自閉症児の母として(82):新たな発見 ― 2025年12月23日
このシリーズは2年近く空きましたが、久しぶりの長男登場です。
1400字のエッセイとして書いたものです。

自閉症の長男は、障害者のためのグループホームで生活を続けている。温かな理解に支えられ、現在のホームに入ってもう4年になる。
部屋は6畳ほどの広さだ。入居の際、自宅で使っていたテレビや本棚などのほかに、大型のエレクトーンも置くため、ベッドの下が有効利用できるような高さのあるベッドと、小さなデスクと椅子を、お手頃価格のN店で買って運び入れた。
2年ほど過ぎたある日、「椅子の脚が折れました」とホームから連絡を受けた。
1000円もしない「お手頃」以上?の値段の丸いパイプ椅子だったので、やっぱり、と思った。今度はもう少しがっしりした木製の四本脚に布製の座部が付いたスツールに買い換えた。
中肉中背の息子ではあるが、扱いが乱暴なのか、しょっちゅう持ち物が壊れたり、服や靴に穴が開いたりする。毎日たくさんの荷物をカバンに詰めて出勤し、ゆっくり歩くより走るほうが得意なほど活動的だ。しかも、服も持ち物も替えの数は少ないから、どうしても消耗が激しいのだろう。そう思ってあまり深く考えず、その都度買い替えていた。
ところが、先日、また椅子の脚が根元から折れたという。さすがに驚いた。まだ1年もたっていない。
翌日、彼の部屋に出かけていって折れた脚の断面を見ると、一見木材のように見えても、合板のような素材だった。しかし、N店の商品が粗悪とは思えないし、男性一人が座って壊れるはずもない。やはり息子の座り方が悪いのだろう。傾けて座っているのかも。
そういえば、と記憶がよみがえった。
数年前のこと、便座のふたの付け根部分に、亀裂が走っているのを見つけた。おかしい……、と思っているうちに、亀裂は大きくなり、あわててメーカーに電話して、新品のふたと交換してもらった。
犯人はおそらく長男だ。他の家族は心当たりがないと言う。彼に何を聞いても、「うーん」とあいまいな返答ばかりだったが、その表情からして、彼の仕業だろうと推測できた。背もたれのように、もたれかかったにちがいない。開閉以外の力がかかれば、壊れるのも無理はないだろう。
N店の椅子は1年間の保証期間内だったので、お客様センターに問い合わせてみた。電話口の女性は、
「お怪我はございませんでしたか」と、まず気遣いの言葉をくれた。
今後の参考にしたいので、壊れた椅子の写真を送ってほしい、と言う。
自宅ではなくグループホームに住んでいるため、すぐには難しいと事情を告げると、それでは宅配便で新品を届けるから、その場で壊れたほうを空いた箱に入れて引き取りたい、とのことだった。
ホームのスタッフに対応してもらい、椅子の交換は完了した。
N店には、お手頃以上の誠意を感じた。
息子の障害は、コミュニケーション障害ともいえる。人との付き合いがうまくできないのだ。おそらく彼は、物との付き合い方も下手なのだろう。
長男の子育て39年目にして、いまだに新たな気づきがある。さて次は、と楽しみに思えるようにまでなってきた。

オススメの本:石井健介著『見えない世界で見えてきたこと』 ― 2025年12月12日

この本を知ったのは、朝日新聞の読書欄に連載される「著者に会いたい」というコラムでした。
「ある朝、目を覚ましたら目が見えなくなっていた」
それは、映画や小説ではなく、著者の石井さんの身に起きたことです。彼はその日まで健康に過ごしてきた30代の男性。彼がつづったエッセイ集だというので、読んでみたいと思い、図書館で借りて読みました。
石井さんは、はじめは絶望の淵で泣き続けても、やがて自分を客観的に見つめるようになるのです。その心の動きを的確な言葉で表現しているので、エッセイとしても光っている。不条理な運命を嘆きながらも、自分を受け入れます。
さらに、新しい世界に飛び込んだようなワクワク感さえ抱きながら、生きるすべを、生きる場所を作り上げていく。
すごい人だと思いました。
あえて言わせてもらえば、私も障害児の母として、同じ社会的少数派です。その立場からも、共感しました。もちろん、彼とは違いが大きすぎるけれど、こういうとらえ方をして、価値観を見出して行けばいいのだ、と何度も膝を打ちました。石井さんの見えない目で見たことを読み、私は見える目からうろこがぽろぽろと落ちました。
石井さんは、その自身の名前から、みずからの行動を、石が転がるイメージで表現しています。私自身にも石を渡っていくイメージがある。そんな共通点も見つけて楽しめました。
そして、彼の自己肯定感や、適応能力の高さには驚かされます。そんな石井さんだからこそ、神様は彼を選んでこの病を与えたのだろうとさえ思えたのでした。
抽象的な推薦の文章です。あえて、具体的な本の内容、エピソードには触れていません。ぜひ、この本を手に取って、彼の言葉で、彼の文章で、この本の価値を感じていただきたいと思うので。
ちなみに、私がこの本を読むきっかけとなった新聞のコラムを書いた記者は、2020年5月に、わが家にやって来て取材をし、記事を書いてくれた田中陽子さんでした。本を読み終わって新聞記事を読みなおし、初めて気がついたのでした。
(2020年05月27日)
娘の一時帰国 ― 2025年02月25日
上海に赴任中の娘が、人間ドックを受診するために帰国した。どこかが悪いわけではなく、会社からの指示。よって往復の搭乗券は会社が負担。赴任してもう丸4年がたっている。
仕事の合間を縫って、1週間わが家に滞在し、今朝、ふたたび上海に戻った。
久しぶりというわけではない。これまでにも、ロンドン駐在の夫と二人で、お正月に来てくれたこともあったし、数ヵ月前には、私たち夫婦が上海を訪ねたばかりだ。
でも、これまでの帰国では、なかなか母娘二人だけの時間が取れなかったし、普段のラインや電話では、あまりおしゃべりな娘ではないので、娘の本心が覗けない歯がゆさがあった。やはり今回は、一緒の時間のなかで、母と娘の会話もできて、何よりそれがうれしかった。
近くで見ると、頬の赤い吹き出物が気になる。髪の毛も傷んでいて、水や空気があまりよくないらしい。
食事も外食ばかりだと、中国料理はどうしても脂っこいので、健康が心配になるから、忙しい日々でも、要領よく自炊するようにしているという。果物や野菜は新鮮で安く手に入るけれど、便利な冷凍野菜は質が悪い。日本からのフリーズドライなどの食材を使って工夫しているというので、帰る時には、おにぎり用の美味しい海苔や即席みそ汁などをたくさん持たせた。
娘は、日本にいる間に、人間ドックだけでなく、歯科検診やら、運転免許の更新やら、美容院やら、銀行の手続きやら、免税での買い物やら、たくさんの用事をこなしていた。外国に2年以上住んでいると、店舗によっては消費税が免税になるそうだ。
もちろん、たくさんの友人たちとも会った。30代半ばの娘たちは、すでに離職、転職した人、離婚した人、家を買った人、それぞれに人生を切り開いているという。娘もいろいろと感じるところがあったことだろう。
最後の夜は、たまたま招待されていた、ホテルの牛肉尽くしのスペシャルディナーコースを二人で堪能した。何杯もワインや日本酒を飲みながら、私の食べきれないお肉も余分に食べながら、いつになく饒舌な娘となって、胸の内を見せてくれたように思う。今は離れ離れになっている夫との暮らしも、将来の設計図も、上海での仕事内容も、少しだけではあったけれど、私には新しい発見があった。わが子ながら誇らしく思えた。
(もちろん、企業秘密や、口外したら怒られそうなことだから、ここには書けないのが残念)
そして、中国ではなかなか食べられない日本の美味しいものたち。握り寿司、たこ焼き、もんじゃ焼き、あんこの美味しい和菓子、母親、父親の手料理……などなど、彼女の好物を連日食べつくして帰っていった。
また、いつでも帰っておいで。
中国駐在は、まだあと1年か、長くても2年か……。そして、そのあとは???
娘の成長と、生活の変化と、見守りながら楽しんでいこう。

写真を撮られるのを好まない娘。今朝の出発間際にやっと一枚撮らせてくれた。娘を歓迎しようと、4年ぶりに飾ったお雛様の前で。

前回の続き:結果発表は、いかに? ― 2025年01月18日
おかげさまで第2弾は、希望どおりツアー最終日の東京ドーム公演に、正真正銘の当選を果しました。
一緒にヤキモキしてくださった皆さん、どうもありがとうございました。
今日は、次男の30回目の誕生日で、乾杯した直後に、うれしい一報が入り、ダブルの「おめでとう!!」となりました。
前回のライブはというと、桑田君のソロで、2022年12月11日の東京ドーム公演。

今回は、ほぼ2年ぶり。まだ5カ月以上も先のことですが、目の前にぶら下がったニンジンのように楽しみにしながら、元気で走り続けたいと思います。

ニーハオ、上海!:④サイチェン、上海! ― 2024年12月22日




最後の夜は、近くのホテルのちょっとリッチなレストランで、北京ダックをいただきました。もちろん、とても美味しゅうございました。
横のテーブルには、小学生ぐらいの男の子と父親らしきふたり連れがいる。こんな上等な店にふたりきりで?
「お母さんはいないのかな」と娘に小声で言うと、「まだ働いているんじゃない?」との答え。中国は女性も当然のように仕事を持っているのでした。
彼らは富裕層に見えました。男の子は大きなメガネをかけて名探偵コナンのように賢そう。しきりと私たちのほうを気にしています。
それから、お父さんに何か話しかけました。
娘の通訳によると、
「この人たち、日本語を話している」と言ったという。
でもお父さんはにこりともせず、さっさと帰る支度を始めていました。
マスコミの情報によれば、中国人の9割が「日本は嫌い」だといいます。それでも、日本に滞在経験がある中国人の場合は、「嫌い」の割合がぐっと下がるとか。もちろん、どこまで信ぴょう性があるのか、わかりません。
とはいえ、日本人が襲われる事件もあり、心配な事態だということだけはわかります。国家のあり方が違って、情報操作もされているそうですから、国民感情も日本人と同じように分析はできないのかもしれません。
娘は上海だけではなく、中国各地に出張をしたり、旅行して回ったりしています。
「くれぐれも気をつけてね」と言えば、
「大丈夫。私は黙って歩いていれば、中国人にしか見えないから」とのたまう。
まあ、たしかにそうだけれど、他の国に行ったって、日本にいたって、親の心配は尽きないのでしょう。
ともかく、彼女が帰国する日まで、無事を祈り続けるしかありません。
これで最終章です。
次回から、南フランスの旅のフォトエッセイシリーズを再開します。
どうぞまた覗きに来てくださいませ。
ニーハオ、上海!:①びっくり7選 ― 2024年11月22日
「南フランスの旅のフォトエッセイ」も中断したままだし、前回の投稿がちょうど同じ日付の10月22日。1ヵ月もご無沙汰しておりました。娘の駐在先の上海へ行っていたのです。準備にも、帰国後の忙しさも、目の回る1ヵ月でした。
初体験の中国です。まず観光とはいえ、ビザが必要で、申請も受け取りも江東区有明にある中国ビザセンターに出向き、それぞれ狭い部屋で2時間半待たされました。それだけで気持ちが折れそうでした。
とはいえ、娘がどんな場所でどんな暮らしをしているのか、この目で見てこよう。そんな強い思いで、夫とふたりで、かの地へ向かいました。
娘が上海に行くことになったいきさつは、2021年2月10日の記事につづっていますので、そちらもお読みいただけたらうれしいです。
コロナ禍の真っ最中に単身赴任してから早くも3年半。娘もさることながら、聞きしに勝る中国とそこに住む人々のおもしろさに圧倒されるやら呆れるやらの5日間でありました。
びっくり・その1
まずは初日、仕事帰りの娘が空港に迎えに来てくれるので、夜に到着。出口で待っていた娘は、タクシードライバーと電話でやりとりしています。もちろん、中国語。彼女が中国語を話すのを初めて聴いたので、まずびっくり。3年半も暮らしてきたのだから、当たり前だとはわかってはいても、感動してしまったのでした。
その2
彼女のひとり暮らしの住まいが立派なのでびっくり。26階建てのホテル兼レジデンス。週2回お掃除が入ると聞いてはいたけれど、要するにホテル住まいだから、タオルも寝具も取り換えてもらえる。キッチンや大きな冷蔵庫はあっても、ほとんど外食だとか。広い寝室もバスルームも2つずつあって、私は高級ホテルのシングルルームに泊まった気分。ああ、うらやましい。(と私が言うのがわかっていて、これまで娘は詳しく話してくれなかったようです)

その3
まあ、街中の賑やかなこと。車はクラクションをブブブーと鳴らして走り、バイクは歩道さえもビービー鳴らしながら通行人を縫うように走るのです。これにはいつもびくびくして歩いていました。
人々は大きな声で会話をします。近くの人とでも。まるでけんかしているみたい、と言われるとおりでした。
その4
上海は都会ですから、人口も多い。その混み具合は、東京とあまり変わらないでしょうか。ただ大いに違うなと思ったのは、どこを歩いていても、人がよけてくれないこと。いつも向こうから突進してくる人をこちらがよけている、という感じがしてなりません。こちらを人間として見ていないの? 物体のように思ってる? ……とすら思えてくる。娘もそうなのよ~と同意。日本なら、どちらからともなくぶつからないように自然と身をかわすのに。
とはいえ、あちこちでぶつかって倒れる人もいないので、うまくすれ違っているのでしょうね。ひと月もすれば慣れるのかもしれないけれど、新参者としては戸惑うばかりでした。

▲南京東路・西路と呼ばれる繁華街。いつでも歩行者天国でにぎわっていました。
その5
同じように、地下鉄の中でも、当たり前のように電話をしています。しかも、スピーカフォンで、相手の声まで聞こえてくる。これもまた日本ではありえない。
みんながみんな同じようにしていて、お互いさまだから?
話し声も大きいから、電話だって同じ?
「車内ではお静かに」というマナーはないのかもしれません。

その6
さすがに中国は、日本の先を行くIT社会です。
まず、出発前に娘の指示どおり、中国のAlipayというアプリをダウンロードして、アカウントの初期設定をしました。中国の人民元で支払いをするためのアプリで、娘が夫と私のそれぞれのアカウントに、滞在中に使う程度の人民元をチャージしてくれました。手持ちのクレジットカードも登録すれば使えますが、その都度3%の手数料がかかるので、使ったのはチャージした元だけ。地下鉄に乗るときも、改札口にQRコードをかざすだけで、アプリから電車賃が支払われます。買い物の支払いも、店頭で同様にQRコードだけで決済が完了します。
結局、滞在中は中国の紙幣も小銭も、現金には一切触れず、目にもせず、でした。
タクシーにも何度も乗りましたが、すべて娘がアプリで手配。近くのタクシー乗り場を指定すると、利用する車のナンバーや、あと何分で来るかもわかり、安心して待っていればいいのです。
日本でもたまに「GO」のタクシーを利用しますが、それより進歩していて便利なように感じました。
ちなみに電車賃もタクシー料金も、およそ日本の3分の1程度でした。
なんともかわいかったのは、娘の住むレジデンスのロビーで、充電しながら待機している青とピンクのロボット2体。日本でもファミレスなどで料理を運んでいるのを見かけるようになりましたね。
このビルでも、ときどきエレベーターに乗っていたり、扉が開くと降りてきたりして驚いたものです。ビルの玄関先まで届けられた居住者宛ての配達物を、従業員が受け取り、ロボットたちに指令を出すと、それを間違いなく部屋のドアの前まで届けるのです。娘も熱々のご飯や通販での買い物など、しょっちゅうお世話になっているようです。
ちなみに、彼らの名前は、トムとジェリーですって。かわいい働き者たちでした。
その7
こうやって、驚いてばかりの初めての異国を、中国語しか通じない街で、老夫婦ふたりが迷子にもならず、けがもせず、(当局に捕まりもせず?)歩き回れたのは、ひとえに娘のおかげです。
思い起こせば、3人の子どもたちが小さい頃、私たち親は苦にもせずに車を運転したり、電車に乗せたりしては、あちこち連れて行ったものです。
それが今、まったく立場が逆転してしまった。感無量の思いです。娘がここまで成長したのも、親の力なんてほんのわずか、自分の努力と我慢をたくさん積み重ねてきたからだと、私は思っています。
立派になったね。ほめてあげたい。
☆びっくりの番外編です!

★次回は、美味しい中国料理のかずかずや、上海の人気スポットなど、たくさんの写真とともにアップするつもりです。お楽しみに!
ロングエッセイ:「最後の愛車」 ― 2024年05月04日
私が運転免許を取ったのは、結婚した年だった。費用は家計費からねん出して取得すればいい、と学生時代から考えていて、そのとおり実行した。夫は免許を持ってはいても、運転はあまり好きではなさそうだ。そのせいか、私の運転に協力的で、助手席に座り、文字どおり私の運転助手となった。
子どもが生まれると、車のある暮らしは何かと便利だった。しかし、その必要性がはっきりしたのは、長男が2歳半の頃。息子は自閉症という障害があり、いわゆる多動児で親と手をつなぐのも嫌がり、勝手にどこかへ行ってしまう。買い物も、通院も、遊びに行くのも、チャイルドシートから降ろすとベビーカーに乗せ、どこへでも出かけたものだ。
子どもが2人に増えても、リトラクタブルライトの付いたスポーティブな車の後部座席に、チャイルドシートを2つ並べて子どもたちを乗せる。それを見た友人から、「ミスマッチねー」とあきれられたこともあった。カーナビなどない時代、高速道路の出入り口を事前に頭に入れておいたり、膝の上に地図を広げたりしては、あちこち走りまわった。
家族で旅行をする時には、全行程ドライバーは私で、到着後の子どもの世話や食事のしたくは夫の役目。この分業はスムーズだった。
そして、子どもが3人になった頃、ワンボックスカーが主流になり、7人乗りのホンダ・オデッセイを選んだ。大きい分、パワフルで運転しやすく、見晴らしもいい。車内も広く快適だ。オデッセイはほぼ20年にわたって3台乗り替えた。その頃にカーナビという画期的な道具が生まれ、これさえあれば地の果てまでも運転していける気がして、うれしかった。
オデッセイ2代目の時に、初めて希望のナンバーが付いた。お気に入りの曲、桑田佳祐の「波乗りジョニー」をもじって、ナミナミ、つまり73‐73にした。
ところで、車をゆりかご代わりにして育った長男は、毎年発売になる自動車ガイドブックをいつからか買い続けていて、さすがに車に詳しい。また、近くのホンダカーズの担当者とも仲良くなり、行くたびに新しいホンダ車のカタログやミニカーをもらい、コレクションしている。ディーラーとは、もう30年以上のお付き合いだ。他社の車に目を向けることもなくホンダ車ひとすじのわが家は、いいお客さんだろう。薦めるでもなく売りつけるでもなく、こちらの言い分、気持ちをすべて肯定して受けとめてくれる。気がつくと、魔法にかかったように買いたくなっているのだ。
時は流れ、家族旅行の機会も減り、わが家の車は7人乗りである必要がなくなってきた。とはいえ、オデッセイの走りの良さは捨てがたい。そこで買い替えたのが、やはりホンダのヴェゼル。SUVと呼ばれる、走りを楽しむスタイリッシュな車だ。長男は発売当時から、街中で見かけると、「ヴェゼルだ!」と指さした。私も次に買い替えるならこれ、と決めていた。これが最後の愛車になるだろう。BGMはもっぱらサザンだから、ナンバーは12ヵ月サザン、12‐33とした。
ところが、である。買ってから2週間目に、夫と紅葉の軽井沢に出かけた。もう少しで到着という辺りで、ディスプレーに赤い警告が出て運転中止を余儀なくされたのだ。驚いて緊急連絡をすると、レッカー車がやって来て、新車ヴェゼルはあえなく修理工場に運ばれて行ってしまった。まる1日かけて検査をしたが異常は見つからず、コンピュータ内部にも原因は見当たらなかったという。別の車に交換してもらうこともできず、問題のない安全な車だと信じて乗り続けるしかなかった。幸いその後は、同じ警告が出ることはなかった。
さらなるショックは、半年もたたないうちにやってきた。ヴェゼルのフルモデルチェンジが発表されたのだ。担当者は「営業にも知らされなかったんです」と、とぼける。それがわかっていれば、新型車発売まで待ったのに、と悔やまれた。
新型ヴェゼルはあまりにも斬新なスタイルで、いかつい顔が好みではない。とはいえ、皮肉なことに、この新車のCMで流れる曲「きらり」を歌う藤井風にはどんどん惹かれていく。旧型ではあってもヴェゼルに乗って彼の歌を聴くことは、最高にクールな時間だった。それでも、ドライブ中にすれ違う新型車は、気になってしかたがない。
やがて、気がつくとテールゲートに何かをぶつけられたようなへこみができていた。私がぎっくり腰で歩けなくなり、医者に行くため運転を任せると、夫は2年ぶりの運転で、やはり前方のバンパーを激しくこすった。
愛車の傷は、私の心の傷となっていく。3年後の初回車検のおり、「新型に買い替えようかな」と軽い気持ちで呟くと、
「今、納車は1年先ですよ」とのこと。世界的な半導体不足で、自動車業界も厳しい状況にあるのだ。とても1年は待てないと、買い替えの件はあっさり撤回した。
「新型ヴェゼルの納期は3ヵ月程度になりました」
と、その半年後の定期点検の時に、担当者が言う。消えたはずの買い替えの気持ちが、また膨らみ始める。
夫は「運転するのは僕じゃないから」と、にこにこ笑っているだけで何も言わない。ただ、2人とも新型ヴェゼルがすっかり目になじんで、「いいねー」「いいよねー」と、気に入っていることだけは共通していた。
それでも買い替えをためらう最大の理由は、なんといっても年齢的なこと。今年の年末には古希を迎える。腰が痛い、ますます目が悪くなったと言いながら、新しい車が扱えるようになるのだろうか。ブレーキとアクセルを踏みまちがえたりしないだろうか。
その迷いは、試乗することで解決した。運転操作はほぼ今の車と同じ。ナビの画面は今の倍はあるし、メーターの表示も大きい。ちょっとでも物体に接近しすぎると警告音が鳴る。片足を上げればセンサーが反応してテールゲートが開く……。むしろ高齢ドライバーに優しい車ではないか、と夫も私も納得した。
そうだ、古希のお祝いに買うことにしよう。あと5年間、ドライブを楽しめればいい。ヴェゼル2号の色は「プレミアムサンライトホワイト・パール」。日の光で微妙に変化する上質な白い色。愛車人生で初の白だ。ちなみに、10台目のホンダ車である。
もうひとつの言い訳。私は長男の子育てで、車に大いに助けられた。便利だっただけでなく、好きな音楽を聴きながらひとりでドライブすれば、つらいことからも解放されるような気分に浸れた。そうやって苦難の日々を乗り越えてきたのだ。私にとって、かけがえのない相棒であり必需品だったといえる。長男は車とセットで授かった、と言ったら神様に笑われるだろうか。
ナンバーは、12‐31。今度こそ、これが最後の愛車となる。
▼さよならしたヴェゼル1号。

▼最後の愛車、ヴェゼル2号。

自閉症児の母として(81):バレンタインデー ― 2024年02月16日
「僕はバレンタインデーに、ママからチョコレートをもらうよ」
長男が、1週間ほど前に、電話でこう言いました。
週末しか自宅に帰らないので、水曜日のバレンタインデーに、どこでチョコレートをもらえるのか、心配しているのでしょう。私はそれよりも、彼のセリフに感動しました。
なぜって、間違いのない日本語だったから。
自閉症の息子は、混とんとした世界で生きています。特に、人間関係の把握が苦手なので、コミュニケーションも苦手。まして、もらう、あげる、くれる、など、動作の方向性を表す言葉は、正しく言えたことがありません。
「ママが僕にチョコをもらう」だったり、「僕はママからチョコをくれる」だったり。考えてみれば、日本語は難しい。それが普通に言えるようになることこそ、不思議なことなのでは……と思えてくる。
ところが、彼の今年のチョコ催促は、完ペキ?でした。
今週は特別忙しいのだけれど、感動のあまり、待ち合わせの場所を決め、持って行ってあげることにしてしまいました。
バレンタインの前日は、息子の主治医のクリニックに行きました。これまでずっと、本人は行かずに私だけで1ヵ月の様子を伝え、精神安定剤を処方してもらっています。先生はこの地域の障害者福祉についても詳しいので、いろいろと相談に乗ってもらうこともあります。
その日、たまたま待合室で居合わせたのは、若い男性と私よりも少し若そうな女性の二人連れ。おそらく親子なのでしょう。男性は落ち着きがなく、ぶつぶつと独り言を口にしている様子からも、すぐに息子と同じ症状だと思いました。
「明日はバレンタインだ。明日はバレンタインだ」と彼。
「うん、そうだね」とお母さん。
しばらくすると、またその応答の繰り返し。彼もまた、チョコがもらえるかどうか気が気ではないのかな……。息子と同じだと思うと、親近感がわいて、マスクの下で思わず口元がにんまり。
ドクターとの面談で、たった今、待合室で見かけた母子の様子を、「息子と同じですよ。2月14日には、きちんとチョコレートがもらいたいんですよね」と、話しました。
「まさしく、他人の空似ですねぇ。そういうカレンダーどおりの行動がとりたいというこだわりの強い、よく似た人たちが、他人なのに確かにいるんですよね」
「自閉症スペクトラムというくくりに収まる人たち、というわけですね」
おもしろいですね。不思議ですね。二人でうなずき合いました。
さてさて、バレンタインデー当日、息子の仕事が終わった後、待ち合せの場所でチョコレートの包みを渡しました。さっそく箱を開けて、ふたりで1粒ずつ食べました。
その日の夜、いつものように夕食後に、グループホームの息子から電話がありました。その晩の夕食のメニューを教えてくれます。それから、
「あ、そうそう、バレンタインデーのチョコレート、いかがでしたか?」
「ちょっとぉ、それは私の言うセリフ。『いかがでしたか』じゃなくて、そこは『ありがとうございました』でしょう!」とつっこみを入れる。
「あ、そうか、チョコありがとう」
はいはい、どういたしまして。
かくして、無事に、年に一度のイベントは終了したのでした。
クリニックの男性も、チョコレートをもらったかしら。やっぱりお母さんからだったかな……

自閉症児の母として(80):「息子の起こした“大事件”」の番外編その2 ― 2024年01月31日
息子の通勤に付き添ったのは、正確には夫と私だけではありませんでした。自宅にいる次男も、時間の許すかぎり、付き添ってくれました。
そして、「福祉」ではなく、有料のヘルパーさんも。
私は、送迎のかたわら、移動支援のヘルパーを頼もうと、区役所の相談窓口に問い合わせました。ところが、幼児や小学生向けの通所サービスはあっても、息子のケースに該当するサービスはありません。グループホームで生活し、10年以上も就労継続A型の作業所に通っている37歳の息子には、必要がない。そう決めつけられているようです。
区役所福祉課の担当者は、
「通所サービスを受けるには、両親が障害や病気、仕事がある場合に限られます。その場合は診断書や就労証明書を提出して申請してください」と言います。
高齢者の仲間入りをしている私たちに、就労証明ですって?
「もう一つの行動支援というのは、送り迎えだけではなく、外出先でも一緒にいて支援をするものです」
職場の中まで一緒に、というのでは、これはちょっと違う、と判断しました。
そこで、つぎは民間の相談支援センターに出向きます。
ここで、有料のヘルパーを派遣してくれる法人がいくつかあることを知りました。料金はいろいろだけれど、実費で柔軟なサービスが提供されるのです。3ヵ所の担当者とそれぞれ面接をし、ようやく1ヵ所と契約をして利用できるようになるまで1ヵ月半もかかりました。しかも料金は本人の収入に見合うものではありませんでしたが。
それでも、夕方だけ数回依頼すると、毎回同じおとなしそうな若い男性が付き添ってくれて、とても助かりました。
今回の一件では、いくつかの印象に残る言葉がありました。
「モトさんに適した福祉サービスがないのなら作ってください、ですよね」
区役所の福祉課でもらちが明かず、困っていた私たちに、グループホームの責任者がそう言いました。つまり、バスに乗るために付き添いが必要なのに、そのサービスが受けられないなら、新たなサービスが作られるべきなのだ、という考え方です。障害者一人ひとりに適した福祉サービスを提供すること。それが福祉だと彼は言いたかったのでしょう。
さすがに支援者のプロとして働く人は、視点が違うと思いました。頼もしい支援者です。
主治医のドクターは言います。
「障害者差別解消法という法律は出来上がっていても、まだまだそれを実践していく具体的な条例や施策が追い付かないんですね」
確かにそうです。今回のことで痛感しました。
それでも一歩ずつ、だれもが暮らしやすい社会になっていきますように!

自閉症児の母として(79):「息子の起こした“大事件”」の番外編その1 ― 2024年01月28日
息子は思春期の頃から、パニック発作を起こすことがありました。
激しい怒りや、小競り合いなどの敵対する感情など、テレビのワンシーンからでも、自分の中に取り込んでしまうのです。サッカーの試合ばかりではなく、かつてのプロ野球中継でも監督が怒りを表すシーンや、お笑い芸人の真剣なふりをした怒りに対しても、同様でした。
それはなぜか。少しだけ答えが見えています。
彼の世界観、つまり、息子がどのようにこの現実世界をとらえているのか、37年間に及ぶ彼の子育てで、ようやくここ数年前からわかってきたように思っています。彼の頭の中を覗き込むことはできませんから、あくまでも私の想像にすぎませんが。
彼の世界は、混沌としている。自分と相手の区別がつかない。だからこそ、その混沌を少しでも秩序を持たせるために、時間やカレンダーに興味がある。予定表があれば安心できる。逆に、予期せぬことが急に起きると、冷静な判断が難しい。
だから、熱中してくると、テレビ画面の向こうの世界も、それを見ている自分の空間も、区別ができなくなり、一緒になって暴れてしまう。面白いシーンで一緒になって大笑いするのと同じように。
ただし、このようなパニック発作が、かならずしも自閉症の特徴ではありません。誤解のないようにお断りしておきたいのです。同じ世界観を持っているかもしれませんが、自閉症のだれもがパニックになるわけではありません。残念ながら、息子の個性、性格的な部分からくるものでしょう。
そして、息子は同じ状況になると、パニックを起こすスイッチを入れてしまう傾向がある。そのルーティンを自分で断ち切ること、それが彼の重要な課題です。
「37年間に及ぶ子育て」と書きました。今なお、彼は成長しているからです。まだまだ、親の役目、苦労の種は尽きません。その分、息子の成長を感じる喜びがあります。たくさんの方がたに支えてもらいながら、もうちょっとがんばっていきますね。
