旅のフォトエッセイ:世界遺産の五島列島めぐり④キリシタン洞窟へ2018年12月14日


前回、「次は、『④旧五輪教会』に続きます」と書きましたが、その教会の前に立ち寄ったキリシタン洞窟についてお伝えすることにします。




▲ バスを降りて、郷ノ首港からチャーター船に乗ります。ここで、とてもよく説明をしてくれたガイドさんともお別れです。

これから、車の通れる道もないような所へ向かうのです。

船は、観光用というより釣り人のための船のようで、ガソリンの匂いがして悪酔いしそうです。ここで酔っては一大事……と緊張していました。


 

船を操縦する男性が、ときどきガイドを兼ねてマイクで説明してくれるのですが、窓も汚れていてよく外が見えません。



30分ぐらい揺られていると、速度を落とし始め、操縦士さんはやおらドアを開けました。

岸壁が見えてきたのです。




 

五島を訪ねたかったもう一つの理由は、大学生の頃に見た映画『沈黙』が、ずっと忘れられなかったからでもあります。

『沈黙』の原作は、遠藤周作のキリシタンを題材にした小説で、篠田正浩監督が1971年に最初に映画化しました。

キリスト教が禁じられた時代に、キリシタンは踏み絵を強いられ、拷問を受け、それでも隠れて信仰を保ち続け、ポルトガルから来る宣教師を待ち焦がれる。そんなキリシタンの生きざまが鮮烈で、頭から離れなかったのです。▼




 それから45年後、再び映画になりました。マーティン・スコセッシ監督が2016年に映画化。映画館で見る勇気がないまま、五島を旅することが決まってから、テレビ録画しておいたものを見ました。

前作とは国籍も違う監督が、切り口を替えて映像化したとは思うのですが、本質的なところで、私の印象はあまり変わりませんでした。新作は役者のうまさもあって、私をがっちり捉えました。そして同じ疑問がわいてきます。

なぜ、キリシタンはあれほど強く信仰を持ち続けることができたのだろうか、と。



 映画の中にも出てきたような海辺の洞窟が、目の前にありました。

岩場に降りられるかどうかは、行ってみなければわからない。そう聞いていました。操縦士さんはしばらく状況を見ていたようですが、やがて船を近づけ、私たちを降ろしてくれました。



▲白い十字架とキリストの像が、遠くからも目立ちました。像の下方には、キリシタン洞窟と呼ばれる場所があります。

明治時代になってから弾圧が厳しくなり、3家族12名のキリシタンがここに逃げ込んだのですが、4ヵ月後、煮炊きの煙が見つかってしまい、捕らえられ、拷問を受けました。

彼らの強い信仰をたたえて、昭和42年に像が立てられました。そして、今なお毎年秋には、この岩場でミサが行われるそうです。とはいえ、天候や潮の影響で、今年は3年ぶりのミサだったとか。

 

信仰を許されず、家を追われ、最後の場所に逃げ込んでも、やがて捕まってしまう。それでも、神は”沈黙“したまま、救ってはくれない……。

キリシタンの人々がどのような思いを抱いていたのか、その岩場に降り立っても、私にはわかりませんでした。

神はなぜ沈黙するのかという、小説と映画の問いかけにも、答えは見つかりませんでした。

 

足元の不安もあり、洞窟にもキリスト像にもこれ以上近づけません。▼



 

旅からひと月たった今、少しずつ、私なりのシンプルな答えが見えてきた気がします。

キリシタンは、生き延びたとしても貧しい暮らしが続き、逃れようのない過酷な現実のなかで、苦しい日々に耐えるしかない。唯一の希望は、死んだら天国に行って神様のそばで幸福になれるということ。それしか残されていなかったのではないか。

現代に生きる私には、彼らの信仰の純粋さがまぶしく思えるのでした。

 

 

*映画『沈黙』の画像は、アマゾンのサイトからお借りしました。




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