東北ドライブ1000キロの旅:東松島へ-4 ― 2014年06月05日
そもそも東松島とは縁もゆかりもなかった私が、こうやってわざわざ訪ねていくようにまでなったのは、2012年に数回にわたって銀座で開催された震災復興応援のための東松島物産展のお手伝いをしたのがきっかけだ。そのときに、リーダー的存在のSocialTOURという支援活動グループに入れてもらった。
グループが、その活動拠点である東松島に新しく事務所を構えた、と耳にした。せっかく来たのだから覗いてみようと、アポも取らずに、のこのこと出かけていったら、案の定お留守。
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がっかりしたけれど、事務所の前に、面白いもの発見!
うわさに聞く「東松島復興支援自販機」だ。
この販売機でドリンクを買うと、売り上げの一部が被災地支援のために使われるという。
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この町には、航空自衛隊のアクロバットチーム、ブルーインパルスの基地がある。震災直後から関西に避難していたが、2年後に戻ってきたことで、市民の復興への心の支えになったことだろう。
自販機の横に立ち、ブルーインパルスの滑走路となっている?のは、去年もお世話になった、のり工房矢本の千佳子さん。
彼女のことをつづった2013年6月の記事もどうぞ。
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東松島のゆるキャラと言えば、「おのくん」である。
小野駅前の仮設住宅に暮らす女性たちが、ソックスを利用しておさるさんの人形を作るようになった。アメリカ生まれのソックスモンキー。
小野駅前だから「おのくん」という愛称もつけられた。なぜか、「めんどくしぇ」が口癖だそうで……。
「おのくんてなあに?」と、自販機の側面にも説明がある。
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やがておのくんは、人形から生きたおのくんにも進化した。
そして、私たちが東松島を訪ねるちょっと前の4月21日、NHK番組「あさイチ」で紹介されたのである。おのくん、ついに全国にブレイク!
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そんなわけで、私たちが小野駅前仮設住宅におじゃましたときには、どれも非売品の札がついていて、連れて帰れるおのくんは一つもなかった。
おのくんは、買うのではなく、里親になる、という言い方をする。どうやら全国から里親が殺到したようだ。よかったね、おのくん。
ちょっと残念だけど、里親申請をしてきた。材料として企業などから贈られたカラフルなソックスがたくさんあり、その中から好みの一足を選んで、係の女性にお願いした。
「半年ぐらいかかるかもしれませんよっ」
放映後のおのくんは人気沸騰で、女性たちも忙しいのだろう。係の方、ちょっと殺気立った感じ……。
よろしくお願いします。気を長く、首を長くして待っていますね。
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☆おのくんの公式ホームページはこちらです。皆さんも里親になってみませんか。
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おのくんに会いにやって来た多賀城市のタガレンジャーと遭遇。
畳の上でも、ポーズ決まった!
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もう一か所、矢本運動公園の仮設住宅を訪問。去年もおじゃました所だ。
おりしもこの日は春祭りが開催。快晴の空の下、大勢の市民でにぎわっている。
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東松島大曲浜には、江戸時代から伝承されている獅子舞がある。
大曲浜獅子舞保存会では、今回の震災で、前会長はじめ4名の方が犠牲になり、獅子頭などの大事な道具もほとんどが流されてしまったという。それでも、震災から1年を待たずに活動を再開。全国各地からの支援を受け、復興のシンボルとしてがんばってきた。
銀座の物産展にもやって来た。
今年の3月10日放送のNHK「震災から3年 ”明日へ“コンサート」では、石川さゆりさんとのステージで、獅子舞を披露した。
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運の良いことに、この日もその勇壮な獅子舞を見ることができたのである。
「獅子舞って初めて見たー!」と、娘たちは大喜び。そのうえ、頭をがぶりと食べてもらって大感激! 今年も健康で過ごせそうだ。
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本当は、この日の獅子舞は、仮設住宅に暮らす方々、被災した方々を慰めるためのものだろうに……。よそ者がやってきても、笑顔で受け入れてくれる。
東松島の人たちは、皆やさしい♡
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☆大曲浜の獅子舞は、こちらの動画をご覧ください。
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東北ドライブ1000キロの旅:裏磐梯へ ― 2014年06月06日
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昔から言ったものだ、「かわいい子には旅をさせろ」。
ついでに洗車もさせよう。
愛車ヨッシー、きれいになって、出発!
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東松島を出て、東北道を福島まで南下、そこから西に向かって走る。
計画当初は、最後に仙台で1泊したかったのだが、ゴールデンウィークさなか、ホテルの予約が取れず、思い切って裏磐梯まで足を延ばすことにした。
以前にも、五色沼やダリ美術館を訪ねたことがあり、娘にも見せたいと思った。
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道路は滞りなく流れ、200キロほどの道のりを3時間で到着。
裏磐梯は、まだ残雪がたくさんあった。
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陽が傾き始めたころに、ようやく五色沼探勝路の入り口で降車する。
最初の沼が、毘沙門沼。ここから先は、娘たち二人で歩いていく。1時間足らずで歩けるはずだ。私は、車で先回りして、出口付近で待つことにした。
二度目でもあったし、いささかの疲労感もあったし、たまには二人だけにしてあげようと思ったし……というわけで、文字どおりの老婆心(?)
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娘たちは、いまやリケジョともてはやされる理系女子。大学時代の同級生だ。
五色沼湖沼群は、青や緑、赤茶色など、さまざまな水の色が魅力的な景勝地で、私など眺めるだけで満足なのだが、この二人にかかると、まずはその成分を考察するところから楽しんでいる様子。
さらには、「湖と沼の違いは?」「では、沼と池の違いは?」
などと、スマホ片手に素早くググりながら、クイズも飛び出す。
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出口付近まで走り、探勝路の最後に位置する柳沼を見下ろしながら、二人を待った。
日没間近で、気温も下がってくる。さすがに涼しくて、大好きなソフトクリームも写真に収めるだけに……。
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やがて、柳沼の向こうから、二人の姿が見えてきた。
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今夜の宿は、桧原湖畔ホテル。見かけはかなり古いホテルだが、年配のホテルマンたちが愛想よく応対してくれて、一所懸命もてなそうとするその気持ちが伝わってくる。○
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部屋の窓からは、桧原湖が一望できる。その向こうには磐梯山。
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夕食には、こごみやたらのめなど、地元の山菜の天ぷら。
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会津地方の郷土料理、「こづゆ」も。
お正月や祝い事などのときに必ず作られるという。
里芋、人参、椎茸、干し貝柱、豆麩などたくさんの具材が入っている。かなり薄い醤油味だ。
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翌朝には、磐梯山が雲をたなびかせていた。
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湖畔に出てみる。寒い。
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水仙が咲き、チューリップはようやく開き始めたところ。
残雪の傍で、ふきのとうが咲き、つくしが芽を出し……
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裏磐梯はようやく遅い春が始まったところだった。
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雨にならないうちに、一路東京へ。
ヨッシーは快適に走ってくれた。
最終日は、Red Bullをちびちびと飲みながら、運転席をついぞ誰にも譲らず、帰着。
距離にして1000キロを優に超えるドライブだった。
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相棒二人とヨッシー、ありがとう。お疲れさまでした!
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(完)
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東北ドライブ1000キロの旅、8回に及ぶシリーズにお付き合いくだり、どうもありがとうございました。
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ダイアリーエッセイ:オレだよ! ― 2014年06月07日
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私の母は、91歳。マンションの4軒隣で独り暮らしをしている。
部屋の中を歩くのがやっとで、わが家にはめったに来なくなった。
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ところが先日、朝の9時ごろやって来て、次男ヒロの部屋をのぞきこんだ。
「今、ヒロから電話があったのよ、品川にバイトに来てるって。……あら、まだ寝てるじゃない」
変な電話だったから怖くて……と震えている。
朝寝坊の息子が、朝からバイトなどするはずがない。品川にも用事はない。
「ケータイも荷物も失くしたんだけど、それを預かっている人からそっちに連絡があるから……とかなんとか」と、母の報告もよくわからない。
振り込め詐欺のニオイがする。いや、まだ未遂の段階。母が信用してしまったら、次の電話があったにちがいない。
「ほんとにヒロなの?って聞いたら、オレの声も忘れたのかよ、ってすごむのよ」
そうやって、年寄りの気を動転させておいて、〈本題〉に入るのだ。母が怪しんでいろいろと尋ねているうちに、時間がないからと向こうから電話を切ったらしい。
母の話では、こういう怪しい電話は日常茶飯事なのだという。でも今日のはなんだか怖かった、とおびえていた。
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最近は、次々と手の込んだ新手の振り込め詐欺が横行し、これだけ騒がれていても、被害額が上昇しているとのこと。ニセの警察からの電話だったり、ニセの警官が実際に現れたり。子を思う親の愛を悪用した犯罪が後を絶たない。
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それにしても不気味なのは、親元に電話があるならともかく、90代の独り暮らしの女性とその孫の名前とが、どこで結びついているのだろうか。
それとも、電話口で「オレだよ」と言われて、母が「ああ、ヒロ?」と思わず答えてしまっただけなのかもしれない。
いずれにしても怖い話。ご用心、ご用心。
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ダイアリーエッセイ:焼きたてパンにほだされて ― 2014年06月17日
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夫が定年退職して、もうすぐ1年がたとうとしている。
結婚以来、平日は家にいなかった人が、毎日いるのである。その突然の生活の変化を、どうやって受け入れようかと、何ヵ月も前から、心穏やかではなかった。
「最初が肝心」とばかりに、ルールを決めようとした。でも、夫はのらりくらり。
大きな声では言えないが、そのころに始まった私の顎関節炎も、「夫源病」だと確信している。歯を食いしばって耐えていたのだ。
とはいえ、はじめのうちは、わが家の大々的なリフォームや、長男の手術入院と重なって、気持ちが紛れた。
やがて、生活が元に戻ってくると、もう受け入れるしかない、と開き直れるようになっていた。
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現在、夫は週に3日のアルバイト以外は、たいてい家にいる。それをありがたく有効利用することにして、夫の在宅日には、私が仕事に出るよう調整する。
以前は、1日の仕事を終え、帰りに両腕に食材を買いこみ、へとへとになって帰宅してふらふらになって夕飯を準備したものだ。でも今は、身軽なまま家に戻れば、温かい食事が待っていてくれる。
この幸せを喜ばなくては、バチが当たるというもの。世のおおかたの殿方の気分をちょっとだけ味わっている。
夫は料理ができるのである。(だから結婚してあげたのだった!?)
夫には感謝。(そんな夫を選んだ若き日の自分に拍手!?)
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今日は、仕事から帰ると甘い香りがして、レーズンブレッドも焼きあがっていた。
私は美味しい焼きたてパンには目がないのだ……!
今夜はこのパンにほだされよう。
文句を言いたいことも多々あれど、パンとワインと一緒に、飲みこむことにしよう。
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ダイアリーエッセイ:浦和サッカーが強い理由は…… ― 2014年06月29日
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仕事もプライベートも超多忙で、なかなか思うようにブログに向かえません。
書きたいことは山ほどあるのですが……。ごめんなさい。
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今日は、昨日の新聞から、プチ自慢!
6月28日(土)の日本經濟新聞の朝刊、首都圏経済面の記事です。
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浦和といえば、赤く燃える浦和レッズ。以前から高校サッカーも強かった。
そもそも、今からさかのぼること106年前、細木志朗という人物が埼玉師範学校に着任し、生徒たちに蹴球なるものを教えたのが、浦和サッカーの始まりだとか。
その細木志朗こそ、ほかでもない私の母方の祖父なのです。
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右側の写真。黒い背広3人のうち、右端の男性が祖父です。
そして、その後ろのゴールポストは、なんと祖父の手作り。
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祖父は、本当に手先が器用でした。私が子どものとき、わが家にあった積み木は、祖父のこしらえたもの。小学生になると、こんどはやはり祖父お手製の勉強机と椅子が用意される。机にはもちろん引き出しがあり、椅子にはおしゃれな寄席木細工の装飾もついていました。
私の知っている祖父は、やさしく穏やかなおじいちゃま。色白でやせていて、夏に裸になると、黄金バットのあだ名がついたものです。
とてもスポーツマンには見えませんでした。
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さて、時は100年流れて、6年前の夏のこと。
浦和サッカー100周年を記念して、浦和レッズ vs FCバイエルン・ミュンヘンのさいたまシティカップが行われました。
そこで、細木志朗をしのんで、その子孫の細木一族が埼玉スタジアムに招待されたのです。祖父の子どもたちは6人いましたが、母以外、みな亡くなっています。
母と、細木家の嫡男で私のいとこたちの最年長の男性とが、正面のVIP席に座ります。その他のヤジ馬のような総勢20名は、VIP専用ビューボックスでビール片手の観戦という、またとない恩恵に浴しました。
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写真は、スタジアムで買い求めたTシャツ。
長男と二人で着て、大盛り上がり。扇子を振りふり、応援。
結果は、2-4で負けてしまいましたが。
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なんといってもクライマックスは、VIP席に立ちあがった二人が、スタンドに向かって手を振ったこと。パノラマスクリーンに映し出され、まるでロイヤルファミリーのようで……。
今でも一族の語り草となっています。
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