映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』を観る ― 2015年12月02日
「黄金のアデーレ」とは、正式名称「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 Ⅰ」という絵画で、描いたのはウィーンの画家グスタフ・クリムト。彼は19世紀末のアール・ヌーボーという革新的な芸術を代表する画家です。
この絵は、写実的なアデーレの像が、金箔をあしらった幾何学模様の中に埋め込まれ、そのコントラストが不思議な魅力を醸し出しています。
アデーレの一族は、裕福なユダヤ人ファミリーでした。それゆえ一族は、オーストリアに侵攻したナチスの迫害を受け、この名画は没収されてオーストリアの国立美術館に展示されてきました。
ところが60年を経て、アメリカに亡命していたアデーレの姪、マリア・アルトマンが、自分に所有権があると言い出します。友人の息子である駆け出しの弁護士を雇い、オーストリア政府を相手取り、法廷闘争に持ち込むのです。8年という長い歳月をかけて、ついに彼女はその絵を取り戻します。
戦争と迫害と亡命、家族の愛と絆……、たくさんの過去がマリアの脳裏に浮かんでは消えていく。彼女の苦悩は史実に基づいているからこそ、私たちにも迫りくるものがあります。感動を呼ぶ映画でした。
さらに私には、80代の女性でも、真実を信じて立ち向かえば希望はかなえられるのだ、ということを教えられた気がします。
おススメの映画です。
ところで、舞台となったウィーン。
私は4年前の今ごろの時期に訪れています。
マリアが夫と亡命しようとする日、ナチスの追手から逃れるため、二人は人々の間を縫って、市庁舎の外廊下を走り抜けます。
(上の写真は4年前に撮ったウィーン市庁舎です)
その廊下には、私も思い出がありました。
私はその日、市内を一日中歩き回って、疲れ果てていました。ところが夕食をとろうにも、レストランはどこもいっぱい。最後に、市庁舎地下のレストランにやって来たものの、予約で満席だと断られました。
途方に暮れて座り込んだのが、外廊下の石のベンチの上。
この季節、4時には暗くなります。そこからの眺めは、庭にしつらえたクリスマスマーケットの小屋にも、背の高い木々にも、あたたかなクリスマス・イルミネーションがあふれていました。
荷物ひとつ持たずに、命からがら走って逃げたマリア。追手を振り切って、ついに空港からスイスへと飛び立ちます。
私はといえば、空腹を持て余すだけの異国の観光客。ほんの2時間後には、ウィーンでピザ!?とぶつぶつ言いながらも、美味しいピザとビールにありつけたのでした。
平和な時代の、たわいない思い出です。
ダイアリーエッセイ:偶然はおもしろい。 ― 2015年12月03日
西加奈子著『通天閣』を読んだ。
『サラバ!』と同じように、人生のどん底まで行ってしまうその一歩手前で、主人公はふっと顔を上げて、光を見る話。
彼女の本はまだ2冊目だけれど、ありふれた日常のリアルな描写に、ものすごい笑いのツボを感じることがある。例えば、スナックのホステス一人ひとりの個性。どれも「あるある!」と笑える。「サーディン」という店の名の由来も笑えたが、これは読んでのお楽しみ。
寝る前の読書タイムにはベッドの中で何度も声に出して笑い、明日、電車の中で読むのはやめようと、何度も思った。
極めつけは、母親の電話のくだりである。
お母さんはいつも電話を切った後、「言うの忘れてたわぁ」と、二度目の電話をかけてくる。しかも、言い忘れてたことは、全然大したことじゃない。
(あるある! ……と、世のお母さんたちはきっと思うだろう。特に、一人暮らしの娘のいるお母さんは。私もそう)
「近所のゆっこおばちゃんが再婚した」だとか、「新しい炊飯器を買ったらゴハンが格段に美味しい」とか……
ここで、私は大爆笑。
それを読んだ日、わが家は新しく炊飯器を買い替えたまさにその日だったのだ。そして、同じようなことを、家族と話していたのだった。
後日談。
昨晩、用があって娘に電話をした。受話器の向こうでは、ポリポリムシャムシャと遅い夕飯を食べているらしい。
用がすんでも、例によってだらだらと、どうでもいい話を二人で続けていた。
そこで私は、こっそり文庫本の付箋をつけた143ページを開き、さりげなく読み上げた。
「新しい炊飯器を買ったらゴハンが格段に美味しい」
「へえ、買ったの?」
「そうよ。ふたが壊れそうだったし、美味しいお米も取り寄せたから」
……と、フィクションを現実の世界に持ち込んでみた。
たわいないイタズラでした。
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自閉症児の母として(27):母の思いを伝える ― 2015年12月18日
今月は「師走」という名のとおりに、忙しく走り回っています。
自閉症児の母としても、講演の機会が2度ありました。
12月10日には、千葉県松戸市の聖徳大学の「障害児保育」の講義の中で、100名ほどの学生さんに向けて、お話をしました。講師である准教授の津留先生は、長男が中学生の頃に、療育でお世話になったのです。先生が『歌おうか、モト君。』の本に目を留めてくれたのがご縁となりました。学生さんの課題図書として私の本を利用してくださり、著書の私も年に1度は大学に出向いて話をさせてもらうのです。
いつもの私のエッセイの生徒さんはほとんどがご年配の方がたですが、大学には次男と同じぐらいの女の子ばかり! 私も若さに触れて、ちょっぴりアンチエイジング??
保育士や教諭を目指す学生さんたちの感想文には、可愛らしいアイデアがいっぱいです。
「自分の子どもが障害児だったら、こんなふうに強くなれないと思う」
いつも、同じように不安な気持ちをつづった文章が多いのですが、何の経験もない彼女たちには自然な思いかもしれません。
でも、大丈夫。母となったときには、それだけで強くなっていますからね!
12月16日には、東京都発達障害者支援センター(TOSCA)の支援者の研修のなかで、20年来の長男のママ友と二人、自閉症児の母としてお話をさせていただきました。
29年間、長男をなんとか育ててこられたのは、3歳のときからずっと、今もお世話になっている療育の場、「嬉泉」という社会福祉法人のおかげです。
そこで最初に学んだのが「受容的交流方法」。あるがままを受け入れて、心を通わせていくという子育てのやり方は、29年間私の基本だったと思います。
キーワードは3つ。「安心」をさせて、「経験」をさせて、人として「プライド」を持って生きていくこと。
そして、私のモットーは、園長先生の言われた、
「子どもの犠牲にはならないで、自分の人生も大切に」でした。
今後、障害者支援に望むことは?
・障害がわかった時点からずっと、一貫した支援のシステムがあるといい。
・母親ばかりではなく、父親に対する支援の充実も望む。
二人の母の一致した願いです。
参加者14名の方がたの感想は、さすがに支援の現場での体験からくるもので、確かな手ごたえがありました。この日の私たちの思いが伝わって、少しでもより良い支援に結びついていったら、うれしいかぎりです。
ダイアリーエッセイ:魔のクリスマス!? ― 2015年12月26日
クリスマスはいかがお過ごしでしたか。
平日とはいえ、クリスマスイブの午後9時を回った街はひっそりしていましたから、きっと皆さんはご家族と暖かい夜をお過ごしだったのかもしれません。
私のイブは毎年恒例、母と長男を乗せて、近くの教会で夜のミサにあずかり、帰りは、これまた恒例、母へのプレゼント、深夜の街を走り回ってイルミネーションを見せてあげました。
昨日25日は、38年ぶりのクリスマス&満月というスペシャルコラボだったそうですが、私の住む辺りでは雲が切れず、見ることは叶いませんでした。
そして、私はといえば、朝、激しい頭痛とともに目覚め、立っていることもできず、頭痛薬を飲んでも効かず、結局夕方まで寝ていました。
それだけ眠れるということが、そもそも異常です。超多忙な師走を走り終えないうちに、赤信号でダウンしてしまったようです。
思い起こせば1年前の12月25日にも、高い熱を出し、翌日にはインフルエンザとの診断を受けたのでした。
どうも私のクリスマスには、病魔が潜んでいるのでしょうか。
もっとも今年のわが家は、早々と19日のうちに、クリスマス&ひとみ誕生祝いのディナーを、シェフが腕によりをかけて用意してくれました。ボリューム満点のオードブル、チーズキッシュ、カブのシチューなどなど。
大好きなグリューワインのプレゼントもありました~♡
リフォーム業者が出入りする予定があり、早く済ませてしまったのが幸いしたのでした。
そうはいっても、この25日はシェフが不在。もう一度薬を飲むと、なんとか快方に向かったので、ハンバーグやサラダなど、家族4人分のいつもの夕食をこしらえました。
わが家特製のハンバーグは、たくさんの美味しいパンの耳を入れたり、隠し味を何種類も加えたり……。しかもちょうど大きな満月のように、ひと塊にしてオーブンで焼いてしまいます。今では自称「おふくろの味」。
息子たちはこれを切り分けると、ご飯に載せてハンバーグライスにして食べています。
昼間、あんなにたくさん眠ったのに、夜はいつもどおりに眠れました。
あまり忙しすぎないで、少しはのんびりしなさい、というやさしい神様のお告げだったのかもしれない、と思います。
天使の輪10人分でしめつけられているような頭痛でしたから……