800字エッセイ:「ひとつ屋根の下」2017年07月03日




先日、所属するエッセイストグループの勉強会で、エッセイの課題が出ました。テーマは「住」、字数は800字、というものです。


そして書き上げた作品がこちらです。




 

    ひとつ屋根の下

 

今から20年ほど前まで、実家の両親は、木造2階建ての大きな家に老夫婦2人きりで暮らしていた。一時期は家族8人が住んだ家だ。父は病のせいで足も不自由になっていた。

そんな折、わが家のマンションの一室が売りに出された。同じ1階の4軒隣で、広くて明るく、小さな庭もある。興味本位で見に来た両親は、ひと目で気に入り、横浜から川崎への転居を決めてしまった。

「マンション暮らしは憧れだったよ」

 そう言って喜んだ父は、半年住んだだけで入院し、4年後には帰らぬ人となった。

 母は今でも、父の決断に感謝している。あの家に独り残されずにすんだ。私たち一家のそばに、安心して独り暮らしができる場所を、父が作ってくれた、と何度も口にする。

 母が80歳を過ぎても、元気なうちは何かと助け合った。急な雨には洗濯物を取り込んであげたり入れてもらったり、旅行中の留守を頼んだり頼まれたり。だれかの誕生日には、わが家で一緒にテーブルを囲む。私の家族とはほどよい距離を置いて暮らしてきた。

やがて母は足腰が弱り、自分の食事の支度さえ困難になる。私は料理をお盆に載せて、文字どおりスープの冷めない距離を往復する。

しかし、便利なひとつ屋根には思いがけない弊害もあった。介護保険サービスを受けようとすると、集合住宅の別世帯であっても、身内が同じ建物に居る、と判断されて、条件が悪くなるというのだ。もっと近い距離でも、屋根さえ違えば別の家となるらしい。お役所的な線引きがまかり通っているのである。

母は現在94歳。つい1週間前のこと、玄関で靴を履こうとして倒れ、動けなくなった。救急車で運ばれて入院。大腿骨骨折だった。ストレッチャーに乗せられて出ていった自宅の玄関を、歩いて入る日が来るのだろうか。部屋の明かりは消えたままだ。



 

「たった800字の中に、20年間の情報をうまく盛り込んでいる」というお褒めの言葉をいただきました。手前みそでした。


 

そんなわけで、母は胃がんの手術から1年。ようやく今の介護サービスに慣れ、私の生活も落ち着いてきたところだったのですが、ふたたび家事や仕事をこなしながらの病院通いが始まりました。母の容体やリハビリなど、先行きの心配も尽きません。

私は心身ともに疲れ果て、先週、とうとう高熱を出してダウンしました。

今日からなんとか普通の生活に戻りましたが、さて、今後どうなりますことやら。




コメント

_ kattupa ― 2017/07/06 17:12

Hitomi様 そうですかわかります。
いつの間にかそんな年代でしょうか。
ご自愛ください。

_ hitomi ― 2017/07/07 20:51

kattupaさん、
どうもありがとうございます。

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