GO, GO, GO!の旅(3)フォトエッセイ:しまなみ海道をゆく2022年09月06日





いつか、しまなみ海道をドライブしてみたい。私の小さな夢でした。

これまで長距離ドライブといえば、子どもの小さい頃に、よく夏の信州方面に出かけました。

10年前に北海道をレンタカーで走ったことは、ブログにも書きました。(☆この旅の記事については、最後にご案内しています)

2014年には「東北ドライブ1000キロの旅」も決行。

次はぜひ、海の上を……と思っていたのです。

 

ちなみに「しまなみ海道」というのは、広島県尾道市から、愛媛県今治市を結ぶ全長約60キロの自動車専用道路。途中、向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島の6つの島々を通り抜けています。(▼地図は、るるぶのガイドブックを写させていただきました)

 

私のしまなみ海道ドライブは、四国側から始まります。

高知から北上して海岸沿いに出れば、しまなみ海道から中国地方に渡れる、と簡単に考えていました。間違いではないけれど、初めての土地で、けっして近い距離ではありません。

 

そこで、事前に計画を立てました。

グーグルマップで、だいたいの道順と距離を確かめ、時間を計って、食事や休憩などの行動予定を決めていきます。

高知から目的地の広島まで、ざっと300キロ。長距離ドライブを体験してきたとはいえ、残念ながら加齢による衰えや、視力の低下も気になります。ハンドルを握るのは、すべて私。事故でも起きない限り、夫はナビ係。いつものことです。

しかも、レンタカーは乗り慣れた愛車ではなく、HondaFitという小型車。ナビにも意外とくせがあるので、いつものような快適運転は望めないかもしれない。……見た目と違って気の小さい神経質な私です。

 

というわけで、あちこち見て回ろうなどと欲張らずに、ゆとりを持ってドライブスケジュールを立てたいとは思うのです。しかし、広島には、できれば夕方までに到着して、平和記念資料館に閉館前に入りたい。翌日は世界遺産の宮島まで足を伸ばしたい。厳島神社を見て、昼食にはカキとあなご飯を食べるお店まで決めていました。(やっぱりあちこち欲張っていましたね)

「干潮の時には歩いて鳥居まで行けるよ」との友人の勧めで、干潮時刻をネットで調べてみました。すると、あろうことか、鳥居は現在修繕中で白いシートに覆われていることが発覚! 出発の2日前でした。やむなく宮島行きは断念。

ということは、幸か不幸か、神社の神様のご配慮か、しまなみ海道を渡って広島にたどり着くのは、急がなくてもよくなり、とても気が楽になりました。

宮島へは、次の機会にぜひ!

 

そんなわけで、旅の2日目。いつもの時間までぐっすりと眠り、朝食をたっぷりと食べ、ホテルを出ました。

高知城を横目に、高速入口へと走ります。地元のドライバーなら慣れた道でも、余所者にはどうもわかりにくい。歴史のある街というのは、そんなものかもしれません。道を間違えて遠回りしました。

ちょっと予定時刻をオーバーしましたが、いざ四国横断自動車道に入ると、前後に車がほとんど見えないほど。すいすいと走ります。

四国横断道の名のとおり、高知から北上し、瀬戸内海を目指します。海沿いの四国中央市で松山自動車道に入り、こんどはほぼ真西に向かいます。そして、小松からふたたび北上して今治へ。地図上では三角形の二辺を通る進み方ですが、整備された自動車道を行くほうが結果的には早いわけで。

ここまで約150キロ。3時間で来ました。


これも友人のおススメの、来島(くるしま)海峡サービスエリアで一休み。最初に渡る来島海峡大橋が目の前に見えるのです。

うっすらと靄がかかっていますが、これから渡っていく来島海峡大橋が見えます。



▲レモン味のソフトクリーム。私はソフトクリームに目がないので、旅先では必ずと言っていいほど食べます。真冬の雪降る中でも食べます。今回も、ご当地フレーバーでエネルギーチャージは完ぺき。




最初の橋、来島海峡大橋を走ります。前にも後ろにも車がいないなんて、平日とはいえ、関東近辺の観光地では見られない景色。写真の画像が今一つさえないのは、天気が悪いのではなく、車窓越しに夫がさえないデジカメで撮ったからなのです。運転しながら写真撮影ができたらいいのに……。


予定では、最初に渡る大島で、亀老山展望公園に立ち寄って橋を見下ろす壮大な絶景を眺めるつもりでしたが、ドライブがあまりに快適なので、そこには寄らず、次の目的地を目指すことにしました。

4つ目の島、生口島(いくちじま)です。


▼大三島(おおみしま)から生口島へと向かう多々羅大橋。


生口島に上陸、耕三寺(こうさんじ)というお寺の広い駐車場に車を止めます。

今回の相棒、HondaのFit。よく走ってくれて、かわいい。▼


▲境内には蓮の植わった鉢が、ずらっと並んでいます。昼下がりには咲いていません。

 

ここもまた、友人の勧めで、耕三寺がおもしろいというので、行ってみたのです。

この寺は、昭和の半ばごろに、耕三寺耕三という名の大阪の実業家が、浄土真宗のお寺を建立したのが始まりだそうです。かなりのお金持ちでいらしたようで、東西の美術品や文化財などをたくさん集め、それらを博物館として公開することにしたとか。




金ぴかなお堂や、地下に掘られた長い洞窟には、興味がわきませんでしたが、白亜の大理石でできた「未来心の丘」は、国内ではなかなかに珍しいスポット。小径も階段もベンチも、そびえたつモニュメントも、すべてが真っ白な大理石で出来ているのです。

日本人の彫刻家が手掛けたというその広さは5000平方メートル。小高い丘をすっぽり覆うほどの大理石は、イタリアで採掘され、コンテナ船で運ばれたそうです。どれほどの費用が掛かったことか、お寺の財力はいかばかりか……と、観光客の私は俗な思いに駆られてしまいますが、瀬戸内海の青さ、空の青さ、そして白い石のコントラストは、たしかに印象的でした。




▲八百屋さんの店先のポストはレモン色!


これから渡っていく生口橋が見えてきました▼

▲青いのはフロントグラスの色。


 

生口島を離れ、尾道でようやく本州に到着。途中、休憩を取りながら、ひたすら広島まで西方向にどんどん走っていきます。

広島のビル群が見えてきた時には、ようやくホッとできました。

午後4時ごろ、無事300キロを完走!

うん、まだまだいけそう。



 

 

2012年、始めたばかりのブログに、8月の北海道の旅を、7回シリーズで載せています。写真も選りすぐりで、旅のアルバムを一緒に楽しんでいただけたらうれしいです。

カテゴリ一覧の「北海道の旅」をクリックしても選択できるのですが、ブログの設定上、新しい順、つまり7回目が最初に出てきてしまいます。

1回目からお読みいただけるよう、以下に一つずつリンクを貼りましたので、ぜひご覧ください。

20120902日 旅のエッセイ: 突然ですが、北海道へ。

20120904日 旅のエッセイ: 「トマム?」から「トマム!!」へ (1 

20120905日 旅のエッセイ: 「トマム?」から「トマム!!」へ(2

20120908日 旅のエッセイ:ドライブin富良野(1 

20120916日 旅のフォトエッセイ:ドライブin富良野(2

20120923日 旅のフォトエッセイ:ドライブin富良野(3

20121007日 旅のフォトエッセイ:旭山動物園

 


『瓢箪から人生』を読んで2022年09月10日



皆さまもご存じの俳人夏井いつきさんのエッセイ集です。

彼女の存在を知ったのは、ご多分に漏れず、人気番組の「プレバト」。歯切れ良い俳句の添削と、愛情こもった褒め方、𠮟り方、気取らないオバちゃん然としたところも好感が持てます。

 

先月の新聞で、この本の紹介記事を読みました。そこには「俳句の種まき運動」を推し進めている、とあります。

夏井さんの生まれは愛媛県南宇和郡。現在も松山市在住です。松山といえば、あの正岡子規や高浜虚子を輩出した俳句の聖地。あたかも高齢者の趣味のように言われる俳句が、このままでは絶滅してしまう。危機感を持った夏井さんは中学校の国語教員だったので、まず子どもたちに俳句を広めようと思ったそうです。

 

「俳句の種まき」と聞いて、頭に浮かんだのは「エッセイの輪を広げる」という言葉でした。私は20代の頃から、カルチャースクールの木村治美教室でエッセイの書き方を学んできました。木村先生は当時、「エッセイスト」を名乗る草分けでした。教室には、先生に憧れてさまざまな年代の主婦が集まってきます。先生はそんな弟子たちを束ねて、主婦にも社会活動を促したのです。それが「エッセイを書く輪を広げる」活動でした。

バブル景気に沸く世の中で、グループのメンバーはエッセイ講師として各地で教室を持ち、少しずつエッセイを書く仲間を増やしていったのでした。

主婦だって、やればできる。そんな自信を持たせてくれました。

 

俳句とエッセイ、文芸の種類は違っても、目指すところは同じではなかろうか。

この本を買い求めたのは、そんな興味が湧いたからでした。

 

さて夏井さん。最初に相手にしたのは子どもたち。

男子校で、俳句を作らせて互いに良い句を選ばせると、1位になって拍手喝采を浴びる句は、

 

いもくえばパンツちぎれるへのちから

 

だというのですから、夏井先生のご苦労がしのばれます。しかし先生は怯まない。彼らの笑いを味方につけて、上手に俳句の楽しさを教え込んでいきます。

 

やがて先生は俳句集団を作り、句会ライブを思いつきます。会場に来たお客さんに、簡単な型をひとつだけ教え、俳句を作ってもらう。休憩時間に先生が選句し、決勝に残った7句から参加者全員の拍手で1位を決めるというやり方をとったのです。

無記名の俳句から、作者が明かされると、会場に笑いがこぼれたり、あらためて拍手が湧いたり、先生の人柄が醸し出す、なごやかな交流の場が目に浮かぶようです。

 

夏井先生はラジオやテレビにも顔を出し、「プレバト」はまさに種まきの効率を上げる格好の道具になりました。

さらに、リモートの句会やYouTubeまで利用し、時代の波に乗り遅れることなく、コロナ禍にもへこたれることはありませんでした。

そこには、おおぜいの人々との出会いと繋がりがありました。先生は、自分ひとりの力ではないのですよ、と強調します。

 

 

ところでもうひとつ、私が本を手にした理由があります。あれほど一語一語に神経をとがらせる俳人のエッセイには、さぞや煌めく言葉や表現が散りばめられているのでは、と期待したのです。

 

著書は、女性週刊誌に連載された文章を基にしていることもあって、口語に近い文体で、読みやすくてわかりやすい。期待したほどの文学的情緒的表現こそなかったけれど、読み始めるとすぐに引き込まれました。

教師として、俳人として、俳句の種まきに明け暮れる様子や、シングルマザーから再婚して家族会社を立ち上げるというエネルギッシュな生きざまは、文体がどうのこうのというレベルではなく圧倒的なおもしろさ。先生すごい! の一言です。

 

終盤には、生い立ちや家族のことも出てきました。温暖な土地とほのぼのとした愛情あふれる家族が、夏井先生を育てたことが伝わってきます。

父親が胃がんで亡くなって18年後、鰊(にしん)蕎麦をきっかけにして、嗚咽が噴き出したというくだりがあります。父の死を受け入れた瞬間を、てらいのない平易な言葉遣いでつづっているのに、読み返すたびにこちらまで泣けてくる。

まさしく名文でした。

 

俳句とエッセイと、違いは多々あるでしょう。とはいえ、どちらにも大切なのは、文体や言葉遣いなのではなく、作り手の魂が、日本語で伝えたい、言葉にしたいと思うことなのだと、改めて気づかされました。

 

 


女王陛下の葬儀2022年09月20日


昨晩は、エリザベス女王の葬儀を見続けました。


 



もう40年以上前ですが、半年ほどロンドンで英語学校に通っていたことがあります。

学校のお仲間とウェールズ地方を旅行した時に、女王陛下をお見かけしました。帽子もコートもピンクの装いでした。

誰かが「ピンクパンサーみたい!」と言うので、私たちは笑いました。当時人気のあったアニメのキャラクター。それほど親しみを持っていたのでしょう。

その時、写真を撮ったはずだけれど、今は押し入れの奥にしまい込まれており、もっか肩痛持ちの私、探すのは諦めました。




手元にある女王陛下は、この50ポンド紙幣。

これは2008年、娘とロンドンに行く時に両替したもので、当時1ポンドが200円でしたから、約1万円なり。というわけで、日本の壱万円札と並べてみました。

今後、紙幣の女王も、切手の女王も、少しずつチャールズ国王に交代していくとのこと。ちょっと残念です。このお札は、次のイギリス旅行で使おうと思っていたのですが、大事にしまっておくことにします。

 

遠い国の私でさえ、遠い昔の思い出を忘れずにいるのですから、ましてイギリス国民にとって、女王陛下は身近で特別な存在であり、悲しみは深いことでしょう。

最後のお別れをするために、ウェストミンスター宮殿まで何時間もかけて行列に並んだという国民の気持ちが、よくわかります。これこそが本当の国葬だと思いました。

女王は、天国のフィリップ殿下のおそばにいらしたのです。悲しいけれど、安らかな気持ちでお見送りするしかありませんね。


イギリスという大国を70年の長きにわたって統治してきた偉大な君主であり、国民に慕われたチャーミングでやさしい母のようなエリザベス女王に、改めて敬意を抱きます。

どうぞ安らかにお眠りください。








おススメの本『赤と青とエスキース』2022年09月24日

1月の末に図書館で予約した本が、9月になってようやく順番が回ってきました。人気があるようです。もう、なぜ予約したのかも忘れましたが、とにかく何かの情報で、おもしろそうな小説だと思ったのでしょう。

青山美智子さんという著者の名前も知りませんでした。



物語は、プロローグに始まって、4つの章があり、エピローグで終わる構成。

各章には、赤色と青色をイメージするようなタイトルが付けられています。読み始めるうちに、各章は別べつの話のようで、じつは何かで繋がっているのだ、と気づきます。

エスキースとは、本番の絵を描く前の、いわば下絵のようなものだということもわかってきます。

 

少しずつ、私がこの本を読みたいと思った理由を思い出しました。絵にまつわる物語だったからです。

私は子どものころには漫画家になりたいと思ったくらい、絵を描くことが好きでした。高校の授業で油絵を始め、大学では4年間美術部に所属して、描き続けました。美術史の勉強はしましたが、絵画制作を専門的に学んだことはなく、趣味として楽しむだけで満足でした。

今では絵は描かず、絵は見て楽しむもの。アートにかかわる映画や物語も大好きなのです。

 

この小説の中では、絵を学んでいる若い人たちが恋をしたり、画家を目指す若者が新しい絵に挑戦したり、若手漫画家の才能が認められたり……と、次々と展開する各章それぞれの物語に、涙が出そうになります。懐かしい気持ちにもなります。

そして、30年以上におよぶ歳月が流れていくのですが……。

最後にエピローグを読み終えると、まるで赤と青のリボンの両端が結ばれて、愛しい物語をひとつ、プレゼントされたような気持ちになりました。プレゼントは、たくさんの想いを運んできてくれました。

 

私も若い時にきちんと絵の勉強をしていたら、どうなっただろう。凡人並みの才能が花開くほどの奇跡は起こらなかっただろうけれど……と、歩むことはなかった別の人生に、空想が膨らみます。

大学卒業後、大手の画廊の採用試験にもパスしたのに、そちらには進まなかった。画廊という職業には今でも憧れがあります。

せめて、クローゼットの奥に眠っている若かりし頃の絵を、素敵な額縁に収めて飾ってみようか……とも思ったりします。

 

もっと現実的に、図書館に返却した本を、今度は本屋さんに買いに行こう。もう一度読み返したい。そして、いつでもそばに置いておきたい。

それほど、この本が好きになりました。


さらに、ネタバレを避けるために詳しくは言えませんが、私の個人的な興味を離れても、小説としてのストーリー展開がよくできていると思います。


そして、もうひとつ。

この本のほとんどのページを、私はクリニックの待合室で読みました。

おかげで、精密検査の結果には喜べなかったけれど、さほど落ち込まずに済んで、救われました。タイムリーに私を支えてくれたのです。

 

絵の好きな方、小説が好きな方、そして明るい希望が必要な方に、おススメの一冊です。

 


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