おススメの本、荻原 浩著『海の見える理髪店』2016年08月05日


最新の直木賞受賞作、さっそく読んでみました。

6編の小説を収めた短編集で、「海の見える理髪店」は、冒頭の1編のタイトルです。



 

この本に出てくるのは、世の中の隅っこで生きているような、小さな不幸せを背負った人たち。

例えば、両親が離婚して、母親と二人でつれない親戚の家に身を寄せている少女や、知的障害を持ち、父親に虐待されている少年。娘を交通事故で失った両親。殺人の前科がある老人。一人暮らしをする認知症の老婦人……。

どの小説も、それぞれ違った切り口、違った筆致でつづられているのに、共通して感じられるのは、彼らがどこかで不幸を素直に受け入れていること。悲壮感もなく、淡々と暮らしている。ああ、生きることなんて難しく考えなくていいんだ……。そんな気持ちにさせてくれる小説ばかりです。

 

冒頭の「海の見える理髪店」だけ、ちょっとご紹介しておきましょう。

舞台は、さびれた場所に建つ理髪店。

登場するのは、その老いた店主と、わざわざ店を訪ねてやって来た男性客の二人だけ。店主の問わず語りのようなセリフと、客が観察する描写とが、交互につづられて、物語は進行します。

すごいのは、理髪業という仕事の細やかな描写。女性の美容院とはどこか異なる男の世界のようで、新鮮な驚きでした。

そして、話は鳥肌の立つような結末に向かっていくのです。

 

静かな感動が、いつまでも消えません。

おススメの一冊です。






 


ダイアリーエッセイ:「山の日」に2016年08月12日

 

写真は、20141月に、富士山をバックに家族そろって撮ったものです。

一日遅れになりましたが、「山の日」の大事なご報告です。

 



娘が「山の日」に入籍しました。

今年から新しく始まる祝日が、新しい夫婦にはふさわしい。

そして、毎年仕事が休みだから、忘れずに祝うことができる。

そんな理由で、入籍の日に決めたそうです。

 

そもそも、初めて娘から彼氏の存在を聞かされたのは、一年前の夏、独り暮らしを始めるという引っ越しのさなかでした。母親の勘で、なんとなくそんな気がしていました。引っ越しのどさくさに紛れるように告白されて、やっぱりね、と思ったものです。

そして、今年になって、彼氏からもきちんと「ご挨拶」の言葉を聞きました。

 

ところが、平成生まれのふたりは、仲人も結納も釣書も、言葉さえ知らないというのですから、びっくり。

結婚という人生の一大イベントの段取りも、昭和の世代とは隔世の感あり。

同棲(これも死語ですね)⇒入籍⇒家族顔合わせ⇒挙式⇒新婚旅行は未定、

というのですから、その「順不同」ぶりに、またまたびっくり。

私がショックを受けたことさえ、娘にはショックだったようですが、ふたりがよく話し合って決めたことに反対はできません。平成生まれには親の世代とは違った新しい常識があって当然です。親の価値観を押し付けたところで、娘たちの将来の幸せは、ふたりで築いていくものです。

 

娘は、すでに高校生のときに、わが家から同じマンションの4軒離れた母の所で寝泊りするようになりました。そして、昨年の独り暮らしへの旅立ち。

思えば、なんと上手に少しずつ親元から離れていってしまったことでしょう。娘のやさしさだったのかもしれません。

「お父さん、お母さん、27年間お世話になりました」と三つ指ついて挨拶することもなく……。あ、これは私でさえしませんでしたけど。

 

私も、27歳のときに、M君と、某月11日に結婚しました。

娘も、同じ27歳で、M君と、11日に結婚したのです。

きっと幸せになれるでしょう!

 

先月には、5人家族最後の旅行をしてきました。楽しい思い出が残りました。

そして、「山の日」には、娘のいない4人家族で、山ではなく、海へ行っていました。寂しさを紛らわせたかったのかもしれません。

でも、娘がわが家から出ていくのではなく、新しい家族を連れて来てくれるのだ、と思うことにしました。

 

「サエ、結婚おめでとう。末永く幸せになってね」

 

 



新聞掲載のお知らせ2016年08月15日



 

リオ・オリンピックもたけなわですね。

開会式をテレビで見て、ショートエッセイをつづり、朝日新聞「ひととき」欄に投稿したところ、あさって817日(水)の朝刊に掲載されることになりました。

 

購読なさっている方、ぜひお忘れなくお読みくださったらうれしいです。

もちろんデジタル版でもお読みいただけます。

それ以外の方も、当日の新聞をスキャンしてブログに載せますので、どうぞお楽しみに。








自閉症児の母として(31):朝日新聞に掲載されました2016年08月17日


 

今朝の朝日新聞生活面、ひととき欄です。

クリックすると拡大します。




新聞の活字になると、改めてこの16年の歳月に感慨深いものがあります。

そして、最後の自分の年齢に、ちょっと涙ぐみました。


 


自閉症児の母として(32):16年前の「ひととき」欄2016年08月17日

 

今朝の「ひととき」欄のもとになった16年前の投稿記事。これも皆さんに読んでいただきたいと思いました。




 

当時は、小学校の普通学級から養護学校の中学校に入ったばかりで、私の心も揺れていました。思い切って母子二人旅に出かけて、本当によかったです。気持ちを吹っ切ることができました。

そして、何でもやればできる、という自信が生まれたように思います。

若かったんですね……。

 

いずれやってくる「親亡きあと」のために、もう少しがんばりましょう。


 

写真は、シドニーのオリンピック・スタジアムで撮ったツーショット。

写真屋さんでカレンダーにしてもらったものです。

 

 




自閉症児の母として(33):「夢シドニー二人旅」より2016年08月21日


今日は午前中、リオ・オリンピックのサッカー決勝がテレビ中継されましたね。ご覧になった方も多かったのではないでしょうか。

ブラジルvs.ドイツの試合は、11の同点のままPK戦へ。最後はネイマールの見事なシュートで、地元ブラジルが金メダルを手にしました。

 

私も、シドニー・オリンピックでは、サッカー決勝を観戦しました。

自著『歌おうか、モト君。』の中に収められた「夢シドニー二人旅」より、オリンピックのエッセイをいくつかご紹介します。

 


写真のはがきサイズのアルバムは、シドニーのおみやげに買い求めたもの。お金では買えない思い出の写真がたくさん入っています。

当時はデジカメではなく、フィルムを入れた一眼レフでした。



 

オリンピック・スタジアムで

 

自閉症の長男、望人と二人でオリンピックを見るため、2000年9月28日から6日間のツアーに参加した。このオリンピック観戦ツアーは、陸上競技、サッカー決勝戦、閉会式をメーンスタジアムで見ることになっている。ツアーとはいえ、ほとんどが個人行動。スタジアムへも自分で市電を乗り継いで行かねばならなかった。

 

 ヒューイ、ヒューイ、ヒューイ……

 歩行者用の信号が青になると、口笛を吸い込むような音がする。

カタカタカタカタカタ……

青の点滅に合わせて、木製のおもちゃを鳴らすような音に変わり、思わず走り出す。なんともユーモラスな効果音だ。

ホテルから最寄りの駅までは、にぎやかな大通りの歩道を歩いて10分ほど。街路樹のプラタナスが青々と繁ってすがすがしい。行き交う人々は、ラフなスタイルで表情も明るい。のんびりというよりは快活だ。一緒になって小走りに駅へ急ぐ。

渡された大きな観戦チケットを、ホルダーに入れて、首から提げておく。これがあれば、スタジアムのあるオリンピックパークまで市電がフリーパスなのだ。

駅はどこも混雑していた。けっして観光客にわかりやすい駅ではないけれど、カラフルなユニフォームを着たボランティアの係員があちこち立っていて、何でも教えてくれるので、迷うことはなかった。

スタジアムが電車の窓から見えてくると、望人がうれしそうに指さした。



 

ゲートをくぐり、中に入る。スタンドの大きさに思わず「うわあ」と声が出る。高々と燃えさかる聖火。席はバックスタンドだったけれど、前から10番目といういい席だ。

ぎらぎらと西日がまぶしい。日が沈んでからも、気温は下がらず、用意していったダウンジャケットがじゃまになった。こちらでも異常な暑さだという。そのせいか蛾がたくさん飛び交っている。

初日の夜は、陸上競技観戦。まず、女子の円盤投げが始まる。巨大なスクリーンに選手の姿が映し出される。英語とフランス語のアナウンス、電光掲示板などで、競技の進行がわかるようになっている。

暗くなるにつれ、11万人収容のスタンドはどんどん埋まっていき、ほぼ満席の状態。観客の声援もパワフルになってくる。オーストラリアの選手が現れると、怒涛のような歓声がわき上がる。

やがて、フィールドでは、男子棒高跳びが始まる。人間がすごい高さに跳ね上がり、迫力がある。

トラックでは男子、女子のリレーが行われ、速さを競うアスリートたちがすぐ目の前を駆け抜けていく。3000メートル障害の一団が、波のようにハードルを飛び越えて、水しぶきを上げる。さまざまな競技が同時進行でおこなわれているスタジアムの中、アボリジニの民族音楽の響きが満ちていく。

跳ねる人、駆ける人、跳ぶ人、上がる水しぶき、唸りのような声……。そのとき、私は不思議な感覚にとらわれた。遠く太古ギリシャ時代の競技場にいるような気がしたのだ。

それもつかのま、すぐ周囲に鳴り渡る携帯電話の音で、現代に引き戻されるのだった。


         ほほには、日の丸のシールを貼っている。


翌日は、正午からサッカーの決勝戦を観る。

望人は、Jリーグの大ファンだ。こちらに来るまでは、テレビに釘付けになって、予選で戦う日本チームに声援を送ってきた。

にわかフリークの私が、初めて観るサッカーの試合がオリンピックの決勝戦だなんて、ぜいたくな話だ。スペイン対カメルーン、といったって、じつのところ何の知識もない。

 

ところが、これも旅の運というのだろうか。隣の席に日本人の青年が座った。一人でオリンピックを見に来たという。髪を後ろで一つに結んで、いかにもフリーターといった感じだ。スポーツにとても詳しい。

「カメルーンのエンボマ、10番です、注目してください。ガンバ大阪にいた選手です」

 スタジアムには、テレビの実況中継のような解説はない。審判の笛が鳴っても、プレーが中断されても、よくわからなかったりするのだが、彼に尋ねると親切に教えてくれる。物静かな声で、きちんと敬語を使って話す。いい青年だと思った。

 

 私たちの後方には、スペインの国旗をはためかせた一団がいて、

「エスパーニャア!」と、大声で応援している。

ところが、試合運びがスペインに有利に展開すると、なぜか、どよめくようなブーイングが起こる。スタンド全体としては、どうやらカメルーンびいきに傾いているようだ。

「カメルーンは強い国じゃないのに、ここまで来たからでしょう」

と青年が言う。

 スタンドは、真夏のような西日を浴びて、暑かった。座って観戦しているだけで、シャツの中を汗がたらたらと流れていく。

結果はPK戦のすえ、予期せぬカメルーンの逆転優勝となった。

 

「どうぞお元気で」

 表彰式の後、名前すら聞かないまま、私たちは別れた。一期一会。そんな言葉が浮かぶ旅先での出会いだった。



         聖火をかかげるモト。



自閉症児の母として(34):シドニー・オリンピックの閉会式2016年08月22日


今日は長男の職場も台風のおかげで休業となりました。画面の隅に出る台風情報が気になりながらも、なかよくリオ・オリンピックの閉会式をテレビで見ていました。

息子といると、シドニー・オリンピックがいっそう懐かしく思い出されます。




 

   閉会式

 

最終日。オリンピック・スタジアムに出かけていく。男子マラソンのゴールを見とどけてから、閉会式になる。

この日は、前から二番目の席。周囲には日本人の団体も多い。バックスタンドとはいえ特等席だ。チケットに書かれた値段は、1,382ドル、約10万円なり。いまだかつてこんな高い入場料を払ったことはない。これから数時間の価値だ。ちょっぴり緊張する。

フィールドには、なにやら仕掛けのありそうな白いステージや、スピーカーなどの装置が、すでに並んでいた。

そのステージの向こう側から、マラソンのトップランナーが現れた。エチオピアの選手だ。そして2位にはケニアのワイナイナ。日本で活躍するわれらの選手だ。辺りの日本人がどよめき立つ。

ゴールのあと、喜びのウィニングラン。バックスタンドまでやって来る。「ありがとうございます」と日本語で挨拶しながら、日本人の観客たちと握手を交わす様子を、テレビカメラマンが追っていた。その映像は、衛星放送で世界中に生中継されていた。

帰宅後、録画しておいてもらったテープの中に、私の笑顔と望人の横顔が、ちゃんと映っていたのである!


 


              閉会式の大道具。(マリオは出てきません)


  

3日目にして初めて、スタジアムには冷たい風が吹いた。暗くなって寒さが増す。

閉会式の中でもとりわけ聖火の消えゆく瞬間を、私は神妙な気持ちで待ち受けていた。しかし、選手団入場やサマランチ会長の挨拶など、お決まりのセレモニーの後、期待はあっけなく裏切られてしまった。スタジアムの屋根のすぐ上、飛行機の爆音が聞こえてきたと思ったら、聖火は消し去られていたのだ。なんて物足りない幕切れなの……。


が、そんな感傷をも吹き消すかのように、次の瞬間、スタジアムの空間には、いっせいにクラッカーがはじけて、銀色の紙ふぶきが舞った。スクリーンには、”LETS PARTY!”の文字。耳に馴染んだモダンなミュージック。激しいビート。頭上にはミラーボールが回り、カラフルな照明がスタンドを浮き上がらせて揺れる。スタンドの人々も立ち上がり、リズムに乗り、一体となって揺れ動く。ビッグ・ウェーブも何回となくやって来る。一瞬にして、オリンピック・スタジアムは巨大なディスコと化したのだ。

ステージでは、一流のミュージシャンによるショーが繰り広げられる。トラックでは、次から次へとお祭りのようなパレードが続く。文字どおりのビッグ・パーティーだ。


夢を見ているようだった。いや、夢ではないのだ。今この時を、目の前に広がるこのシーンを、いつまでも覚えておこう、と思った。

この14年間、がんばってがんばって望人を育ててきた。そのご褒美のように、望人の夢に乗って、シドニー・オリンピックへやって来ることができたのだ。


ステージの仕掛けが動き、いつのまにか大きな球体のスクリーンが浮かんでいた。地球だ。大陸や海の映像が見える。

SEE YOU IN ATHENS!(アテネで会いましょう)の文字も読める。

このまま気球のように望人の夢に乗り続けて、世界中を旅することができたら……!

  私はもう一つの夢を見ていた。


       紙製の五輪メガネは、閉会式の観客用のグッズ。








伊藤比呂美著『父の生きる』(光文社文庫)を読んで2016年08月30日


母は93歳、同じマンションの4軒隣りで独り暮らしを続けてきました。

健康で過ごしてき母に、今年3月、病気が見つかりました。進行性の胃がんでした。入院、手術、そして退院から3ヵ月。新しく看護付きの施設に通うようになりました。

病気をきっかけに、母は以前の生活がひとりではできなくなりました。

母の世話を背負った私は、暗いトンネルの中を手探りで歩いているような日々でした。

この本と出合って、ようやく光を見たような気分になったのです。



 

この本を紹介してくれたのは、同じマンションに住む友人です。家族ぐるみのお付き合いは四半世紀に及び、もちろん母のこともよくわかってくれています。そして、私の「読み友」でもあるのです。

私が母のことをこぼすと、まあ読んでごらん、とこの本を貸してくれたのでした。

 

伊藤比呂美さんは、詩人でもあり、エッセイや小説も手掛ける作家。イギリス人の夫や子どもたちとカリフォルニアに住んでいるのですが、熊本で独り暮らしをする80代のお父さんを、3年半にわたって遠距離介護をしてきました。毎月のように帰国しては、仕事をこなしながら熊本で暮らす。しかも、すごいのは、毎日毎日欠かさずにアメリカからお父さんに電話をしたことでした。

この本はその記録です。

 

私がこんなに付箋を貼りながら読んだ本も珍しい。

のっけからお父さんの言葉に釘付けになりました。このまま読み進んでしまうのがもったいない。あとでもう一度かみしめようと、印をつけずにはいられなかったのです。

赤い色の文字で書いた部分は、原文のままの引用です。


    ◇

 

 あるとき私が、仕事が終わったよと言いましたら、父が「おれは終わんないんだ」と言いました。

「仕事がないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんにもやることがない。なんかやればと思うだろうけど、やる気が出ない。いつまでつづくのかなあ」

 

私の母もすっかりやる気をなくしています。テレビさえあまり見なくなりました。何を見てもつまらない、と言います。

あれほどやってきた編み物も、手にしません。製図を見ながら高度な模様編みを楽しんでいた母にとっては、手が不自由になったからといって、子どもだましのような太い毛糸を扱う気にはなれないようです。

 

でもこのお父さんが、母と違う点は、なんといってもユーモアを持ち合わせているところ。さすがは詩人のお父さん、言うことがユニーク。

 

「だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら、死因は『退屈』なんて書かれちゃう」


    

 

ある時、カリフォルニアからの電話に向かって、お父さんはこんなことを言いました。

 

父が「おれには看取ってくれるものがいない、誰もいない、ルイ(飼い犬の名)じゃだめだし」と言い出したから、つい「それは聞くのがとてもつらいから、言うのやめようよ」と言ったら、「ときどき愚痴こぼしたっていいじゃないか、あんたしか言う相手がいないんだし」とののしるような口調で言うのだった。

 

母も、通い始めた施設が気に入らずに、帰ってくると愚痴をこぼします。さらには「生きていたって何も楽しいことはないし……。あのまま死んじゃえばよかった」などと、返す言葉もないようなことを口にします。必死で毎日世話をしている私には、たまらなくつらい。

そんな私は、このお父さんのセリフに、はっとしました。

私はたくさんの友人に恵まれて、愚痴をこぼしたり、気晴らしのおしゃべりを楽しんだりできる。でも、母にはもう電話をかけて愚痴を言い合うような友達もいないのだ。側に居る私しかいない。母は孤独なのだ……。そう気がついたのでした。

だから、言わせてあげなくては、聞いてあげなくては……と思ったのです。


    ◇◇

 

ここのところうちの電話の調子が悪くて、父に電話できずにいる。……(中略)……電話できないんだからしょうがないなあと思って、ここ二、三日のうのうとしていたのは事実だ。やはり「かけなくちゃ」と思わずに済むと気が楽だ。ああ気が楽だ、気が楽すぎて、後ろめたかったのかもしれない。

 

私は、毎晩必ず母の所に行きます。

夕食は施設で済ませてくるので、翌日の朝食を冷蔵庫に入れたり、連絡帳をチェックしたり、薬を間違えずに飲めるようにしておいたり、こまごまと身の回りの世話をしてきます。

母は9時までには寝てしまうから、私は夕食後まったりする暇もなく、急いで行かなくてはなりません。

ああ、行きたくないな……、私もそう思ってしまう。今夜もご機嫌が悪いだろうか、どんな愚痴を吐かれるのだろうか……、寝ていてくれると助かるけれど……。思わない夜はありません。

冷たい娘だろうか、と自分を責めたりもします。

でも、私だけではないのだと思い、ほっとできました。家族から非難を浴びながらも、こんなにお父さんに尽くしている比呂美さんでさえ、電話をかけなくていいと思うだけで、気が楽になるというのですから。

いい子になる必要はない。私なりに、できるかぎり「母の生きる」に寄り添ってみよう、と思えてきました。

 

母は、記憶力が急速に衰えました。

何を説明したところで、書いたものを見せたところで、母の脳みそに情報としてインプットされません。

もう母には覚えることも理解することもできないのであれば、私のほうが変わるしかありません。つらいことを言われても、以前の母ではないのだと思ってさらりと受け流すように、気持ちを切り替えてみました。

すると、母も少し変わってきたように感じます。穏やかになったのです。


    ◇◇ 


私は家族とともに暮らしていますが、比呂美さんはクリスマスから新年にかけての時期さえも、家族と離れて、日本でお父さんの介護に尽くします。仕事もはかどりません。

 

……こうやって人を食い荒らしつつ人は生きていかねばならないものかと、一日数回考える。

 てな感じの愚痴を友人に垂れ流したらスッキリするかと思ってやってみた。却ってよくないことがわかった。その瞬間は、声に出して吐き出すことでストレスの度合いがさっと下がるが、ここもいやよねあそこもいやよねと声に出して言ってるうちに、父の悪いところばかり見えてくる。……(中略)……だから、父の欠点をあげつらうような愚痴は口に出さないことにした。

 

そうそう、そうなのです!

やさしい友人が、「お母さんはいかが?」と聞いてくれると、堰を切ったように母の愚痴がこぼれ出す。ところが、それを口走っている自分が、とても嫌いになってくる。まるで、私のなかに悪魔が住み着いていて、私に母の悪口を言わせているような気分になるのです。

だから、ストレスは母の愚痴をこぼして発散するのではなく、短い時間でも楽しく過ごして気分転換を図ろう、と思えるようになりました。


    ◇◇◇

 

この半年余り、仕事だけは休まないで、辞めないで……と思ってがんばってきました。そのために、自分だけの時間がずいぶん犠牲になりました。

旅行はもちろん、映画や美術展、クラス会や女子会や飲み会からも、すっかり足が遠のきました。SNSやこのブログさえもご無沙汰ばかりで、介護が終わったときには、友達が半分になっているのでは、と危惧するほど。

でも最近では少しずつ、きょうだいの協力も得て、気持ちにゆとりが出てきました。要領よく自分の生活も立て直していかなくては、と思っているところです。

母の介護は長丁場、私の時間も永遠ではありません。

 

比呂美さんの『父の生きる』は、お父さんの最期を看取るところまで書かれています。私がその日を迎える覚悟は、まだまだできていません。


 

この本は、介護に苦しむ方にも、これから経験するかもしれない方にも、そして、自分の老後を考えてみたい方にも、絶対おススメの本です。

 

私に薦めてくれた友人には、ほんとうに感謝です、ありがとう♡



 

 


copyright © 2011-2015 hitomi kawasaki