自閉症児の母として(76):支援者の研修会で、講演をしました。2022年02月04日

 

昨日、東京都発達障害者支援センターで行われた支援員研修のなかで、自閉症児の母として、お話をさせていただきました。毎年恒例ではあるのですが、昨年1月は緊急事態宣言のため、初めて中止となりました。今回は2年ぶりとなります。

しかし、今年もまた感染拡大中。それでも中止にはせずに、リモートで行うことになりました。当初、研修会の参加者はそれぞれの場所からZoomで参加し、私は世田谷区のセンターまで出向いて、その一室からリモートで講演をする予定でした。ところが、2日前になって、センターから連絡があり、センター内の別の部署から陽性者が出たとのこと。急きょ私も自宅からZoomで参加することにしました。不要不急ではない社会活動を止めるわけにはいきません。

 

前回は、201912月に開催されました。その時のことは、ブログにアップしましたので、ご興味のある方、ぜひお読みください。(20191214日の記事はこちら

 

今回もテーマは同じ、

「子育てを通して親が学んだこと/支援者に望むこと」

前回とほぼ変わらない内容でお話ししましたが、2つばかり前回のブログ記事には書かなかったことをご紹介します。

 

☆その1

自閉症は、自分に閉じこもるのではなく、混沌とした世界の中で生きているのだと思います。

例えば、プレゼントを誰が誰に贈ったのか、よくわからない。

例えば、テレビ中継のサッカー試合で小競り合いがあると、自分も同じように負の感情を受け入れてしまい、テレビの前で叫んだり、物を投げたりする。

つまり、自分と他者との境界がない。だからこそ、その不安な混沌の中にいる彼は、カレンダーやプログラムやルールブックのような秩序を好むのではないでしょうか。とらえどころのない世界を、かっちりと安定させるための枠組みが必要なのかもしれません。

カレンダーどおりに、予定表どおりに、自分で決めたルーティンのとおりに、日々の生活を送る。それが彼にとって、安心して生きるための手段なのだと思えるのです。

 

☆その2

ノーマライゼーションとは、社会が環境を整えて、障害者が暮らしやすい場に変えていくことであり、障害者を健常者に近づけることではないはずです。

大きな声で独り言を口にするのは、ひとつの障害特性です。それをみんなに迷惑だからやめさせる、というのでは、「障害は迷惑だ」ということになりかねません。

働き方改革が推し進められている時代に、障害者ばかりが「がんばれ、がんばれ」と言われるのも、時代に逆行している気がします。

誰もがプライドを持って生きていける豊かな社会。理想ではあるけれど、そんなダイバーシティに期待しています。

 

 

今回も、話の途中で、やはり涙なしではいられませんでした。生来の泣き虫の私は、おとなげないと思いつつ、泣かずにはいられないのです。

なぜなら、この障害者支援センターは息子が3歳の時からお世話になり続けている場所。35歳になった息子について語りながら、当時の自分がよみがえってきます。今の自分を想像すらできなかった若かりし自分に、エールを送りたい。

同じように、今も大変な思いをしている若いお母さんたちにエールを送りたい。いつもそう思うのです。

お母さん、胸を張って、がんばって。

そして、画面越しに耳を傾けていてくださる支援員の皆さん、温かい理解とご支援をどうぞよろしく!




母を想う日々 4: 800字のエッセイ「最期の言葉は」2022年02月11日

 

最期の言葉は

           

母が8月に亡くなってから数ヵ月、遺品の整理や住まいの片付け、相続の手続きなどに忙しく明け暮れた。悲しみに浸るひまもないほどだった。

そんな秋のある晩のこと、毎週欠かさず見ていた大河ドラマ「青天を衝け」では、渋沢栄一の母親の最期が描かれた。

栄一が、床に就いた母のそばに寄ると、彼の手を握って言った。

「栄一、腹いっぱい食べてるかい」

 栄一がうなずくと、安心した顔をする。

 そのシーンを見て、ああ、同じだ、と思った。

 

私の母は亡くなるひと月ほど前に、体調を崩して病院で診察を受けた。老人ホームの看護師さんと、駆けつけた私が付き添っているのに、車いすの母はほとんど、うとうとと眠ってばかりいる。

午前中にいくつも検査をして、最後にPCR検査の結果を待っていた時だった。母のほうから小さな声で話しかけてきた。

「あのかた、もう帰っていただいたら……? あなたもお食事まだでしょう」

自分もおなかがすいてきたに違いないのだが、看護師さんと私のお昼ご飯の心配をしてくれたのだ。

それから数日後、母の意識はなくなり、二度とその口から声を聞くことはなかった。あれが最期の言葉となったのである。

 

どの母親も、いくつになっても、たとえ子どもの世話になっていようと、自分の死が近い時でさえも、気にかかるのはいつも子どもの食べることなのだ。子どもが栄一のような立派な人物でも、私のような平凡な娘でも、母親は最期まで母親のままで死んでいく。そう思うと、胸がつまった。

忘れていた涙が、その時ぽろぽろと流れて止まらなくなった。

 



ダイアリーエッセイ: お帰り!2022年02月17日


今月の初め、上海に単身赴任していた娘が、1年ぶりに帰国した。もちろん、一時帰国。まだ数年は今の職場に勤務する。

コロナの隔離期間が国内でも短縮されたばかりで、帰国者の娘も、自宅で8日間だけ隔離となった。不要不急の外出さえしなければ、食品の買い出しなどは自由だという。会社からもその間はリモートワーク中として認められ、同様にリモートワークの夫と、久しぶりの「共働き」という水入らずを楽しんでいたことだろう。

 

そんなわけで、娘と会えたのは、帰国して10日目のことだった。

都内の地上40階のレストランで、あいにくの雨の夜景を眺めながら、ちょっと豪勢なディナーを楽しんだ。上海では、住まいは21階、職場も40階だそうで、わが娘ながら、高層ビルが似合っているような気がしてくる。

本来なら、まずは実家に帰ってきてもらって、わが家の手料理をご馳走したいところなのだが、あいにく次男が卒論と格闘中。提出期限を目前にしてナーバスになっているので、やむなく外食にしたのだった。

娘が帰宅したらみんなで飲もうと、大事にとっておいた美味しいお酒を手みやげにして行ったのに、なんと上海みやげを東京の自宅に忘れてきたというのだから、相変わらずの娘だ。かえってちょっとホッとする。

 

思えばこの1年、娘の不在の間に、母を見送ることになった。その時にも娘がいなくて寂しいと感じることはなかったのに、ほかの人から「娘がそばにいない」ということを指摘されて初めて、孤独を意識して辛くなったものだ。

この晩の食事の席は、どちらも夫婦連れだったので、母娘の親密な会話ができず、心残りではあった。

 

さて、昨日のこと、もう一人帰ってきた。長男である。

グループホームの利用者の一人が、通所先に陽性者が出て、濃厚接触者になってしまった。抗体検査では陰性だったけれど、5日間は隔離の必要があり、グループホームに滞在することになるという。

連絡を受け、その間、長男は自宅に戻ることにした。何の準備もないまま、職場から急きょ自宅に帰ってきたのである。

よりによって、次男の卒論提出日に、にぎやかな長男のご帰還とは……。次男はあと数時間で締め切りだというのに、まだ最後の詰めに取り組んでいる最中だ。

長男は、今回の帰宅の事情をきちんと理解できているようで、次男のことも「大事な勉強中だから」と言うと、いつもの大きな声を出さないように努力してくれた。

弟のほうも、急な帰宅の兄に、いやな顔ひとつしない。それどころか、長男がゲーム機の充電器がなくて困っていると、卒論執筆を中断して、自分の充電器をきれいに拭いて貸してくれた。やさしい弟だ。

いつもはめったに会話もしないような兄弟でも、やっぱり血のつながった家族なのだ、と思うと、つかの間のほっこり気分を味わった。ナーバスになっているのは、この私だけかも。

 

さてさて、そんなふうに誰からも大事にされてきた次男は、大学8年目にようやく卒論に手が届いた。幼い頃から、なんでも時間のかかる子ではあった。

コロナ感染が広まると、大学はリモート授業になり、朝寝坊、宵っ張りが当たり前になる。コロナ禍の弊害で、そういうケースが多いとは聞くが、息子もご多分に漏れず、すっかり昼夜逆転していた。

しかし、この1週間ほどは、提出締め切り時刻が文字どおり秒読みになってくると、数時間の仮眠をとるだけで、パソコンに向かい続けた。彼の得意とするラストスパートだ。

提出当日。締め切り時刻の17時が過ぎてしまうと、気が気でない私は、息子の部屋の前でただおろおろ。ついに、30分も過ぎた頃、ようやく卒論のアップロードが終わった、と知らされる。それでも私は、大丈夫だろうか、ちゃんと受け入れてもらえるのだろうかと、安心できないまま今日を迎えた。

 

本日、リモートでの発表も無事に終え、及第点をもらったという。

やれやれ……。親としても感無量だ。長い長い8年間の忍耐が、ようやく報われようとしている。ひとまず大きな節目を迎えられそうだ。

もっとも、次男の社会人としての人生は、これから始まるのだ。手放しで喜ぶわけにはいかない。

この子も、いつか「お帰り!」と出迎える日が来るまで、もうしばらく親の心配は続きそうである。



 


おススメの本、恩田陸著『薔薇のなかの蛇』2022年02月20日


 久しぶりに本の紹介です。

この本は、地元の図書館に予約を入れてから、8ヵ月後にやっと手元に届いたのです。なぜ読んでみようと思ったのか、どんな内容なのかもすっかり忘れていました。人気があることだけは確かです。たぶん私も、恩田さんの本ならおもしろいに違いないと思って、予約して待ち続けたのでしょう。




あえて、情報を持たないままで本を手に取りました。

表紙には、血のような深紅の薔薇、レンガ造りの館と、女性が一人、花の上に載っている。よく見ると、茎には緑色の蛇が……。

いかにもいわくありげな雰囲気で、誘われます。

おもむろに、目次のページを開くと、暗い靄に覆われた木々と館の絵とともに、10章の見出しはすべてカタカナ言葉。各章の扉のページにも同じ作者の絵がモノクロで挟まれている。序章を読み始めて、ようやく物語は異国、イギリスだとわかってきます。しかも、ストーンヘンジからもほど近い、巨石の並ぶ遺跡の中の村。人間のような大きな石がえんえんと続き、そこに暗く重い霧が立ち込めている……。なんとも不気味な、おどろおどろしい事件の起こりそうな……と思ったとたん、さっそく始まりました。

祭壇のような巨岩の上に、まるでいけにえのように置かれていたのは、頭と手足のない胴体。それも上下に切り分けられ……。

 

むごたらしい話は嫌いです。読むのをやめようか、とも思いました。

でも、イギリス人らしい男性二人が会話をするシーンは、文字どおり血なまぐさい話がドライなタッチで描かれて、しかも状況説明がわかりやすい。安心して読み続けました。

章が移ると、またまた興味をそそられるアイテムがたくさん。古めかしい館、落ちぶれた貴族、黒マントの人物、一族に引き継がれる「聖杯」、ハロウィンナイトの誕生会……。とはいえ、現代の話なのですから、時代錯誤を逆手にとって興味をそそります。

アーサー、デイヴ、アリスのきょうだいも、彼らの父親も、叔父たちも、日本人女性のリセも、それぞれに個性的で、魅力的。心理描写も、ウィットに富んだセリフも、イギリス映画を見ているような気分を味わいながら、謎の殺人と、脅迫と、失踪と、これでもかというくらいどんどん出てくる不可解なミステリーの渦に、どっぷりと浸かってしまいました。

終盤になって、ようやく謎解きが始まります。意外な展開の爽快さにも、心が躍りました。

 

ちょうど、ワクチン接種の直後で、副反応に備えて家にこもることにしていました。本は、スローな私でも、ほぼ一日で読了しました。

ああ、おもしろかった!のひとこと。久しぶりに、難しいことは考えずに楽しむだけの読書ができた気がします。

そんな読書がしたい方、おススメです。

 

ちなみに、この本は恩田さんの理瀬シリーズ全8作の最新作だそうです。読んだ後に得た情報で、それを知らなくても、この本だけでも完結していて楽しめます。

これから、前作を順番に読む楽しみもできました。


 


ダイアリーエッセイ:娘はふたたび大空へ2022年02月27日


朝から雲一つない真っ青な空が広がる。

娘は、東京勤務の夫に見送られて、ふたたび上海へと向かう。

彼女を乗せた飛行機が飛び立つ時刻、私はひとり空を仰いだ。

 

コロナ禍の収束が見えない今、次に会えるのは何年先だろうか。

今回は日本で1週間、上海で3週間の隔離が必要とされた。重責の仕事に就く身で、そうたびたび許されることではないだろう。

さらに、この一時帰国の間に、彼女の夫のロンドン勤務が決まった。

 

娘が数年後に長期休暇をもらえる時には、帰る先は日本ではない。夫のもとに向かうのだ。二人にとっての〈わが家〉は、もう日本にはなくなるということだ。

いずれはそんな日が来ることぐらいわかっていたはずなのに。

娘と同じ志を持つパートナーと二人、海外に羽ばたいていくことを、応援してきたはずなのに。

 

先日来、まさかのロシアのウクライナ攻撃に、憤りを覚え、胸を痛めている。

一昨日のテレビで、ウクライナ人女性のインタビューを見た。

彼女は日本在住で、彼女の母親はウクライナで暮らしている。母親とはSNSで連絡が取れているという。

「大丈夫、怖くない、と母は言うけれど、その表情には恐怖しかない」

彼女は流ちょうな日本語で語り、涙をぬぐった。

 

明日は我が身などと思いたくはない。

戦争でなくても、災害や、今回のようなパンデミックで、互いに何が起きてどうなるか、未来のことはわからないのだ。

 

娘が、また遠くなった。

その思いが募るばかりで、まだ何の覚悟もできていない。

元気でいるようにと、祈るほかはない。

そして、ウクライナの人々に平和が戻るようにと祈っている。

 


copyright © 2011-2021 hitomi kawasaki