今だから書けるあの頃のエッセイ(2)「銀座4丁目の思い出」 ― 2012年04月03日
銀座は大好きな街です。
何かとご縁があって、出向くことの多い街です。
たくさんの思い出もあります。
時効ということで、あんなこと、こんなこと、書いてみたくなりました。
******************************************************
銀座4丁目の思い出
私は、大学を卒業後、ここに就職した。高級品だけを扱った百貨店である。
配属になったのは、インテリア用品・陶磁器・置き時計などを扱う部署で、売り場は地下一階だったが、さすがは花の銀座、多くの有名人が訪れ、ミーハーな新入社員は大いに楽しませてもらった。
吉永小百合さん、松坂慶子さん、岸田今日子さん……。女優さんたちはだれもがみな、テレビで見るよりも小柄で色が白く、なにより凛とした品があった。
黒柳徹子さんは、片方だけオフショルダーという大胆な服で現れ、斜めに見せた背中がまぶしいほど白かった。ほかのお客さんがサインを頼むと、
「プライベートなので、ごめんなさい」と静かに断っていた。
今は亡き渥美清さんは、目覚まし時計をご所望だったのだろうか。寅さんのようにひとりでふらりとやって来て、陳列棚の前で腕組みをし、自分の顔とそっくりの四角い時計を、怖い顔でにらみつけていた。しばらくすると、またふらりと去っていった。
フランク永井さんがまだ元気だったころ、店頭で接客したことがある。西陣織のアルバムを買って、のし紙に名前を書いてほしいと言う。結婚するチェリッシュのふたりに贈る祝いの品だった。文字書き専門の人に清書してもらい、のし紙の上からていねいに包装をして差し出すと、あの“低音の魅力”で、「ちょっと見せて」。
仕方なく、包装を破いて解き、のし紙の文字を確かめてもらった。それをしないで、あわてて包んでしまった新米販売員の失敗である。
あるとき、置き時計のカウンターに、背の高い初老の男性が近づいてきた。
「あれを、もらいたいんだが……」
指さす先にあるのは、最近展示したばかりのとても珍しい置き時計だった。30センチ四方の透明なアクリル板の箱の中に何本かの細長い坂道があり、ピンポン玉の半分ぐらいの金属のボールが10個ほど、ゆっくりと移動して時を刻んでいる。すべてがうろ覚えだが、たしかスイス製で、27万円という値段だけははっきり覚えている。
え、このお客さん、一ケタまちがってない?
ぼさぼさの髪、ちょっとくたびれた冬物のジャケット。さほどのお金持ちには見えない。
「あの27万円の時計でございますね」と、思わず念を押した。
「そう。ああいう面白いのが、けっこう好きなんだよ」
気さくに話しかけてくる。
「自宅に届けておいてくれるかな」と言われ、住所を書いてもらった。その名前を見たとたん、かーっと顔が熱くなった。
吉行淳之介様だ……。
彼はジャケットの内ポケットから、無造作にお札を取り出し、ぽんとカウンターに置いた。震える指で数えると、きっちり27枚あった。
高名な作家の顔も判別できない新米販売員の、まったく失敬な話である。
しかし私は、この楽しかったはずの職場に、一年半で辞表を提出した。
企業の必要経費で支払われる贈答品の数々。高価な日用品をいとも簡単に買っていく裕福な人々。お金がすべてであるかのような価値観。私のいるべき場所ではないと思えたのだ。
最初からたくさんもらえた初任給もボーナスも、しこたま貯めこんでいた私は、語学の仕事を志し、海外へ出る夢を描いた。
同期入社のK子も同じ時に退社を決めていた。彼女は、旅行業の仕事に就きたい、と夢を語った。貧血でばたんと倒れるような彼女に、その仕事が務まるのか、ちょっと心配ではあった。
ある日、仕事がひけた後、ふたりで近くの喫茶店でケーキを食べていたときのこと。背広を着た男性がテーブルに近づいてきて、名刺を差し出した。銀座の高級クラブのマネージャーだ。
「うちの店で働いてみませんか」
色白でフランス人形のように愛らしいK子と一緒でなかったら、スカウトされることもなかっただろう。私はその幸運を楽しみつつ、丁重にお断りしたのだが、きまじめな彼女は「失礼ね」とぷんぷんだった。
私たちは、これから何にでもなれる。どこへでも行ける。可能性は無限だ……そんな思いに満たされて、銀座を去ったのだった。
あれから、30年以上がたつ。
ふたりの夢は、歳月の流れのなかで形を変えていった。
あのまま銀座の職場に留まっていれば、仕入れの仕事で世界を飛び回っていたかもしれない。名刺をくれたマネージャーについて行けば、夜の銀座で高給取りになっていたかもしれない。
ふたりとも今は、3人の子の母となり、それなりに小さな幸せを手にしているけれど。
******************************************************
コメント
_ アメリカののろまな通信生 ― 2012/04/07 09:36
_ hitomi ― 2012/04/07 21:04
Sさんのドキッとするエッセイも楽しみにしていますね!
_ ミネ ― 2014/02/12 08:48
私は
和光でエレベータガールのバイトをしていました
本当に素敵な時代
素敵な人たち
今でも大好きな和光です
_ hitomi ― 2014/02/13 19:54
コメントありがとうございます。よくお読みくださいました。とてもうれしいです。
私たち従業員はそのエレベーターに乗ることはありませんでしたが、売り場から眺めることができました。私の記憶の中のエレベーターガールが、ミネさんなのかもしれませんね。
懐かしく、今でも大好きな銀座。今日も行ってきました。和光の建物はあの日のままです。
_ 村上 好 ― 2014/11/14 15:18
素材と舞台がはなやかです。
たくさんのエピソードが描かれており、興味津々です。ひとつひとつ目に焼き付きました。
ふたりの素敵な女性の半生も書き込まれています。
たいへんおもしろいエッセイです。
何度も読み返したい作品です。
拍手、拍手、拍手。
村上 好
_ hitomi ― 2014/11/14 20:05
私も大好きなエッセイです。何度読んでも楽しいですね。書き残せてよかったと思っています。
昨日も、学生時代の友人と、銀座で一日過ごしました。
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://hitomis-essay.asablo.jp/blog/2012/04/03/6398794/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。