自閉症児の母として(7):母に「もしも」は、ありません。2013年01月15日


昨年再版した著書のあとがきに、こう記しました。

*****  
あるとき、学生さんから、こんな質問を受けました。
「石渡さんは、もう一度生まれ変わっても、またモト君のお母さんになりたいです  か」
答えに詰まりました。生まれ変わったら? そんなこと、考えたこともありません。
正直にこう言いました。
「残念ながら、生まれ変わるつもりはありません。やり直しのきかない、たった一度の人生だからこそ、今を精いっぱい生きているのではないでしょうか」
*****

これは、数年前に聖徳大学でお話ししたときに、受けた質問でした。
昨年12月に提出されたレポートのなかにも、同じような質問がありました。

「もしも、モト君が自閉症ではなかったら、どんなことがしたいですか」

息子は、自閉症児だからこそ、わが家にやって来た。彼が自閉症でなかったら、それはもう長男モトではありえません。
それほどまでに、あるがままの息子を、受け入れてきたのです。

自閉症は彼の一部ではなく、彼のアイデンティティーそのものです。
耳の不自由な人が、補聴器をつけたら聞き取れるようになる。
足のない人が、義足をつけたら走れるようになる。
心臓に重篤な病気を持つ子どもが、心臓移植で元気になる。
同様に、自閉症を取り除いたら、健常者になる……? いいえ、それは不可能です。

学生さんにしてみれば、他愛のない質問だったかもしれません。
でも、改めて息子の障がいを考えるきっかけになりました。
若い感性でつづられたレポートは、いつも新鮮な発見があるのです。



☆日本ブログ村のランキングに参加しています。 
ぽちっとクリック
してください。
どうもありがとうございます!



コメント

_ ブーちゃん ― 2013/01/16 16:36

とかく、あのとき○○してたらとか、△△してくれていればなどと思いたくなりますが、「たら、れば」の思考からは何も生まれないのでしょうね。

_ hitomi ― 2013/01/17 18:27

ブーちゃんさん、その通りですね。
がしかし、こんなえらそうなことを書きながらも、
「今度生まれ変わっても女性がいいですか」なんて聞かれた時には、
「今度は男性がいいです!」と答えたりしてるんですけどね……!

_ 米国ののろまな通信生 ― 2013/01/18 07:28

「自閉症は彼の一部ではなく、彼のアイデンティティーそのものです。」の言葉に強く同感しました。私の弟は重度の身体障害者で身動きも自分でできませんでしたから、生まれ変われるなら、弟には健康体で生まれ変わってほしいとは思いますが、「やり直しのきかない、たった一度の人生だからこそ」私はこの世であの弟とめぐりあえてよかったと心底おもいます。寝たきりで意思疎通もどこまでわかっているのやらという状態でしたが、健康体の人間にはない、ものすごく純粋で周りの者をやさしくさせる、きらきらした瞳をしていましたから。あのきらきらは、どんな言葉にもかなわないです。亡くなった日、施設の看護婦さんが集まって、我が子のことのように、わーっと泣いておられた姿に、私の知らないところでみなさんに愛され、ちゃんと弟の人生を送っていたんだな、と感動したのを覚えています。わたしが死んだら、あんなに泣いてくれる人いるだろうか、と。私もHITOMI先生のようにエッセイに書ける日がくるのかしら? 今の自分にはできそうもありません・・・今日は素敵な記事をありがとうございました。

_ hitomi ― 2013/01/20 11:50

通信生のSFさん、素晴らしいコメントをありがとうございます! ここに書かれただけでも、十分エッセイといえると思います。でも、きっといつの日か、きちんと向き合って弟さんのことを書く日が来ると信じています。確かにつらい作業ですよね、亡くなった方のことを書くのは。でも、弟さんの人生を書きとめておけるのは、人並み以上の文章力を持つ、お姉さんのSFさんだけではないでしょうか。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://hitomis-essay.asablo.jp/blog/2013/01/14/6691197/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

copyright © 2011-2026 hitomi kawasaki