住む友人です。家族ぐるみのお付き合いは四半世紀に及び、もちろん母のこともよくわかってくれています。そして、私の「読み友」でもあるのです。
私が母のことをこぼすと、まあ読んでごらん、とこの本を貸してくれたのでした。
伊藤比呂美さんは、詩人でもあり、エッセイや小説も手掛ける作家。イギリス人の夫や子どもたちとカリフォルニアに住んでいるのですが、熊本で独り暮らしをする80代のお父さんを、3年半にわたって遠距離介護をしてきました。毎月のように帰国しては、仕事をこなしながら熊本で暮らす。しかも、すごいのは、毎日毎日欠かさずにアメリカからお父さんに電話をしたことでした。
この本はその記録です。
私がこんなに付箋を貼りながら読んだ本も珍しい。
のっけからお父さんの言葉に釘付けになりました。このまま読み進んでしまうのがもったいない。あとでもう一度かみしめようと、印をつけずにはいられなかったのです。
赤い色の文字で書いた部分は、原文のままの引用です。
◇
あるとき私が、仕事が終わったよと言いましたら、父が「おれは終わんないんだ」と言いました。
「仕事がないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんにもやることがない。なんかやればと思うだろうけど、やる気が出ない。いつまでつづくのかなあ」
私の母もすっかりやる気をなくしています。テレビさえあまり見なくなりました。何を見てもつまらない、と言います。
あれほどやってきた編み物も、手にしません。製図を見ながら高度な模様編みを楽しんでいた母にとっては、手が不自由になったからといって、子どもだましのような太い毛糸を扱う気にはなれないようです。
でもこのお父さんが、母と違う点は、なんといってもユーモアを持ち合わせているところ。さすがは詩人のお父さん、言うことがユニーク。
「だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら、死因は『退屈』なんて書かれちゃう」
◇◇
ある時、カリフォルニアからの電話に向かって、お父さんはこんなことを言いました。
父が「おれには看取ってくれるものがいない、誰もいない、ルイ(飼い犬の名)じゃだめだし」と言い出したから、つい「それは聞くのがとてもつらいから、言うのやめようよ」と言ったら、「ときどき愚痴こぼしたっていいじゃないか、あんたしか言う相手がいないんだし」とののしるような口調で言うのだった。
母も、通い始めた施設が気に入らずに、帰ってくると愚痴をこぼします。さらには「生きていたって何も楽しいことはないし……。あのまま死んじゃえばよかった」などと、返す言葉もないようなことを口にします。必死で毎日世話をしている私には、たまらなくつらい。
そんな私は、このお父さんのセリフに、はっとしました。
私はたくさんの友人に恵まれて、愚痴をこぼしたり、気晴らしのおしゃべりを楽しんだりできる。でも、母にはもう電話をかけて愚痴を言い合うような友達もいないのだ。側に居る私しかいない。母は孤独なのだ……。そう気がついたのでした。
だから、言わせてあげなくては、聞いてあげなくては……と思ったのです。
◇◇◇
ここのところうちの電話の調子が悪くて、父に電話できずにいる。……(中略)……電話できないんだからしょうがないなあと思って、ここ二、三日のうのうとしていたのは事実だ。やはり「かけなくちゃ」と思わずに済むと気が楽だ。ああ気が楽だ、気が楽すぎて、後ろめたかったのかもしれない。
私は、毎晩必ず母の所に行きます。
夕食は施設で済ませてくるので、翌日の朝食を冷蔵庫に入れたり、連絡帳をチェックしたり、薬を間違えずに飲めるようにしておいたり、こまごまと身の回りの世話をしてきます。
母は9時までには寝てしまうから、私は夕食後まったりする暇もなく、急いで行かなくてはなりません。
ああ、行きたくないな……、私もそう思ってしまう。今夜もご機嫌が悪いだろうか、どんな愚痴を吐かれるのだろうか……、寝ていてくれると助かるけれど……。思わない夜はありません。
冷たい娘だろうか、と自分を責めたりもします。
でも、私だけではないのだと思い、ほっとできました。家族から非難を浴びながらも、こんなにお父さんに尽くしている比呂美さんでさえ、電話をかけなくていいと思うだけで、気が楽になるというのですから。
母は、記憶力が急速に衰えました。
何を説明したところで、書いたものを見せたところで、母の脳みそに情報としてインプットされません。
もう母には覚えることも理解することもできないのであれば、私のほうが変わるしかありません。つらいことを言われても、以前の母ではないのだと思ってさらりと受け流すように、気持ちを切り替えてみました。
すると、母も少し変わってきたように感じます。穏やかになったのです。
私は家族とともに暮らしていますが、比呂美さんはクリスマスから新年にかけての時期さえも、家族と離れて、日本でお父さんの介護に尽くします。仕事もはかどりません。
……こうやって人を食い荒らしつつ人は生きていかねばならないものかと、一日数回考える。
てな感じの愚痴を友人に垂れ流したらスッキリするかと思ってやってみた。却ってよくないことがわかった。その瞬間は、声に出して吐き出すことでストレスの度合いがさっと下がるが、ここもいやよねあそこもいやよねと声に出して言ってるうちに、父の悪いところばかり見えてくる。……(中略)……だから、父の欠点をあげつらうような愚痴は口に出さないことにした。
そうそう、そうなのです!
やさしい友人が、「お母さんはいかが?」と聞いてくれると、堰を切ったように母の愚痴がこぼれ出す。ところが、それを口走っている自分が、とても嫌いになってくる。まるで、私のなかに悪魔が住み着いていて、私に母の悪口を言わせているような気分になるのです。
だから、ストレスは母の愚痴をこぼして発散するのではなく、短い時間でも楽しく過ごして気分転換を図ろう、と思えるようになりました。
この半年余り、仕事だけは休まないで、辞めないで……と思ってがんばってきました。そのために、自分だけの時間がずいぶん犠牲になりました。
旅行はもちろん、映画や美術展、クラス会や女子会や飲み会からも、すっかり足が遠のきました。SNSやこのブログさえもご無沙汰ばかりで、介護が終わったときには、友達が半分になっているのでは、と危惧するほど。
でも最近では少しずつ、きょうだいの協力も得て、気持ちにゆとりが出てきました。要領よく自分の生活も立て直していかなくては、と思っているところです。
母の介護は長丁場、私の時間も永遠ではありません。
比呂美さんの『父の生きる』は、お父さんの最期を看取るところまで書かれています。私がその日を迎える覚悟は、まだまだできていません。
この本は、介護に苦しむ方にも、これから経験するかもしれない方にも、そして、自分の老後を考えてみたい方にも、絶対おススメの本です。
私に薦めてくれた友人には、ほんとうに感謝です、ありがとう♡
おススメの本、荻原 浩著『海の見える理髪店』 ― 2016年08月05日
最新の直木賞受賞作、さっそく読んでみました。
6編の小説を収めた短編集で、「海の見える理髪店」は、冒頭の1編のタイトルです。
この本に出てくるのは、世の中の隅っこで生きているような、小さな不幸せを背負った人たち。
例えば、両親が離婚して、母親と二人でつれない親戚の家に身を寄せている少女や、知的障害を持ち、父親に虐待されている少年。娘を交通事故で失った両親。殺人の前科がある老人。一人暮らしをする認知症の老婦人……。
どの小説も、それぞれ違った切り口、違った筆致でつづられているのに、共通して感じられるのは、彼らがどこかで不幸を素直に受け入れていること。悲壮感もなく、淡々と暮らしている。ああ、生きることなんて難しく考えなくていいんだ……。そんな気持ちにさせてくれる小説ばかりです。
冒頭の「海の見える理髪店」だけ、ちょっとご紹介しておきましょう。
舞台は、さびれた場所に建つ理髪店。
登場するのは、その老いた店主と、わざわざ店を訪ねてやって来た男性客の二人だけ。店主の問わず語りのようなセリフと、客が観察する描写とが、交互につづられて、物語は進行します。
すごいのは、理髪業という仕事の細やかな描写。女性の美容院とはどこか異なる男の世界のようで、新鮮な驚きでした。
そして、話は鳥肌の立つような結末に向かっていくのです。
静かな感動が、いつまでも消えません。
おススメの一冊です。
第155回直木賞、速報! ― 2016年07月19日
以下の候補作品の中から、②が受賞しました。
① 伊東 潤著『天下人の茶』
② 萩原 浩著『海の見える理髪店』
③ 門井 慶喜著『家康、江戸を建てる』
④ 原田 マハ著『暗幕のゲルニカ』
⑤ 湊 かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』
⑥ 米澤 穂信著『真実の10メートル手前』
おめでとうございます。
応援してきた湊さんは残念ですが、また次回。
そして、原田マハさんにも今回とは違った作風で、ぜひぜひがんばってほしいと思います。
では、受賞作を読んでみましょう。
直木賞祈願、湊かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』 ― 2016年07月09日
10日後に発表になる直木賞候補は、以下の6名。女性は2名だ。
① 伊東 潤著『天下人の茶』
② 萩原 浩著『海の見える理髪店』
③ 門井 慶喜著『家康、江戸を建てる』
④ 原田 マハ著『暗幕のゲルニカ』
⑤ 湊 かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』
⑥ 米澤 穂信著『真実の10メートル手前』
私は女性作家にがんばってほしい。
男性作家のものは概して、殺戮、暴力、死を扱ったものが多い。
乱暴な言い方をすれば、お得意の武士道だって、どんなに美化されたとしても、死を肯定しているようなものだ。
もっと、女性作家には女性なりの愛や生をうたう文学があっていい。
私は、原則として、選挙と直木賞には、女性を応援していきたい。
今回の候補に上がった原田マハさんの作品はいまいちだと思えたので、湊かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』を読んでみた。
これは一押し!
本の帯には、
「人の心の裏の裏まで描き出す極上のイヤミス6編!!」とある。
イヤミスとは、イヤな感じの後味が病み付きになるようなミステリーという意味らしい。
でも、ぎりぎりのところで、踏みとどまる嫌悪感、不快感。
どこか突き放したような乾いた筆致。
実際、人間なんて、光を当てる部分によって、悪く見えたり愛しかったりするものだ。そんなリアリティが、正しい殺意とか、いびつな愛とか、残酷な優しさとかにゆがめられて、奇抜なフィクションに昇華しているからこそ、安心して楽しめるのかもしれない。
同じ湊さんの『Nのために』はTVドラマでは好評だったらしいが、小説としては、設定に無理があるのか、リアリティが感じられず、個人的には評価できなかった。
こちらは、おススメの本です。
原田マハ著『暗幕のゲルニカ』を読んで ― 2016年06月21日
原田さんにはぜひ直木賞をとってほしい。
『楽園のカンヴァス』以来、ずっとそう思ってきました。
今年こそはと、その新作に期待して、分厚い単行本を買い込んで読んでみました。
それが『暗幕のゲルニカ』です。
ピカソの大作〈ゲルニカ〉をめぐる史実に基づいたフィクションで、構想はとてもおもしろい。1937年にゲルニカの街を破壊したスペイン内戦と、2001年の米国同時多発テロから始まったイラク戦争への流れとが、二重構造となって、話が展開していきます。
そのどちらにも〈ゲルニカ〉が重要な反戦のシンボルとして存在するのですが……。
結論から言うと、残念ながら、今回もだめかも……。
およそ700枚を超える大作だというのに、その迫力が感じられない。人物たちの愛憎劇や情緒的なくだりは丁寧だし、史実の説明なども噛み砕いてあってわかりやすいのだけれど、全体的に繰り返しが多く、冗漫。まるで上等なフレンチローストのコーヒーを、ぬるま湯で薄めてしまった感じです。この半分の長さで書き上げたらよかったのに、もったいないことをしたのでは、と思わずにはいられませんでした。
『キネマの神様』は、スピード感にあふれ、人物のキャラもはっきりと描かれた最高のエンターテイメントでした。彼女にはこんな作風もあるのだと、才能を高く買ったのです。その直後に読んだだけに、ちょっとがっかり。
おそらくは、今度こそ『ゲルニカ』で大賞をとるべく、力が入りすぎたのかもしれませんね。「手に汗握るアートサスペンス!」とうたう広告の言葉が、むなしく見えました。
期待外れで読み終えた翌日、第155回直木賞候補作6点が発表されました。
本作も入っていたので、とりあえずは複雑な喜びを味わっています。
もし、素人の私の勘違いもはなはだしく、本作が受賞したとしても、それはこの作品だけに与えられたのではなく、『楽園のカンヴァス』などなど、これまでの著書すべてを賞したものということになるのでしょう。
と、逃げ道を作って、やはり私の期待外れが外れることを祈っています。
ご参考までに、今回の候補作は次のとおりです。
① 伊東 潤著『天下人の茶』
② 萩原 浩著『海の見える理髪店』
③ 門井 慶喜著『家康、江戸を建てる』
④ 原田 マハ著『暗幕のゲルニカ』
⑤ 湊 かなえ著『ポイズンドーター・ホーリーマザー』
⑥ 米澤 穂信著『真実の10メートル手前』
昨年秋に、【西暦2000年以降の直木賞受賞作を読破する】という目標を達成したので、今年1月には新たに、【直木賞受賞作を発表以前に読む】を掲げました。7月19日には発表になりますから、目星を付けて読まないと時間がないのです。
④が期待できないとなると、やはり女性がんばれ!で⑤を次に読んでみたいと思います。
おススメの本、原田マハ著『キネマの神様』 ― 2016年05月28日
入院中の母は、おかげさまで、ようやく来週退院の運びとなりました。
とはいえ、まだまだ全快とはいえず、新しい形の介護サービスが始まります。
母の入院から2ヵ月半、毎日毎日、病院に通いました。
それは、単なる時間的な忙しさではなく、老いを考え、死を考え、母との親子関係を考え、自分の将来を考え続ける精神的に重くつらい日々でした。
でも途中から、そんな時だからこそ、自分の時間をおろそかにしてはいけない、と思い直し、わずかな時間を割いて若冲展に3時間並んだり、夜更けまで好きな本を読んだりしました。
その中の1冊がこの本。初版は5年ほど前のものです。
『楽園のカンヴァス』、『ジヴェルニーの食卓』など、美術作品を題材にした小説はマハさんの真骨頂、私も大好きです。
この小説は、絵画ではなく映画のお話のようですから、おもしろさについては半信半疑で読み始めました。が、すぐにそれは杞憂だったと気づかされる。しかも、決して映画が主人公というわけではないのです。
実在する時代設定の中で、魅力的なキャラクターを持つ人物たちが登場して、奇跡のような物語が展開されていきます。
その素材として、実際の映画作品や俳優たちがちりばめられているのですが、映画通ではない私でさえ知っているものばかりで、あたかも私って映画通?と錯覚するほど気分よく読めました。
これ以上は、言いません。
映画通の人にも、そうではないけれど映画が好きという人にも、おススメしたい本です。
最後には素直に感動の涙を流せるエンターテイメント、とだけ言い添えておきましょう。
仕切り直して、パリへ ― 2016年03月13日
昨年の11月、予定していたパリ旅行をキャンセルせざるを得なかったことは、11月24日の記事「ときめきのパリが、悲しみのパリに……」で読んでいただいたとおりです。
同行するはずだった友人M子は、長男がパリで研修中なのですが、今年の4月には帰国する予定です。ぜひ、その前にパリを訪ねたい。彼女の思いに、私ももう一度乗り合わせることにしました。
仕切り直してパリへ、明後日から行ってきます。
昨年《Paris 2015》と書いたノートのタイトルに、2016と書き加えました。
ドミニク・ブシェというパリの一つ星レストランをご存じでしょうか。
銀座にも支店があります。
2年前、娘とパリへ行く直前にテレビ番組で紹介され、行ってみたいと思っていましたが、そのときは、願い叶わず……。
そのオーナーシェフの奥さんという人が日本人で、じつはM子の元同僚であることが、彼女の親しい友人を介してわかったのです。
マダムは、その名を松本百合子さんといい、フランス語の翻訳家としても活躍しているのでした。
ちょうど、私たちの再出発に合わせるように、彼女のエッセイ集が発行されました。
『それでも暮らし続けたいパリ』主婦と生活社発行。
15年以上もパリに在住している彼女の目を通して、フランスの魅力、その豊かさ、おおらかさが楽しくつづられています。
まえがきで、パリの同時多発テロのことが語られていました。パリの人々の心意気に、目頭が熱くなりました。
迷いなく、パリへ行ってきます。