旅のフォトエッセイ:Vacance en France 4 シャンボール城2014年08月05日

今回の旅の一番の目的地は、モン・サン・ミッシェル。パリからおおよそ500キロほど離れたフランス北西部の海岸に位置する小さな島だ。パリから1泊の小旅行で、ちょっとリッチに専属ドライバーが運転する乗用車で出かけていった。

その道中、ロワール川沿いの古城に立ち寄る。

これもまた、大きな楽しみのひとつなのである。

若いころ、自分の部屋の壁には、フランスの古城の大きなポスターを貼っていた。

その中のひとつ、シャンボール城を最初に目指した。

16世紀の初め、また24歳という若さの国王フランソワ1世が、大好きな狩猟をするために、この地に城を築いたのだという。その敷地の広さといったら、城壁32キロに囲まれた5440ヘクタール……と言われてもピンとこない。ざっといえば山手線の内側に匹敵するほどの広さ。今でもヨーロッパ最大の森林公園として保護されている。


お抱え運転手のドライブで。

上の写真は、フランス人のドライバー、サミュエルさんが運転する車で、城壁の入り口を通って敷地内を延々と走っているところ。この道路のわきに、イノシシがいた。

迫力のシャンボール城。

ポスターの中で毎日見ていた憧れの城が、今、目の前にそびえたっている。感無量。

ポスターよりも古めかしく、灰色の曇り空を背に、厳粛な存在感で迫ってくる。

屋根の一部は修理のための覆いが被せられていたが、それでも、全部で365本もあるという塔は、どれも繊細な装飾がほどこされている。

 

狩りの絵や、射止めたシカの角がたくさん。

室内にも廊下の壁にも、射止めたシカの角が飾られている。

娘はかなり気味悪がったが、私は祖父の家にもあったので、意外に平気。

もっとも、幼いころは、祖父の家の玄関を入ると、薄暗い広間の正面にシカの骸骨があって、かなり怖かったのを思い出した。

 壁には現代アートが展示され……

 

内部の壁を利用して、現代アートの展覧会も催している。

天井には、フランソワ1世の紋章である〈火トカゲ〉のレリーフがたくさんある。

 

窓にはHの文字が。

美しい窓の格子には、フランソワ1世の息子、アンリ2世の頭文字Hが。

フランス語だから、アンリはHenri とつづる。

 

人の背よりも大きな陶製のストーブ。

陶製のストーブ。これだけでも芸術品。
狩猟の目的で泊まるだけの城は、保温性を重視していかなかったらしく、各部屋に暖炉があったが、それでもストーブが必要だったのだろう。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したと言われるらせん階段。

フランソワ1世は、当時イタリアに遠征して、偉大なる芸術家であり科学者でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチに出会う。さらに彼をフランスに誘い、親交を深めたという。

城内の中央に位置する3階に通じる二重らせん階段は、上る人と下る人とが出会わないように工夫されている。(何ゆえの気遣いだろうか……?)このアイデアから、ダ・ヴィンチが設計したという説が有力のようだ。

そういえば日本でも、大きな駐車場ビルの上り下りの走行は、この手の構造になっているものがある。さすがはダ・ヴィンチ、現代にも通じるアイデアを生み出していたというわけだ。

 

この階段を上って、屋上へ。

ここから、芸術品のような塔を間近に眺めることができる。

円形、四角、ひし形、直線と曲線……、それらを組み合わせた模様で埋め尽くされた柱の美しさは、見ていて飽きることがない。由緒正しいトランプの絵柄をほうふつとさせる。

ここには、やはりトランプから抜け出てきた王様、お妃様、王子様がふさわしい。

屋根に作られたベランダのようなところを歩くことができる。

繊細な飾りの美しいこと!


塔の先端には、Rの文字が。

塔の先端には、風見鶏のようなアルファベットのモニュメントが天を指している。

これは、国王 roi の頭文字R。

塔の先端に、Fの文字が。

こちらには、フランソワ1世の頭文字F

絵にはならない観光客。

なにしろ寒くて、なりふりかまわず重ね着をした観光客は、ここでは絵にならない……。

地平線も森。

どちらを向いても、森。


見はるかす景色は地平線まで、お城の森である。

屋根自体は鳥害でかなり汚れているが、それも作業員がブラシで掃除をしていた。

世界文化遺産は、人々の手で大切に守られながら、その姿を未来に残している。

日を浴びて輝く城。

 

出口を出たら、雲が晴れ、日が差してきた。

帰っていこうとする観光客に、また美しい容姿を魅せつけるように、城が輝き始める。

立ち並ぶ塔の美しさに魅了され……

城は、左右対称に作られているのだが、斜めから見ると、塔の立ち並ぶ姿がまるで不協和音を奏でているようで、それもまた趣がある。

いつまでも眺めていたい。立ち去りがたい思いだった。

 

                                〈続く〉






旅のフォトエッセイ:Vacance en France 5 シュノンソー城2014年08月09日

次に向かったのは、シュノンソー城。

これも、若いころ、部屋のポスターで眺めていたお城だ。

(下の写真は、ポスターでも絵葉書でもありません。素人の私が撮りました)

プラタナスの並木道の向こう、白い城が見えてくる。

入場券を買ったら、並木道をまっすぐ抜けてお城へ。

 

 

城が建てられる以前は、マルク家の城塞と水車があったという。その名残の「マルクの塔」。
マルクの塔。

16世紀に造られたホール天井の美しいアーチは、フランス・ルネサンス様式。

 

入り口を入ったところのホール。

貴族がマルク家から川岸の土地を買い取って建てた館は、債務上の理由で、国王フランソワ1世に献上された。

王の死後、その息子のアンリ2世が、愛人ディアーヌ・ド・ポアティエにこの城を贈る。彼女は城を愛した。庭を整え、さらに川の向こう岸に城から橋を架ける。

しかし、アンリ2世も亡くなると、正妻であったカトリーヌ・ド・メディシスが城を取り上げてしまう。彼女は、ディアーヌの橋の上に、ギャラリーを建設させた。

それが、下の写真。

全長60m、幅6m。白い梁、白い壁。床にはおしゃれなスレートを敷き詰めてある。

カトリーヌは、ここで舞踏会を催したとか。きらびやかな衣装で貴族が集い、さぞや絢爛豪華な宴であったことだろう。

ギャラリー(回廊)

ギャラリーを出て、向こう岸に降りてみた。

ディアーヌの橋のアーチの下は、シェール川が流れている。

庭園を歩く。

花や緑の向こうに見える城の姿は、まさに貴婦人の美しさをたたえている。

庭園を散策。

カトリーヌの死後は、アンリ3世の妻が相続。17世紀には、アンリ4世の愛人が所有。そして次の所有者もまた女性……。

18世紀になると、資産家の娘ルイーズ・デュパンが、この城で知識人のサロンを催し、モンテスキュー、ヴォルテール、ルソーなどを招待したという。

第一次大戦中には、チョコレート業者ムニエ家の出資によって、城のギャラリーは病院に改築され、2000人以上の負傷兵士が手当てを受けた。

病院を運営したのは、シモーヌ・ムニエ看護師長。またしても女性である。

 

このように、代々女性の城主によって大切に守られてきたシュノンソー城は、

6人の貴婦人たちの城」と呼ばれているとか。

シェール川の両岸をつなぐように増築されていたことで、ある時は追われる人々を逃がして、その命を救った。また、見事な庭園がしつらえられて、いかにも女性的なたたずまいを見せている。

狩猟や戦など血なまぐさいことを好まない女性の平和な城のように思えるが、やはり歴史を振り返ると、革命や宗教戦争、世界大戦など、それらと無縁ではいられなかった城の数奇な運命を知ることになる。

にわか仕込みの知識でも、改めて城の魅力が解き明かされたような気がする。


さて、美しさで胸がいっぱいでも、お腹はすく。

城の外へ出てみる。

城を訪ねる観光客のために、ホテルやレストランがきれいな街並みを作っている。

近寄ってみたら、「ワインの無料試飲場 宅配サービス」と日本語だけの看板。

ここでも日本人はお得意様らしい。

迷ったけれど、このレストランに入ることにした。


まず、レモネードとビールを半量ずつ入れた「パナシェ」で乾杯!

それから、厚切りベーコンやゆで卵のサラダ。ボリューム満点!

最後に、これが食べてみたかった。りんごを使ったタルトタタン。

今ではポピュラーなフランス菓子だけれど、この地方が発祥の地だという。

予想以上に、見た目もナチュラル。りんごの味も、添えられたローズマリーも、ワイルドな感じではあった。でもおいしかった。ごちそうさま。

○                        〈続く〉



旅のエッセイ:Vacance en France 6 「パリのプチ盗っ人」2014年08月17日


写真の列挙はしばし中断して、ブログ本来のエッセイをお届けします。

どうぞお読みください。

   パリのプチ盗っ人

バスの窓の外は雨……


 

リムジンバスはシャルル・ド・ゴール空港から1時間足らずでパリ市内に入った。

 土砂降りの雨だ。傘を持っている人でさえ、軒下で雨宿りをしている。が、バスがオペラ座の横の降車地点まで来ると、雨はぴたりとやんだ。

雲の切れ間に、旅の神さまのウインクが見えるような気がした。

この7月、娘とフランスへ出かけた。1週間のバカンスだ。社会人3年目の娘が、せっかく早めの夏休みが取れるのに、早すぎて一緒に行く友達がいない、とさびしいことを言うので、じゃ私が、と手を挙げた。新婚旅行以来32年ぶりとなる。

娘は初めてのフランスだが、ヨーロッパは3回目。初回のときはやはり母娘でロンドンとバルセロナの2都市を旅した。私には娘を守らなければ、という緊張感があったのに、娘は意外と平常心。夜にホテルが停電したときも、あわてたのは私だけだった。

娘はそれ以来、毎年のようにアメリカや東南アジアを旅行している。だいぶ旅慣れて自信をつけたころかもしれない。

でも、旅慣れたころの油断が思わぬ失敗のもと。観光客が多いところは、それを狙ったワルも多いから、気をつけていこうね……。

 そう言いながら、ホテルに荷物を置くと、すぐ街にくり出した。ホテルもオペラ座の近くにあり、観光の中心地で便利な地域だ。

さっそく、そのオペラ座へ。オペラを鑑賞する余裕はないので、入場券を買って建物の見学だけにする。それにしても絢爛豪華。床も柱も壁も照明も天井も、あらゆる美を注ぎ込んで装飾の限りを尽くしている。19世紀、文化が花開き、パリが元気だった時代に、富裕層のための社交場だったのだから、うなずけるというものだ。

まだ、あのごみごみとした日本を出てからたったの10数時間しかたっていない。それなのに、とんでもない別世界にいる。圧倒されそうな美の洪水のなか、目くるめく感覚にしばし酔いしれる。

 

オペラ座と、雨上がりの空。


オペラ座を出て、次はオランジュリー美術館に向かおうと、オペラ広場を歩いた。歩道はたくさんの人であふれていた。バスの中から見た雨が嘘だったかのように、青空が広がり、夏の日が差している。浮き立つような気分だ。

娘は歩きながら、斜め掛けにしたショルダーバッグから日焼け止めクリームを取り出し、白い液を手に付ける。

「いる?」と聞くので、私も手を出した。

すると、横から「私にも!」と手が伸びてきた。ちょっと背の高い若い女の子。フランス人だろうか、イタリアあたりの観光客かもしれない。その隣の子も手を出した。

娘は、え?と戸惑いながらも、二人の手に少量付けてあげる。

「これは何なの?」と聞かれ、

「フォー・サンシャイン!」と娘。

 えー、そのブロークン、違いすぎない?と思ったが、相手には通じたらしく、

「オー、サンシャイン!」と納得して、もっと、と手を出す。もう一度付けてあげたら、次の瞬間、娘のクリームをさっと取り上げ、

「サンキュ、サンキュー! フォー・マイ・ベイビー!」

と、自分のお腹をさすって見せた。ポコリと妊婦のお腹をしている。

娘も私もあっけにとられているうちに、彼女たちはふたたびサンキューと手を振って、人混みに紛れていってしまった。

それ、お腹の子にはよくないわよ、とかなんとか、追っかけて取り返すこともできたかもしれない。でも、ふっと抑制がかかった。

 こちらのスリは巧妙なグループで、役割を決めて相手の気をそらし、まんまと盗みを働く、と聞いていた。そのことが一瞬頭に浮かんだのだ。深追いしてはかえって大ごとになる。日焼け止めクリーム1本でそれを免れることができたら安いものだ、と直感的に思ったのだった。

たぶん、なれなれしくてずうずうしいどこかの国のヤンママだったに違いないけれど、人前で目につくような行動をした娘にも責任はある。用心するに越したことはない。ここは東京ではないのだ。

ともあれ、厄払い代わりの施しをした、と割り切ることにした。クリームは余分に持ってきていたし、曇り空の涼しい時間が長く、あまり必要とも感じなかった。

それも、旅の神さまの思いやりだったのだろう。

涼しいパリ。



エッセイの書き方のコツ(22):仲間とともに2014年08月23日


昨日は、恩師のエッセイサロンに出席しました。

思えば、西新宿の高層ビルの中にある教室に最初に足を運んだ日から、もう30年になるのです。途中、夫の転勤や子育てで、長い休みを続けた時期もありましたが、今なお、当時のお仲間とともに師を囲みます。

新婚当時の私が、一児の母となり、やがてたくましい三児の母となっても、このエッセイ教室という絆で結ばれていて、いつもあたたかく見守ってくれる仲間です。

○ 

この夏、私のエッセイ教室の生徒さんが、公募エッセイコンテストで銅賞をとりました。

エッセイのテーマは「今は亡きあの人に伝えたい言葉」。

彼女は、エッセイを始めて1年余り。教室に入られたときには、3年前にご主人を亡くされた悲しみのなかにいて、それでもなんとか前を向いていこうとしていました。情の深い彼女は、まだご主人の話になると涙がこぼれてしまうほど……。

「こんな私でも、ここで皆さんと一緒でもいいでしょうか」と、メンバーにも心遣いを見せるのです。

「もちろんですよ!」と、メンバーがあたたかく励ましたものでした。

彼女は、書くことにとても熱心でしたから、ご主人への思いを、きめ細やかに言葉につむぐようにして、とうとうこんなに素晴らしいご褒美を手にしました。

2000編近い作品の中から10編の中に選ばれたそうです。

○○

彼女は、入賞を知らせる電話を受け、すぐに私にもメールをくれました。

「先生のご指導と、仲間からの刺激を受けて、出来上がった作品です」

いいえ、私のお手伝いはささやかなものです。

やさしいお仲間がいつもそばにいて声援を送っていたからではないでしょうか。

「また、一歩前に進めます」

言葉によって救われ、言葉によって生きる力を得る。

そのためにも、エッセイの仲間は欠かせません。

人生の半分をエッセイとともに生きてきた私には、何よりうれしいメールでした。

おめでとうございます、Sさん。本当によかったですね。



Kindleストアで発売!2014年08月25日

お待たせいたしました!

私の著書『歌おうか、モト君。~自閉症児とともに歩む子育てエッセイ~』の電子書籍版が、ようやくKindleストアで発売になりました。


Kindleストアというのは、Amazonが運営する電子書籍ストアのことです。

Kindle専用の端末も販売されていますが、わざわざ買う必要はありません。

お手持ちのスマホやタブレットに、Kindle無料アプリをダウンロードすればお読みいただけるのです。しかも、Kindleストアは世界で1、2位を争う品ぞろえ。

不朽の名作と言われるものから、最新の直木賞受賞作まで手に入り、無料で読める本も数多くあります。

……と宣伝マンのようなことを述べてきましたが、私がこのアプリで読書をするようになったは、つい最近のこと。今、2冊目を読んでいるところです。

iPadをカメラ代わりに持ち歩くようになり、ついでに本もその中に入れてしまおう、と思ったのがきっかけです。

そもそも、目が悪くなって、小さい文字が読みづらくなりました。これなら文字のサイズを調節できますし、画面も明るい。ちらつきもありません。

もう一つの利点は、紙の本よりずっと安いこと。ちなみに、私の著書は1100円ですが、電子本は700円。

すでに、Kindleで読書の方もおいででしょう。

私の本も、ぜひライブラリに加えてくださったらうれしいです!

どうぞよろしくお願いいたします。

詳しくは、こちらをご覧ください。




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