著書『歌おうか、モト君。』より: エッセイ「こだわりを脱いで」(後半)2013年02月07日


20年前の手作り。色あせても捨てられない。

 

   こだわりを脱いで(前半に続く)

息子は、小さいときからとにかくテレビが大好きだった。友達のように日がな一日、いっしょに遊んでいた。ただし、外国語だけはいやがり、子ども向けの英語番組さえも見たがらなかった。
 3歳ぐらいのころだったか、あるとき、子ども番組が終わって、風景が映し出されたとたん、悲鳴を上げてテレビを消した。何だろうと番組表を見たら、次はスペイン語講座。オープニングのシーンをひと目見ただけで、わかったのだ。きっと以前にもそのまま見続けてしまって、なじみのない言葉によほど恐ろしい思いをしたのだろう。

それがいつからか、本屋で見つけたテキスト片手に、「セサミストリート」を見るようになってしまったのである。わけがわからないから怖い。ならば、解説書とともに見ればいい。彼のこだわりは逆転し、この月刊のテキストもシリーズ・コレクションに加わった。
 さらに、毎週土曜朝の番組は欠かさず見る。テキストに載っている何分何秒の時間配分にまでチェックを入れて楽しんだ。
 ゆかいなモンスターたちのおしゃべりや、数字やアルファベットに興味を持っているうちはまだよかった。よかれと思って買い始めたテキストだったのに、こだわりが強くなりすぎて、こんどは毎月18日の発売日が気になってしかたがない。
「18日にセサミストリート、買うよ」
と、1週間も前から言いだす。
「あしたセサミストリート、買うよ」
 前日になると、感極まって涙まじり。しかも5分おきに言い続ける。
「だいじょうぶ、ちゃんと買ってあげるから。笑って待ってようね」
 そのやり取りが毎月何10回となく繰り返されるのだ。
 発売日に買いそびれたこともないのに、なぜこれほどまでに不安になるのだろう。自閉症児のこだわりのきびしさ。安心させることのむずかしさ。親の愛情と忍耐だけが治療薬なのである。

小学校に入ると、さらに困ったことになる。番組の放映は、土曜の朝8時、登校する時間である。ただでさえいやいや通い始めた学校に、大好きなセサミストリートを見ないで行かせるのは、あまりにダメージが大きいのではないだろうか。
 録画してあとで見る、などという妥協案は、彼の辞書にはない。テレビ番組はオンタイムで見るもの。時間はいつだって未来へ向かって進んでいる。
 悩んだすえ、土曜の1時間遅れの登校を、大目に見てもらうことにした。

半年後、息子のセサミストリートへの執着がようやく落ち着いてきたころ、次のステップを踏みだした。
「録画して学校へ行こうよ。帰ってきてからゆっくり見よう」
と、ひと月も前から説得を始める。毎日毎日、言って聞かせる。
「学校は、ほんとは8時に行かなきゃいけないものね」 
 彼は知らん顔をしているようでも、聞いてはいるのだ。こだわりを通したい一方で、学校の時間のルールも守りたい……。彼のなかの葛藤が目に見えるようだった。
 そしていよいよ決行の土曜当日、こちらも勇気を出して、声をかけた。
「じゃ、いい子だね。テレビを消して、録画ボタンを押して、学校に行こうね」
 もう覚悟はできていたのだろう。黙って言われたとおりにすると、「モト君、えらい!」というほめ言葉を背中に受けて、泣きながら学校へ走っていった。

さらにその4年後、番組は英語と日本語との2ヵ国語放送となり、テキストの発行はあっけなく終了。
 こうして息子は、セサミストリートのこだわりから解放されたのである。
 長い長い道のりだった。

園長先生の言われた「2年」がたったころ、気がつくと息子はずいぶん変わってきていた。聞き分けもよくなり、心を通わせることが多くなっていた。
 M学園には、就学を猶予して4年間通った。愛情深い療育のもと、彼は自分を閉じ込めていた堅い殻を、少しずつ脱いでいくことができたのである。旅人のマントを脱がせたのは、強い北風ではなく、やはり太陽の暖かさだった、といつも思うのだ。


 幼いころのS君のおでんコレクションも、お母さんがとことん付き合って、買い続けてあげることで、いつのまにか下火になっていったという。

毎年、S君一家からは写真入りの年賀状が届く。お父さんによく似た面長のハンサムな青年が映っている。
 7年前のお母さんの言葉。
「今年で20歳になります。この笑顔に励まされての20年間でした」
 おでんを肴に、お父さんと一杯やるんだろうか。それとも、もうおでんは見るのもいやかな、……なんて思ったら笑ってしまった。
 写真のS君も笑っていた。

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そして、昨年暮れ、Sさんから届いたのは、訃報でした。
S君のお父さんが50代の若さで急逝されたとのこと。
すぐにお悔やみの手紙を出しましたが、お母さんはまだまだ涙にくれる毎日を送っている様子です。
「息子たちにも私にも、やさしい愛情深い人でした。もう一度会いたいです」
これからも天国から、S君の成長を見守り続けてくれることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。



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